第4章ー16
8月に入り、日露双方はそろそろお互いに講和交渉打ち切りを真剣に考えつつあった。
露皇帝は一切の土地割譲と賠償金支払いを拒否し、それを日本があくまでも要求するなら、ウィッテに対してポーツマスから帰国するように訓令を出した。
小村外相は、桂首相に対し、講和交渉の打ち切りと停戦協定の破棄、それに伴うハルピン攻略作戦の発動とバルチック艦隊撃滅のための連合艦隊出動を示唆した。
現状が正確に見えていない露皇帝と小村外相は再度の戦争による最終的解決がやむを得ないと判断したのである。
だが、現状が見えている人物にはそんな最終的解決は望まれていなかった。
「小村外相に領土割譲も賠償金支払いも断念するように伝えたまえ」
桂首相は外務省の担当者に対してそう伝えた。
小村外相からの講和交渉打ち切り等を示唆する連絡を受け、桂首相は長時間の閣議を開き、その上で元老にも意見を聴取して、日露戦争をこれ以上続けても日本に利益が無いことを確認し、領土割譲と賠償金支払いを諦めることにしたのである。
全ての大臣と元老が桂首相に賛成し、小村外相の言う講和交渉打ち切りには反対した。
最早、日本には継戦能力が無いことは明らかだったのである。
従って、不本意ながらも日本は講和せざるを得なかった。
「そんな領土割譲も賠償金支払いも無しの講和条約に調印しろだと。私に泥をかぶれと言うのか」
小村外相はポーツマスで桂首相からの回訓を読んで激怒した。
だが、全ての大臣と元老が桂首相に賛成ではどうにもならない。
憤懣やるかたない内心で、ウィッテ全権大使との最終交渉に向かおうとしたところに、同盟国の英国からの情報が届いた。
露皇帝は賠償金の支払いは呑まないが南樺太の割譲は講和条件として呑むとの意向を示したというのである。
小村外相は、この情報に最後の望みを託して最終交渉に臨んだ。
「どうしても賠償金12億円と南樺太割譲は呑めませんか」
小村外相はウィッテに迫った。
「ニェット」
ウィッテは簡潔にそう答えた。
いつの間にか、ウィッテは日米両方の外交官に、ミスターニェットと呼ばれるようになっていた。
日本の何種もの賠償金と領土割譲の要求に対し、全てニェット(ロシア語でノーの意味)と答え続けていたからである。
「それでしたら、賠償金は諦めます。南樺太割譲のみでどうでしょうか」
小村外相は最終提案を行った。
その提案にウィッテは同意した。
ウィッテの下には、露皇帝からの不承不承の末に南樺太の割譲を認めるという回訓が届いていた。
この瞬間にポーツマス条約は事実上締結された。
細部でまだまだ詰めないといけない点は残っている。
だが、大筋では日露間の合意がなされたのだ。
小村外相とウィッテ全権大使は握手を交わした。
日露戦争の講和条約の細部を詰めるのには意外と手間取った。
9月1日に講和条約の正文がようやくまとまり、小村外相とウィッテ全権大使は講和条約に調印した。
この瞬間に長きにわたる日露戦争は終結を迎えた。
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