ピクニック(※致命的なプレミを含む)
昨晩魔力が尽き果てるまで殴り合った柚子白は、朝になっても当然のように起きてこなかった。
眠いのは俺も同じだ。体力もなければ魔力もない。それでも俺は、愛する女のために気合を入れてベッドから這い出した。
「ユズー……。おーい、ユズー……」
「んぁ……」
「俺でかけっから……。起きたら、なんか食えよー……」
「にゃー……」
柚子白はあれで結構ものぐさだ。夜ふかしして朝食を抜くなんて真似は当たり前にやってくる。まだまだ成長しなければならない十三才の体なんだから、食べて寝るくらいはちゃんとやってほしかった。
顔を洗って服を着替え、重い体をずるずる引きずる。待ち合わせ場所の草原で、ミーシアはすでに待っていた。
「眠そうですね、クルさん」
「ああ、すまん……。昨夜、ユズがなかなか寝かせてくれなくってな」
「相変わらず仲がいいですねぇ」
そりゃあもう、殺し合うほど仲良しよ。俺とあいつがこれまで何回殺し合ったことか。もう数えてねーや。
あ、そうだ、とミーシアは手を叩いた。
「すみません、待ちましたか?」
「え、いや。俺が今来たところなんだけど」
「一回やってみたかったんですよね、これ。えへへ」
うん……? どういうことだろう、眠くて頭がよく動かない。でもまあ、やってみたかったならいいんじゃないかな。うんうん。よかったなミーシア。枢木さんも嬉しいぞ。
「きょ、きょうはいい天気ですね」
若干上ずった声で彼女は言う。いい天気というには、ちょっとばかり曇ってる気もするけど。これ午後には雨が降るかもしれないな。でも、ミーシアがいい天気って言うならいい天気なんだろう。寝ぼけた頭でほわほわと考えた。
「枢木さん。少し、歩きましょうか」
「ん、今日は魔法の練習じゃなかったか?」
「お散歩も練習の一環、ってことで」
あー……。確かにそうかも。ミーシアの言うとおりだ。魔法練習に散歩は必要だよな。俺は眠い頭で超速の理解力を発揮した。
「今日はボク、お弁当なんかも作ってきたんですよ。練習が終わったら一緒に食べましょう」
「いいのか。朝から大変だっただろ」
「えへへ……。今日は早起きしちゃったので。クルさんのお口にあうといいのですが」
そうかそうか。早起きしちゃったのか。それならまあ、そういうこともあるのかも。だって今日は魔法練習だもんな、早起きしてお弁当を用意したって何も不思議なことはない。眠い。
「なんか、デートみたいだな」
「ふぇっ!? へ、あ、いや、そそそそんなつもりなんて――!」
「あ、違う。ピクニックって言いたかった。ほら、最初の頃はよくやってただろ」
「え……。あー、そうです! そうですね! なんだか懐かしいですねっ!」
「懐かしいなぁ」
出会ったばかりの頃の俺たちは、採集依頼を請けては毎日のようにピクニックを楽しんでいた。請けられる依頼の幅が広がってからあんまりやっていなかったが、またああいった依頼を請けてもいいかもしれない。
俺はぼんやりと遠くの空をぼんやりと眺めた。ミーシアは何度か深呼吸をして落ち着きを取り戻していた。どうしたのかな。
「おかしいですよね、まだ半年も経ってないのに。でも、お二人と出会ってからの日々は本当に濃密で……。なんだかボク、ずっとこうしていた気がします」
少しだけ寂寥めいたものを感じた。十四才の彼女と、人生を千回繰り返した俺たちでは時間の感じ方が変わってくる。
もちろん俺もこの時間を楽しく思っていたが、ミーシアにとってはまさしくかけがえのない時間だったのだろう。
「毎日が本当に楽しくて。お師匠様のところにいた時では、知らなかったことをいっぱいいっぱい知りました。それに……。知らなかった、感情も。お二人と出会ってから、ボク、とっても幸せです」
「そうだな……。俺も楽しいよ。ユズも同じことを言うだろう」
眠い頭が些細な違和感を覚えた。なんだこのエモムードは。ミーシアはひょっとして、何かの状況をセットアップしようとしているのか。
一体なんだ、何が目的だ。正常な俺だったなら的確に状況を判断できていたのかもしれない。だけど今日の俺は、マジのマジで眠かった。
「クルさん」
ミーシアは立ち止まる。手を後ろに組み、まっすぐに俺を見つめる。口元にわずかな緊張と、やや紅潮した頬。
一度目を閉じて、長く息を吐く。意を決したように彼女は口を開いた。
「もしボクが、ボクじゃなかったとしても。私と仲良くしてくれますか」
……ええと。それってつまり、その、どういうことだ。
何かいいことを言っているのはわかる。たぶん今、ミーシアは俺に大事なことを打ち明けようとした。だけどわからない。頭がちゃんと動いてくれない。くそっ、なんで今日に限ってこんなに眠いんだ……!
ボクではなく、私という一人称を使ったことは何か関係があるのだろうか。いや、普通に今後とも仲良くしてほしいというお願いなのかもしれない。わからない。なんなんだろうね、ほんとに。
何かを致命的にファンブルした俺は、それでもなんとか言葉をまとめた。
「もちろん。何があってもミーシアはミーシアだ。ミーシアは俺の大事な人だよ」
「あ……。ありがとう、ございます……」
ミーシアは顔を真赤にした。「勘違いしちゃダメ、これはそういう意味じゃないの」なんてことを小さく呟いている。よくわからないけど喜んでいるらしい。クリティカルしたのかもしれない。
「……クルさん。いつか、ボクの秘密をお教えしますね」
秘密か……。ミーシアの秘密ってなんなんだろう。男装していることと何か関係あるのかな。
湿った風がさわりと草を揺らして抜けていく。雨と土の匂いがした。
「寒くなりそうだな」
「ですね……。そろそろ、はじめましょうか」
「ああ」
つい、と彼女は俺に近寄った。今日の本題。魔法の練習。
それはつまり、あれである。
「で、では……。だ、だっこして、くだ、ひゃい……!」
煙が出そうなほど顔を赤くして、彼女は目を閉じる。ぷるぷると震えて、これでもかってくらいに緊張していた。
さすがにこれには目が覚めた。いや待て、なんだこれ。なんだこの状況は。俺たちは今から魔法の練習をするんだよな。練習の一環として、必要にかられてそれをするってだけだよな!?
突然に目が覚めて、俺は激しく動揺した。どうすればいい。心構えなんてまるでできていない。なんだこれ。どうすればいいんだ――!?
混乱の最中、突然に視界がブラックアウトする。ぱちん、と明かりが消えたように。
そしてまたぱちんと視界が開けて、俺は、白く輝く虚空に立っていた。
「お久しぶりですね、枢木くん」
背もたれの長い椅子に、女が座っていた。
非人間的な美しさを持つ女だ。柔らかく優しげな顔立ちをしているが、あまりにも美しすぎてどこか作り物めいている。超然とした美しさの裏にあらゆる思惑を覆い隠して、女は可憐に微笑んだ。
「神様オーダーのお時間です」
時の女神めうめう。
この世界の絶対的な支配者が、人生の終わりをもたらした。




