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なんだこのかわいい生き物

 翌日、昼過ぎになってようやく柚子白はベッドから出てきた。

 旅の疲れがよほど溜まっていたのだろう。起きてもまだ眠そうだ。寝ぼけた顔でぽやぽやと顔を洗いに行こうとして、壁に頭をぶつけてころんとひっくり返る。


「うー……。ここ、どこー……?」

「どこって、宿だけど」

「今何時……?」

「昼過ぎ」

「シスターに怒られる……」


 ここを教会だと思っているらしい。凄まじい寝ぼけっぷりだ。

 面白いのでもう少し観察していると、何やらむにゃむにゃと召喚魔法を唱え始めた。召喚門を通って現れたのは真っ黒な毛並みを持つ大型犬。ちょこまるだ。


「ユズはもう寝ます……」


 ちょこまるを抱き枕に、柚子白は床に寝転がって二度寝をはじめた。

 なんて健やかで愛らしい寝顔だろう。まるで柚子白が寝ている一角だけが天使に祝福されているようだ。そんな幼女に抱きつかれた黙示録の獣(一匹で小国を滅ぼす力をもつ)は、どうすりゃいいんすか、とつぶらな瞳で俺を見上げた。


「起きろユズ。そんなところで寝るな」

「やだー……」

「起きないといたずらするぞ」

「くーくんのえっち……」


 そういう意味じゃねえよ。顔に落書きするとかその程度だ。なんでお前はその発育が足りない寸動ボディでそんなに自信がもてんだよ。

 ちょっとイラッとした。こうなったら奥の手だ。


「起きてください柚子白さん、神様オーダーの時間です」


 耳元でささやくと、柚子白は一瞬で飛び起きた。


「オーダー!? オーダーが来たの!?」

「おう、起きたか。おはよう」

「あんた……ッ! ぶっ殺すわよ!」


 柚子白は吠える。いきおい余って首を絞められたちょこまるは、たすけてください、と困った眉でしきりに訴えていた。

 神様オーダー。俺たちにとっての恐怖の象徴。たった一度の失敗も許されない、全部で八つの神様の無茶振り。その失敗は、この時間軸で積み重ねてきたすべてが失われることを意味する。


「はあ……。もう、最悪。ほんっと最悪の起き方したわ」

「そんなところで寝るからだ。二度寝するならベッドで寝ろ」

「もういいわよ、完全に目が覚めたわ。顔洗ってくる」


 柚子白は洗面台の方へ歩いていった。置いていかれたちょこまるは、もう帰っていいですか、と俺を見上げた。いいんじゃないかな。召喚門へお還り。


 柚子白の朝食(時間的には昼食かもしれない)を用意しながら、ふと思う。神様オーダーか。最初のオーダーが下されるのはいつだろう。


 たぶん、今回の人生で神様オーダーを完遂することは不可能だろう。だけど一つか二つくらいならなんとかなるかもしれない。できるだけ長くこの人生を楽しみたい俺としては、攻略できるオーダーは攻略するつもりだ。


「……ま、その時が来たら考えるか」


 いつ下されるかもわからないオーダーに身構えていたって仕方ない。そんな先のことよりも、これからのことを考えよう。


「それで、くーくん。今日はどうするの?」


 洗面台で幼女の仮面をかぶり直してきた柚子白が、パンをもくもく食べながら聞いた。


「昨日の仕事で数日分の宿代はあるからな。俺は仕事してくるけど、お前は寝ててもいいぞ」

「ユズも行くよ。もういっぱい寝たもん」


 昨日のネズミ駆除の仕事は、報酬額にちょっとだけ色をつけてもらった。

 浮浪者の孤児にしてはやるほうだと思われたのだろう。プロの冒険者から訓練を受けたことを伝えると、仕事がほしければまた来いとのお言葉をいただいていた。


 そんなわけで宿のお風呂で長旅の汚れを落とし、一晩ぐっすりと眠って元気になった俺たちは、すっきりした体でギルドへ向かったのだ。


「ねえねえ、今日は何のお仕事するの?」

「そうだな……。もう昼過ぎだからな、今日も日帰りでできるやつにしとくか」


 ギルドの依頼掲示板を眺める。大体の冒険者は朝一番で依頼を取っていくため、この時間にはめぼしい依頼はない。残っているのは、遠方だったり難易度が高かったり報酬が安かったりする依頼だけ。


「エル・ヒドラ討伐とかどう? 報酬七十万だって」

「ズル禁止縛りだろ。さすがに初級魔法と初級剣術じゃ手に余るって」

「じゃあ大妖土蜘蛛の巣の破壊」

「距離がなぁ。日帰りでできるかどうか」

「千年樹の枝を取りに行くのは?」

「んー。ちょっと簡単すぎるけど、今日のところはそれにしとくか」


 掲示板の張り紙を取ろうとすると、くい、と服の裾を引かれた。


「あ、あの……」


 振り向くと、白いローブの人物がくいくいと服を掴んでいた。

 背丈は俺たちとそう変わらない。声の高さからして、少女だろうか。室内だと言うのにフードをかぶり、かろうじて見える大きな瞳はぷるぷると揺れている。

 なぜか、泣きそうになっていた。


「その依頼……やめておいた、ほうが、いいかもです……」


 彼女は俺が取ろうとしていた依頼をおずおずと指差した。

 千年樹の発見依頼。この街の近くにある迷いの森に入り、最深部にあると噂される千年樹を見つけだすだけの簡単なお仕事だ。証拠として枝を持って帰れば依頼完了。そう遠い場所でもないので、その気になれば一日で終わらせられる。


