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第4章ー8

 満州の海兵師団司令部では、バルチック艦隊が無事にナホトカに入港したことを知ると騒然となった。

 満州軍総司令部も同様だった。

 まさか、停戦協定を悪用されるとは思わなかった、停戦協定を即刻破棄すべきだと強硬論が共に噴出した。


 土方勇志少佐もバルチック艦隊が無事に入港したという事実を知って、激怒した内の1人だった。

 同様に激怒した岸三郎中佐や黒井悌次郎大佐と共に海兵師団長の林忠崇中将に停戦協定を破棄して、戦争継続を強硬に訴えたが、林中将の態度は3人からしてみれば裏切りにしか思えない態度だった。


「停戦協定を破棄して戦争継続だと、馬鹿も休み休み言え」

 林中将は3人を一喝した。3人の中で最上位の黒井大佐が林中将の一喝に辛うじて抵抗して発言した。

「しかし、露の態度は余りにも許せません。停戦協定を破棄して、戦争を継続すべきです」


「金が無いのにこれ以上、日本が戦争できるか。西南戦争で西郷軍が負けたのはそれだ。短期戦なら何とかしのげるが、長期戦となると金が無い方が必敗になる。それくらい分からんのか」

 林中将は3人に追い討ちをかけた。

 戊辰戦争以来の戦歴を誇る林中将の格からすれば、3人は子どもに過ぎない。

 3人共林中将の叱責を受けて、意気消沈した。

 その様子を見て、林中将は態度を和らげた。


「だが、このようなことをされて許すわけにはいかん、というのはわしも同感だ。国力を貯え、いずれはこのようなことのないようにせんといかん」

 林中将は言った。

 3人は顔を上げた。


「今は我慢するしかない。将来に備えよう。いいな」

「分かりました」

 3人は林中将の前を辞去した。


 やれやれだ、林中将は3人が去った後で内心でため息を吐いた。

 懐には海兵師団長必親展と書いた本多幸七郎海兵本部長からの書簡が仕舞われている。

 後、もう1回読んで内容を完全に暗記できた自信が自分につき次第、焼却処分する予定だった。


 本多海兵本部長は、日本国内の奉天会戦後の熱狂を伝え、ここでバルチック艦隊に対して海軍が勝利を収めた場合、最早、日露戦争の講和はできない可能性を示唆していた。

 領土も賠償金も共に手に入れ、戦費を完全に賠償金で賄えるようになるまで一切の講和は拒否すべし。

 露がその条件を呑まないならば、露がその条件を黙って受け入れるまで戦争をして、場合によっては、サンクトベテルブルクに日章旗が翻るまで戦争を続けるべし。


 例の対露強硬意見を書いた七博士等が世論を煽っているらしい。

 まだ、日本が侵攻すらしていないカムチャッカ半島や沿海州を日本に割譲させろと多くの新聞では叫んでいるとか。

 日本の国家予算は約2億6000万円で、おそらく13億円ほど戦費に掛かっているので、その2倍以上の30億円は露に賠償させろとか同様に多くの新聞が叫んでいるとか。


 林中将の目からすれば、こういう記事を書く新聞記者は狂ったとしか思えなかった。

 本多海兵本部長によると、こうして世論を煽って、政府批判を行うこと自体が目的と化しているらしい。

 林中将も本多海兵本部長の見立てに同意せざるを得なかった。


 そんな講和を露が受け入れるわけが無かった。

 露の首都どころか、ウラジオストックなりハルピンなりの攻略さえ今の日本の国力では困難だ。

 それなのに、そこまで叫ぶのか。

 できない場合は、大山巌元帥や児玉源太郎大将を叩くのか、林中将にはどうにも許せない主張にしか思えなかった。


 バルチック艦隊の脅威を前にして、ようやく一部の新聞記者の頭は冷えつつあるらしい。

 ここでバルチック艦隊を撃滅していたら、多くの新聞記者が更に賠償条件の引き上げを叫ぶだろう。

 日本を滅ぼすつもりか、と林中将は憤りすら覚えた。

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