8(ノンナ視点)
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「黒い炎に包まれたのはテントだけじゃなかった。メイア様がついさっきまで治癒していた王子と護衛たちもだった」
ジャーキーを噛みながら、イーディス様は流れる外の景色に目を向けているようで見ていない。
「敵陣にも黒い炎が見えた。あたしゃ、今でも覚えてる。あの時の人が焼ける臭いを。治癒魔法はきかなかったさ。水だってかけても何の意味もなかった」
そういえば戦争ってどうやって終わったんだっけ? 結局和睦したんだよね?
「なすすべもなく一日中黒い炎は消えなかった。多分、メイア様の魔力が尽きるまで燃え続けたんだろう。火がやっと消えた頃にはメイア様は夫の亡骸に抱き着いたまま亡くなっていた。テントと伝令の兵士は燃えたが、メイア様と夫は燃えていなくてね。あとはせっかく治癒された王子と護衛たちも亡くなったさ。敵陣にも被害が相当あったようでね、黒い炎に恐れおののいた敵国とさっさと和睦を結んだわけだ。戦争ってのはあれだけドンパチやっといて、あんなにお互い殺しあっといて、あんなにあっさり終わるのかとやるせなかったよ」
「ミュリエルは死んでません」
「ペトラ、落ち着きな。今回は状況が違うよ、別にミュリエルが死ぬ話をしてるんじゃない」
強い口調のペトラ様に対し、イーディス様は呆れたように言った。
「黒い炎で戦争が終わったなんてどの本にも載ってませんでした」
ギスギスした雰囲気の中、ノンナは恐る恐る口をはさむ。
「そりゃあそうさね。どっちの国もよく分からない黒い炎が怖くて和睦しました、なんて言えるわけないだろ。かなり被害が出てたからそんなんじゃ国民が納得しない。だが、お互い戦争はやめ時だったんだよ。金銭的にも被害状況を見ても。これ以上長引くとお互い損害が拡大するだけって、適当にいくつかお互い条件つけて和睦して逃げ帰っただけさ」
イーディス様はやっと懐にジャーキーの入った袋をしまった。手が震えていたのは気のせいではないだろう。
この人は、ジャーキーでも食べて紛らわせていないと過去を語れなかったのかもしれない。
「今回は少しの時間で炎も消えて、ミュリエルも生きてる。だが、ミュリエルが聖女のままでいられるかは分からん」
「はぁ?」
ペトラ様、気持ちは分かります。痛いほど分かります。しかし、素が出てます。めっちゃくちゃ怖いです。危機はひとまず去ったので落ち着いてください。
「あの黒い炎は、元は治癒魔法。治癒魔法になるべき魔力が呪いに変換されたようなもの。黒い炎を出現させた聖女が聖女のままでいれるかは分からん。メイア様は死んでしまったしな。ミュリエルがこれまで通り治癒魔法が使えるのかも分からん」
「悪いのはミュリエルを傷つけたレックス・スタイナーだろ。それにミュリエルが起きれば治癒魔法が使えるかどうか分かる」
「まぁね、それはそれだ。あとは最悪なことに、メイア様が黒い炎を出現させた後から集められた聖女候補たちの力はとんでもなく弱くなっておった」
「はぁぁ?」
ペトラ様、落ち着いて。
そういえば……イーディス様が高齢なのにまだ現役なのは聖女が不足しているという問題が背景にあるんだった。戦後から聖女の力は劇的に弱まったんだっけ。
ミュリエル様とペトラ様ほど力のある聖女は最近では珍しい。
「聖女メイア様を不幸にしたから神がきっと怒っておるんだろう。ラルスは常々そうこぼしておった。聖女を不幸にしたら次代以降の聖女の力も弱まるんではないか、とな。だから、あやつは聖女を大切にしておる。聖女の幸せだけを願っておる」
ラルス神殿長も何歳なのかしら……。イーディス様と同じ戦争経験者って聞いてるけど、元気すぎるでしょ……。あと、幸せを願っているっていっても筋トレさせるのはいいんだね……。傍から見ていても聖女ってきついから筋トレしておいた方がいいのは分かるけど。
「ミュリエル以降の聖女も力が弱まるかもしれん。もしかしたら聖女が出てこんかもしれん。ペトラ、覚悟は必要だよ」
「何の覚悟ですか?」
ペトラ様のぶっきらぼうな問いにイーディス様は笑った。目じりに皴がクシャっと寄る。
「あたしみたいにずぅっと聖女をやるか、そうでないかだよ。まぁ聖女という存在がなくなるかもしれんがね。あたしはメイア様の夫を救えなかったからね、だからずぅっとガラでもない聖女をやってんのさ。レックス・スタイナーに治癒魔法がこのまま効かなければ、いずれあれは死ぬ。そん時にミュリエルがどうなるか……あたしゃ分からんよ。無駄に長く生きてるが全く分からん」
イーディス様は笑いながらも目には涙が光っていた。
「神が本当にいるなら教えて欲しいよ。黒い炎を二度も経験させて、あたしに何を望んでいるのか。メイア様もメイア様の夫も救えず……小娘のミュリエルは生きてるけどどうなるか分からない。そりゃあ全員救うのが無理だってのは分かってるよ。でも、こんなのはあんまりだ。なんで力が大してないあたしなんかを神は生かしたんだい。何度でも考えてるよ、あたしがあの時死ねばよかったってね」
イーディス様の目に涙が光ったのはわずかな時間だった。悲痛な発言の後、イーディス様は深呼吸してすぐに背筋を伸ばす。
ペトラ様も私も何も言えなかった。何か言っても全部その場しのぎのような気がしたから。イーディス様の発言はそんな悲痛な叫びだった。
「話は以上だよ。今日の件は他言しないように。いいね? ま、どうせ誰も信じないだろうがね」
神殿に到着すると、シャンと背筋を伸ばして馬車を下りてツカツカ歩いていく。いつも見る聖女イーディス様だ。その姿はただただカッコよかった。