「迷いの森は本当に危なくて、千年樹を探しにいった人がもう何人も遭難してます……。大人でも避ける依頼です……。うかつに立ち入っても遭難者が増えるだけなので……その……」


 彼女が言うことはもっともだ。

 似たような景色が延々と続く迷いの森は、遭難の名所として悪名高い。熟練の冒険者でも避けて通り、もしうっかり初心者が入ろうものなら生還するだけでも一苦労だ。


 だけどそれは、俺たちが初心者だったらの話。

 もう何百回とあの森に入ったことがある俺たちは、森の構造を熟知している。最深部まで行って枝を取ってくるなんて、ちょっとしたピクニックも同然だった。


「君は?」

「あ、す、すみません……! 申し遅れました、ボク、ミーシアと申します!」


 ミーシアは慌てて頭を下げ、その拍子にフードがずれて銀色のショートヘアがあらわになった。


「え、えっと、その……。初心者向けの依頼だったら、こういうのとか、いかがでしょう。ヘビイチゴの採取依頼とか、これなら簡単なので……。も、もし討伐依頼がしたいのなら、ヤマカガシの討伐依頼とかもあります! あっ、その、別に蛇を推しているというわけではないので! ご安心くだしっ……いた、噛んだ……」


 面白い子だ。面白い子がやってきた。

 たぶん、悪い子ではない。むしろいい子だ。初心者らしき俺たちが難しい依頼を選ぼうとしていたので、おすすめの依頼を紹介してくれているらしい。

 だけどそれにしては慣れてなさすぎる。知らない人に声かけるのはじめてか。


 隣の幼女をちらりと見る。柚子白はじっとミーシアを注視していた。これは「なんか面白いのがやってきたぞ」と思っている顔。つまりは俺と同じだった。


「そうなんだ。ありがとう、ミーシアさん。じゃあ、せっかくだから今日はヘビイチゴにさせてもらうよ」

「あ、はいっ! それはよかったです!」

「それで、どうして俺たちが初心者だって?」


 気になっていたのはそこだ。確かに俺たちは子どもだが、初心者らしいかと言われると疑問が残る。ギルド内での歩き方も慣れたものだったはずだ。ひと目で初心者と判別するのは難しいと思うのだが。


「あ、それは……。その、昨日、あなたたちがギルドに来たところを見ていたんです。それで……。ボクもまだ、初心者、なので……」


 彼女は耳まで真っ赤にして、うつむいてもじもじし始めた。


「よかったら……お友達に、なって、くれないかなって……」

「待ってたの?」

「はい……」

「……昼まで?」

「は、はい……」


 なんだこのかわいい生き物……。

 俺はすんっとした。不覚にもにやけそうになった口元を律して、すんっと真顔になった。そうでもなければ人間を保てなかったのだ。恐るべしミーシア、俺にここまでさせるとは……。


 すんっとしたついでに冷静になって考える。ミーシア。俺たちと同年代の、つまりは子どもの冒険者。

 子どもの冒険者とはか弱いものだ。一人で依頼をこなすのは難しく、なんとか依頼をこなしても得られる報酬は雀の涙。おいしい依頼はみんな大人が持っていってしまう。困窮極まって身の丈に合わない依頼を受けようものなら、魔物に負けて命を落とすなんてことも珍しくない。


 そんな子どもの冒険者が生き残るためには群れなければならない。子ども同士でパーティを組み、互いに助け合って生きていく。彼女が俺たちに声をかけたのは、そういった事情もあるのだろう。


 隣の幼女を見る。柚子白は両手を組み合わせて目をきらきら輝かせていた。これはかわいいものにキュンキュンしている顔だ。つまりこいつは何も考えていない。


「ミーシア……みーさん……ううん、みーちゃんって、呼んでいい?」

「あ、はい……! ボクのことは好きに呼んでもらえれば……!」

「私は柚子白、ユズって呼んで。こっちのは枢木って言うの」

「ユズさんと、クルりゅ……クりゅ、ル、ギ、さん」

「縮めていいぞ。呼びやすいように呼んでくれ」

「すみません……。クルさんと、お呼びしますね」


 ミーシアの顔の赤さたるや、今にも煙が出そうなほどだ。

 見たか柚子白、これが本物だ。お前のようなエセ幼女にはとても出せない、本物の尊さだ。精進しろ。


「ねえみーちゃん、よかったらこの依頼、一緒に受けない?」

「へ、え、え? いいんですか?」

「ユズたちまだ初心者だから、よかったらいろいろ教えてほしいなって……。ダメ、かな?」


 人工エセ幼女はあざとい角度で小首をかしげた。騙されるなミーシア、この女はこの手でおやつのクッキーを何枚もせしめてきたんだ。主に俺から。


 彼女とパーティを組むというのに異論はない。というか、こんな面白そうな子を見逃すという手はない。柚子白がぐいぐい押すパートを担当しているので、俺は一歩引くパートから攻略してみよう。


「おいユズ、急にお願いしたって失礼だろ。すみませんミーシアさん、ご迷惑でしたか?」

「そんなことないです! 迷惑だなんて……むしろ、ボクの方からお願いしたいくらいで……っ!」


 ほら落ちた。一瞬、気が緩んでゲス顔を浮かべる。即座に柚子白が俺の足を踏んだ。いたい。


「ねえくーくん、みーちゃんもこう言ってくれてるよ? いいでしょ?」

「……わかりました。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」


 握手をしようと、俺は手を差し出した。ミーシアはおずおずと握手に応じ、エセ幼女が無邪気に俺たちの手を握りしめた。なんだこれ。トリプル握手?


 そういうわけで、俺たちはおててつないで仲良く依頼を受けたのだ。

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