第4章ー15
ポーツマスにいる小村外相の下には外務省から日本本国の情勢報告が届いている。
当然その中には世論の動向(実際には新聞の論調だが)も入っているのだが、4月に最初の交渉が始まってから7月になる内に、世論の動向は少しずつ大人しくなっているように小村外相には見受けられた。
最初は領土として沿海州からカムチャッカ半島も全て寄越せ、更に賠償金は最低で30億円、いや50億円は露に払わせろという強硬論が目立っていたのだが、領土も賠償金も最悪の場合は譲歩してもいいという意見が出だしているようなのだ。
露のウィッテ全権大使の強硬姿勢から考えると、世論の軟化は交渉妥結には望ましいところなのだが、小村外相の政治嗅覚は別の臭いを嗅ぎつけつつあった。
「誰かが暗躍している。しかも、外相である自分を無視して、外交を行おうとしている。誰がそんなことをしているのだ」
小村外相は癇に障るものを感じたが、ポーツマスにいては何もできない。
隔靴掻痒の思いをしながらも、小村外相はウィッテ全権大使との交渉を行わざるを得なかった。
小村外相は7月に入ってから、何度目かになる(自分は数えるのをとうに止めた)露に対する領土割譲と賠償金の支払いに関する講和条件の交渉を行おうとしていた。
今の最新の提案は、樺太全土を日本が占領していることを背景にしたもので、北樺太を日本は露に返還する代わりに賠償金を露は支払うこと、南樺太は日本に割譲されることという提案だった。
ウィッテ全権大使はその提案を冷笑して突き返した。
「我が国は後10年でも戦い続けて見せます。何故、不本意な条件で講和せねばならないのです。モスクワとサンクトペテルブルクに日章旗が翻っても我が国は講和する必要はありません。日章旗を翻した日本軍はナポレオンの遠征軍と同様の運命を辿るでしょう」
小村外相は、思い切り歯ぎしりしたが、実際問題として日本軍にモスクワまで進撃する能力なんてあるわけがない。
英仏土にサルデーニャまで加わったクリミア戦争でも露の首都には一指も触れられなかったのだ。
更に米国世論は、日本に対して冷たくなる一方だった。
日本の新聞報道は露に悪用され、日本の戦争は金目当てで、賠償金が手に入らないと講和するつもりは日本は無い、現状認識が出来ていないにも甚だしい、露はナポレオンのモスクワ遠征でも賠償金を支払わなかったことくらい誰でも知っていることなのに、賠償金支払いを叫ぶとは黄色人種には精神病があるのではないか、とまで書くイエロージャーナリズムが現れる有様だった。
このような情勢を受けて出されたルーズベルト大統領から小村外相宛への親書には、日本の新聞社が現状認識をするように日本政府から働きかけるべきだとまで書かれていた。
これに対し、小村外相は憲法上、日本は言論の自由が米国と同様に保障されている以上、そのようなことはできないと猛烈に反論した。
だが、このことはルーズベルト大統領の心証を損ねるだけになった。
ルーズベルト大統領は自分はもう日露間の講和交渉から手を引きたいと発言しだした。
最早、米国では日露間講和の斡旋をすることは手に余るというのである。
だが、米国以外に日露双方から仲介者として信用される国は無かった。
(厳密には独が仲介者として名乗りを上げていたが、独皇帝が中立で誠実な仲介者だと日露共に思わなかったし、日露それぞれの同盟国の英仏も独の仲介は拒絶すべきだと助言した)
結局、小村外相は、ルーズベルト大統領に日露講和の斡旋をあらためて頼み込んだ。
気が付けば、日露講和交渉は8月に入っていた。
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