第4章ー20
1905年も11月になっていた。
気が付けばここ満州では秋風と言うよりも冬風が身に染みる季節になっている。
海兵師団の将兵は皆、年内に帰国してお屠蘇を家で飲めるのだろうか、という想いに駆られるようになっていた。
陸軍の将兵も動員が解かれて、少しずつ師団毎に帰国している。
海兵師団も動員が解除されて、元の規模に戻る頃合いだった。
9月1日のポーツマス条約調印により、日露間に平和がもたらされているのだ、自分たちも平和な日常に戻りたいというのは将兵の自然な欲求でもあった。
土方勇志少佐もそう思う将兵の1人に入っていた。
早く家に戻り、4人目の子どもに会いたい、土方少佐はそう思っていた。
海兵師団長の林忠崇中将から、海兵師団の中隊長以上、大尉以上を集めた慰労会を開くとの連絡が回ってきた。
土方少佐もそれに出席することになった。
慰労会の冒頭でいきなり、林中将が言った。
「喜べ、年内に海兵師団は帰国できると海兵本部から連絡があったぞ」
それまで、会場内では私語が密やかに交わされていたが、それはさっと静まってしまった。
その後、歓声が爆発した。
慰労会に参加している全ての士官が喜んだのだ。
林中将は、その光景を見回した。
土方少佐も歓声を上げた内の1人だった。
年内に帰国できる、これ程の嬉しい知らせは無かった。
歓声が収まると林中将は手短な演説を行った。
「皆、日露開戦以来、祖国のためによくぞ戦って来てくれた。今、この場にいない、いやこの世にいない者も多い。尊い犠牲を我々は決して忘れてはならない。また、平時にいても戦時を忘れてはならないが、だからといって常に戦時のように平時を考えるべきではない。均衡を持った考えが重要だ。我々軍人は組織に囚われた考えをしてはならない。常に外からの目を意識せよ。外からどう見られるか、そして、そう見られることは正しいことか、を考えよ。今や部下の兵の大半は家に帰り、市井で暮らす時が来たのだ。そういった時に部下に仰ぎ見られる存在に我々はならねばならない」
土方少佐は思った。
海兵隊は戦時になると膨張する組織だ。
平時になるとあっという間に縮小してしまう。
今は、海兵本部等の後方組織を含めれば2万人を超える組織だが、平時に戻ると8000人程に減ってしまう。
つまり、戦時と平時で3倍近い差異があるのだ。
士官も本来は現役士官よりも予備役士官の方が多いくらいで、海軍予備員制度を見習って、国立大学に海兵隊の予備役士官養成課程を設けてはどうかという意見が海兵隊内でささやかれるくらいだ。
それも考えると林中将の演説は最もだった。
林中将の演説後、慰労会が本格的に始まった。
林中将は名前で個別に参加者に呼びかけていて、参加者は皆、感激していた。
土方少佐は、林中将を見習おうと思った。
慰労会も時間が経つにつれ、参加者全員の酔いが回ってきた。
気が付くと、土方少佐は林中将の傍にいた。
林中将は、土方少佐にささやいた。
「満鉄日米共同経営をどう思う」
「今は止むを得ないかと」
土方少佐はそう答えた。
「そこまでは何とか割り切れたか」
林中将は慈父のような目を向けていた。
「はい」
土方少佐は肯きながら言った。
「現状をきちんと見るように努めろ。さっきの演説で外からと言ったのは、外国の意も含めている。自国の利益を図ろうとし過ぎて、他国の恨みを買うな。いいな」
林中将は言った。
土方少佐は胸を衝かれる思いがした。
「いや、酔ってしまった。きついことを言った」
林中将はおもむろに続けた。
「いえ、肝に銘じます」
土方少佐は答えながら思った。
まだまだ林中将を見習わねば、そして、自分は成長していかねばいかん。
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