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ペトラの結婚式の翌日、ミュリエルは公爵邸に持って帰るものを選別していた。
ずっと神殿に泊まりこんでいたが、回復したので久しぶりに公爵邸に戻るのだ。ノンナが恥ずかしそうにくれたショールを早速羽織る。
迎えに来てくれたのはイザークだった。
夢の内容を思い出してどんな顔をしていいのか分からないミュリエルに対し、イザークはいつも通りだ。
見れば見るほど、夢の中のアイザックという男性はイザークにしか見えない。夢を見た後はとても懐かしい気持ちになった。どうしてあなたのことを忘れていたのだろう、あんなに一緒にいたのに。そんな気持ちだった。
いつかは分からないがミュリエルは自分の前世だとなぜか確信していた。でも、イザークにいきなりこんなことを言ってどうするのだろう。そもそもミュリエルはすでに結婚しているのだ。
馬車に揺られて少しうとうとした。
相変わらず馬車に轢かれた男性の手を握っている夢を見た。ミュリエルが泣き崩れてアイザックに縋りつくところで終わる。
ガタンッ
大きな音がしてハッと目を覚ます。
馬車は止まっているが、いつもの停車音ではなかった。
事故だろうか? 夢で馬車の事故を見ているせいか、嫌な予感に指先が冷たくなる。状況が分からない中、ノンナのくれたショールを前でかき合わせた。
馬車の扉が開いてイザークが顔をのぞかせる。
「子供が飛び出してきて急停車しました。申し訳ありません。すぐに出発します」
「そう。その子に怪我はないの?」
「すぐ止まったので大丈夫です」
「良かったわ。ありがとう、アイザック」
先ほどまで夢をみていたせいだろうか。うっかりイザークを違う名前で呼んでしまった。
普通違う名前で呼ばれたら誰のことだろうと不思議そうな表情をするか、間違えられた不快感でも出るだろう。でも、イザークは驚きの表情を一瞬浮かべた。
「あ、間違い……」
「なぜ、それを……」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
何事もなかったようにイザークは扉を閉め、馬車は出発した。
イザークの反応は一体、何だったのかしら。
「レックスと旦那様は領地の問題に対処しに行ったわ」
レックスにどんな顔をして会えばいいだろう、仕事はとにかく早く片付けようと公爵邸に戻ると義母からそっけなく言われた。
「しばらく戻っては来ないでしょう。あなた、もう食事はしっかり摂れるの? 消化に良いメニューにしているけれど足りなさそうなら侍女に伝えて頂戴」
分かりづらいものの、義母は心配してくれているのだろう。いきなり優しくされてもこれまでの積み重ねがあり気味が悪いので、義母との距離はこのくらいがちょうどいいのかもしれない。
***
「金に困った男爵家の娘を愛人として囲おうとしている動きがあります」
第三王子からもらった情報の裏取りをして、イザークは公爵夫人に報告する。
公爵夫人の言った通りにレックスが愛人を考えていたことには驚いた。
「じゃあ、あの子はお金を出すわけね」
「そのようです。金さえ流さないようにすればこの動きはなくなると思うのですが」
「じゃあ、そこは私が動くわ。よく短期間で調べたわね」
男爵令嬢は特に何かをねだることもなく、自己主張の少ない従順な娘だ。学園時代に遊んでいたのとは逆のタイプなのでノーマークだった。
ルーシャン王子が情報をくれなければ、もっと時間がかかっていただろう。あの王子は王家の犬にエティス嬢が図書館で借りた本のタイトルや、雑貨屋で買った安いピアスのことまで報告させていた。正直、イザークはかなり引いた。エティス嬢のことをしらみつぶしに探るより先にやることがあるだろうに。
「相も変わらず、嫌になるくらい旦那様に似ているわね。あの人は家庭が息苦しくて、寄り添って話を聞いて頷いて優しくしてくれる女のところに逃げたのよ。自分に意見しない従順な、爵位もプライドも低い娘を愛人に選ぶの」
「ご自分が妻に寄り添わないのに、ですか?」
公爵夫人は微笑んだ。
「あなたは素直でいい子よね。婚約者の時と結婚して数年の時はできても、そこからだんだんできなくなるの。なぜかは分からないわ。結婚の呪いなのかしら。確かに存在したはずの愛が憎しみに変わるのよ」
「公爵様のことはもう全く愛していないということでしょうか?」
微笑んでいる公爵夫人に聞くのもどうかと思いながら、聞いてしまう。
「どうなのかしら。話し合うことは諦めているけど……まだ愛しているからこんなに苦しんだと思うわ。私は両親に『お前が公爵夫人になるなんて絶対苦労するからやめておけ』と反対された。でも押し切って旦那様を選んだ。だから実家に逃げ帰ることはできない。逃げたくなる時もあるけれど、逃げたら旦那様を喜ばすだけでしょう? それは許せない。絶対に許せない。愛人のどれかと再婚することも許せないし、旦那様だけが苦しまず得をすることも許せないわ」
諦めているけれど垣間見える強い執着。執着が強くなりすぎると、それはよく知らない第三者から見れば愛にも見えるのだろうか。




