ミーシアさん。(ぷんすこ)
――ボクがボクでなかったとしても、私と仲良くしてくれますか。
そう言った彼女は、彼女ではなくなった。
あの日、ミーシアは俺たちの目の前で【魔王】になった。嵐の中、彼女は人間ではない別の何かに成り果てた。【魔王】の呪いと同化して、伝承の怪物へとその身を変えた。
しばし呆然とした俺たちは、ようやくのことで状況を飲み込むと、倒れたミーシアを背負って一度古城に引き返した。寝台に寝かせて容態を調べ、適切な処置をひとつまみ。結果、三十分ほどでミーシアは目を覚ました。
「えっと……。おはよう、ございます……?」
目覚めて一番、ミーシアはそんな寝ぼけたことを言う。いつもとそう変わらない様子。そんな様子に一息ついて、俺たちは裏で用意していた大量の攻撃魔法を霧散させた。
ただ気を失っただけのはずがない、というのが俺たちの共通認識だ。ミーシアは【魔王】の呪いと同化した。軽く調べた感じだと、ミーシアの中にいる【魔王】は大人しくしているようだが、それは確かにそこにいる。
今の彼女の状態は、俺たちをしてもわからない。いつ何が起きてもおかしくはない。
だから、俺たちは。
「ミーシア、体調はどうだ」
「見ての通り、健康そのものなんですが……」
「みーくん。昨日はちゃんと寝れた? 怖い夢見なかった?」
「夢は覚えてないですけど、ちゃんと寝ましたよ」
「お腹すいてないか。喉が乾いていたりとか」
「あの……。そういうの、自分でできますから」
「調子はどう? 元気でやってる? 辛いこととかない?」
「強いて言うなら、この状況が辛いです」
俺たちは、ミーシアにべったりと張り付いた。
ギルドの酒場にたまった俺たちは、ミーシアを左右からがっちりロックした。彼女は居心地悪そうにしていたが、そんなことは大義の前には些細な問題だ。
「あの、今日は依頼を請けに来たんですよね……? なんでこんなことになってるんです?」
「いいんだ。ミーシアは何も気にしなくていい。そこで楽にしていてくれ」
「なんで急に過保護なんですか。これじゃ仕事にならないですよ」
「みーくん。お菓子あるよ。食べる?」
「いらない」
なんかもう、心配で心配で仕方ないのだ。一見して普通のように見えても、ミーシアの中には【魔王】がいる。少しでも目を離した間に、彼女がバアルバアルのように変わってしまったらと考えると気が気でなかった。
「お仕事しないなら、もう帰りますけど」
拗ねていた。かわいい。
「……やっぱり、あの嵐の日に何かあったんですよね」
かと思えば、何やら思いつめた様子でそんなことを言い出す。
「あの日からですよ、二人が妙に過保護になったのって。あの日はクルさんの様子もおかしかったですし……。それに、その、何かがいたじゃないですか。黒くてぐるぐるした、影みたいな」
「……いや。そんなものはいなかったよ」
「どうしてそんな嘘をつくんですか」
ミーシアは悲しそうな顔をする。さすがに心が痛んだけれど、本当のことを言うわけにはいかなかった。
あなたはもう人間ではありません、なんて、どうしてそんなことが言える。
どうするべきか。少し迷って、念話魔法で柚子白と相談することにした。
(……柚子白。どうしような)
(そうね。もう十分楽しんだし、そろそろやめてもいいんじゃない?)
(そうかぁ……。ん? どういうことだ?)
(だから、べったり張り付く必要なんてないわよ。監視魔法とまでは言わないけれど、ミーシアの状況を把握する魔法の一つや二つくらい知ってるでしょ)
(ばっかお前それを早く言えって)
そう言えばそうだ。どうして思いつかなかったんだろう。頭の中では何度となくその選択肢がよぎっていたけれど、なんとなく無視していた気がする。なんでだろう。楽しかったからかなぁ。
これ以上やりすぎても嫌われてしまう。俺たちは大人しく彼女から離れようとした。
「……その魔法、なんですか?」
ミーシアは、目を丸くしていた。
「通信……? いや、念話の魔法、ですか? ものすごく高度に暗号化されてる……。え? え? どういうこと、ですか?」
「ミーシ、ア……?」
「え、と……。その、待ってください。すごく、混乱しています」
混乱しているのは俺たちも同じだ。俺と柚子白の念話魔法。並大抵の魔術師では感知すらできないほどに、高度に暗号化してあるこの魔法を、彼女は一目で見破った。
そして、ミーシアは口元で軽く音を出す。声にもならないほどの小さな詠唱。
(こう、かな……。あ、あ。聞こえますか?)
たったそれだけで、彼女はこの魔法を再現してみせた。
*****
完全に油断していた。今のミーシアは【魔王】だ。【魔王】とは魔に連なるものの最果て。その魔法の才は、俺たちをも凌駕する。
バアルバアルだって、柚子白の龍殺しを一目見ただけでコピーしていたじゃないか。【魔王】となった今のミーシアに、それと同じことができないなんて、どうして言える。
(それで)
ミーシアの声が頭に響く。鈴のように響く、静かで落ち着いた声。
その裏には、押し込めた怒りとほんの少しの悲しみがあった。
(どういうことか、説明してくれますか)
彼女の前に座り、俺たちは内心で正座していた。
やばい。ものすごくやばい。完全にやっちまった。俺たちがやっていたことがバレてしまった。
どうしよう、と柚子白に目線を配る。柚子白は柚子白で困ったような顔をしていた。相談したいのは山々だ。だけど、俺たちの念話魔法なんて【魔王】の前には児戯に等しい。
(あ、あの……。みーくん、怒らないで聞いてほしいんだけど……)
(もう怒ってます)
(ひん……)
おずおずと口を開いた柚子白は一撃で撃沈した。助けを求める目がしきりに飛んでくる。そんな目で見るな、俺だって困ってるんだよ。
(あー……。ミーシア、込み入った話になるんだけど、いいか)
(嘘をつかないと約束していただけますか)
(…………)
(嫌いです)
俺は二撃で撃沈した。嫌われてしまった。俺はこれからどうやって生きていけばいいんだろう。
柚子白は子鹿のようにぷるぷると震え、俺は辞世の句を詠むしかない。現【魔王】ミーシア、弱冠十四才ながらにバアルバアルより遥かに手強かった。
「邪魔するよ」
そんな絶望的な戦況に、一人の闖入者があらわれた。
不思議な雰囲気の少女だった。背丈は柚子白よりもなお小さく、一見して子どものようにしか見えない。綺羅びやかな装飾がなされた上等なローブは、袖がぶかぶかに余っている。つばの拾い三角帽の下には、妙に大人びた妖艶な微笑みをたたえていた。
見た目は子どもだ。しかし、年齢不相応の落ち着きがある。百や二百の年月を生きてきたと言われても、納得してしまいそうなほどに。
「にけ先生……?」
「や。久しぶり、ミーシア。元気してた?」
ミーシアの呼びかけに、少女は気さくに応じる。
にけと呼ばれた少女。年齢不相応の落ち着きと、国家に認められた魔術師であることを示す双竜のブローチ。
俺は、この人のことを知っていた。
「はじめまして。君たちが枢木少年と柚子白少女だね。自己紹介は必要かな?」
「……いえ。それには及びません、大賢者ニケ」
「にけちゃんでいーよ」
見惚れるほどに美しく、少女はパチンとウィンクを飛ばす。
大賢者ニケ。国内最高の呼び声高い、年齢不詳の大魔道士だ。




