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「愛してくれていないのはミュリエルだろう?」
「え?」
「ミュリエルは信者と同僚のことばかりだ。全然僕のことを愛してくれていない」
レックスは何を言っているんだろうか。
公爵が首を振って立ち上がるが、それを義母が制するのが視界に映る。
「どういうこと? 私は仕事だってこなしてるし……聖女だからもちろん信者や重傷者・重病人のことは気にかけているけど……」
「そういうところ。信者や聖女ペトラの同僚の話ばかり聞いて、僕の話は聞いてくれないじゃないか」
「家で聞いているじゃない」
「だからぁ、僕は他の令嬢に話を聞いてもらってたんだよ。ミュリエルが100%僕に向いて愛してくれていればそんなことはしなかったさ。君は僕だけの聖女のはずなのに、たくさんの人を癒しているからね」
それは私が聖女なのがいけないのだろうか。
家でレックスの話を聞くだけではいけなかったのだろうか。そもそもレックスが帰ってこない時は聞きようがない。
「レックスは私に仕事に行ってほしくないということ?」
「そうじゃないよ。聖女という肩書は必要だ。それに頼んだ仕事を以前はやってくれていたのに、最近ではやってくれないし。いつもイザークがやって提出しに来る」
「それは体調が思わしくなかったからよ」
「でも回復したら僕のためにやってくれてもいいだろう。前はやってくれてたのにもうやってくれないなんて、僕のことを愛してないからだよ」
ミュリエルがすべて悪いとでもいうように、レックスはナイフとフォークを置いてふてくされている。
「それで他の令嬢と出かけていたの?」
「そうだよ、ミュリエルは僕より他人に時間を割くのが好きみたいだから。でも、ミュリエルは僕が誰かと出かけても前ほど怒ったり縋ったりして来なくなった。ばったりカフェで会っても完璧にフォローして『私は気にしていません』って顔をしているし。僕のことを愛しているなら平気じゃないはずだ」
「平気だったわけじゃないわ、あんなところで騒ぎたくなかったのよ」
「結局、君は休みの日でも誰かの聖女様なんだよ。僕だけの聖女じゃない。それに、子供なんてできたら君は僕よりも子供を優先するだろう。だったら、適当な女を愛人にして子供を産ませればいい。君は世話しなくてもいいし」
話が通じない。レックスはあくまで被害者という立場でいる。
「他の令嬢と浮気したり、愛人を囲ったりすれば私が傷つくと思わなかったの?」
「それでミュリエルが僕だけを愛してくれればそれでいいよ。こんな僕でも愛してくれるんだって自信になるからね」
ミュリエルは手首を刃物で突くほど悩んだ時期もあったのに。
レックスはまるで無償の愛を求めるひな鳥のようだ。もっと愛して、もっと愛して、こんな自分でも愛してとずっと口を開けている。
ミュリエルがどれだけ頑張っても「もっともっと」「僕を愛しているならこのくらいしてくれるよね」と求めているのだ。
ミュリエルが好きになったのはこんな人だったのだ。
ミュリエルをどれだけ傷つけても、自分が愛されればそれでいい人なのだ。そしてレックスは愛で決して満たされることがない。満足しない。
ひたすら「こんな自分でも愛してくれるか?」とミュリエルに突き付けてくる。
あぁ――疲れた。
私はこんな人のためにずっと頑張ってきたのか。
シシリー嬢にハサミを向けられた時だって本当は守ってほしかった。レネイ嬢に挑発された時だってかばってほしかった。愛人なんて作ろうとさえ思ってほしくなかった。
「ミュリエルが僕だけを愛してくれるなら、あの愛人候補は捨てるよ。要らないし。お金で動いてくれて都合がよかったから候補にしただけ。顔も頭もたいしたことはないけど、僕に寄り添ってはくれたからね。でも、それだけだ」
簡単に捨てるなんてどうして言えるのだろうか。
この人に死ぬまで私は付き合うの? いつか捨てられるかもしれないのに?
聖女でなくなったら真っ先に捨てられるかもしれないのに?
「ねぇ、ミュリエル。僕を捨てないで。僕の聖女様」
レックスの縋るような目。
違う。私はこんな目で見られたかったわけじゃない。「せいじょさま……ありがとう」って安心したように微笑んでくれたのが嬉しかったのに。
レックスも独占欲の塊だ。
ミュリエルに聖女を求めてくるけれど、ミュリエルが他人を癒すのには嫉妬する。
自分だけの聖女にしたいのだ。
ミュリエルはぞっとした。
こんな人のためにこれまで頑張っていたなんて。ミュリエルはレックスのために聖女になったわけじゃない。聖女であることに誇りは持っているつもりだ。
こんな人のためにミュリエルは傷ついてきたのだ。手首を突いて天井に血が跳ね散った時、ミュリエルの心の大事な部分も失われてしまった。
どうして私ばかり傷ついているのだろう。なんで私ばかり頑張っているのだろう。
なんでレックスはそんな呑気な顔をして笑っているの? 私はこんなに傷ついているのに。
「ミュリエル?」
名前を呼ばれても嬉しくない。見つめられても、もう胸は高鳴らない。
むしろ――今は目の前のレックスが憎くてたまらない。
彼は、一人の女に向き合ってくれない男なのだ。ミュリエルが一心に向いていた時は他の令嬢に逃げていて、ミュリエルの注意が他に向けば問題を起こしてでも追いすがってくる。そんな人がミュリエルの人生に必要なのだろうか。
「呪われてしまえばいい」
「え?」
「腰抜けスタイナーなんて呪われてしまえばいい」
口からそんな言葉がもれた途端、ミュリエルの体から抑えきれない魔力が零れた。




