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ミュリエルが回復して起き上がれたのは、ペトラの結婚式の数日前だった。ギリギリである。
レックスが見舞いに来たのは最初ともう一度だけ。仕事の進捗を聞かれたが、書類が届いていないのでどうしようもない。ミュリエルが素直に答えると、レックスは「気にしないで」と言いながらもやや不満そうに帰っていった。
義母かイザークが止めているのだろうか。義母に叩かれても結局レックスはミュリエルに仕事を任せるつもりだったようだ。レックスにとってミュリエルは仕事を任せる便利で聖女な妻なのだろうか。
心が痛いということはない。流産したと聞いた後、ベッドに寝ていろいろ考えながらいつの間にかミュリエルの感情も一緒に流れて行ってしまったようだ。
今日はルーシャン殿下がやってくる日だ。
あの爆発事故があり、前の訪問から少し間が空いた。国としての処理で忙しかったのだろうか。ルーシャン殿下はすぐ見て分かるほど萎れている。背負っている空気がよどんでいて、ため息が多い。
「魔力が増えている」
「え? てっきり減っているかと思ったのですが……」
「前の二倍とはいかないまでも増えている。聖女ペトラは……変わらないな」
魔力測定装置は神殿にもあるが、殿下が持っているのは魔法大国のアンフェリペ帝国で作られた装置だ。殿下が持っている方が数値としては信ぴょう性が高いとされている。
「聖女ペトラはこちらを見てくれ」
爆発事故に対応した褒章だろうか。紙を見てペトラの目が分かりやすく輝く。
「もう一度測ってみよう。あ、やはり増えてるな」
いつもは聖女の魔力測定は別々で行うのだが、ペトラの結婚式を控えている準備もあり短時間で終わらせるため今日は一緒にしている。
「聖女ミュリエルもこれを」
同じように紙を渡された後、測定するがミュリエルの魔力の数値は変わっていなかった。
「う~ん、なんで増え続けるのか……」
ルーシャン殿下はブツブツ言いながら資料を見比べている。
「ミュリエル、神殿長が呼んでたからもう行きなよ。殿下にはアタシが付き合うからさ。ヤだけど」
「あら、そうだったのね。じゃあ行かないと……殿下失礼します。ペトラ、あとはよろしくね」
正直すぎるペトラに苦笑しながら、殿下に礼をして部屋を後にした。
***
「ねぇ、あんた。ため息ばっかりで失礼じゃない? ミュリエルはつい数日前まで寝込んでたってのにさ。それが病み上がりっつーか、魔力切れまで働いた聖女に対する王族の態度なわけ?」
ミュリエルの足音が遠ざかるのを確認してペトラは口火を切った。ルーシャンは何か言いたそうにミュリエルの出て行った扉を見ていたが、ペトラに慌てて向き直る。
「そんなにため息をついていたか?」
「うん。はぁはぁはぁはぁ、老犬みたいにうっさいのよ」
容赦のないペトラにルーシャンはため息を吐く。ルーシャンの護衛も同じ部屋にいるのだが、相手が聖女なので表情を固まらせる以外何も行動できない。
「傷ついてるミュリエルの前でよくもまぁそんなため息つけるもんよね。王子でしょ。ちったぁ我慢しなさいよ。ガキなの? ミュリエルに対する嫌味? 妊娠してたならもっといろいろ研究できたのにってか?」
「いや、そうじゃない」
「そうじゃないならため息なんかつくなっての。病み上がりの人間に心配してほしそうにアピールしてんじゃねぇよ」
「そんなつもりはなかった……申し訳ない」
ペトラは王子相手に怖いものなしだ。不機嫌そうにそっぽを向く。
王子の護衛はそんなペトラを見て全員青ざめる。
「で、もう終わり?」
「いや……君は分かりやすいんだが、聖女ミュリエルの魔力が増える理由が分からない。てっきり減っていると予想していたんだが」
「あっそう」
「何か心当たりはないか?」
「あったところであんたに言うかは別よ」
ペトラの言葉にルーシャンは眉を顰める。
「治癒魔法の研究は国にとって重要だ」
「国にとってかどうかなんて知らないけど、あんたにとっては重要なんでしょうねぇ。アタシはどっちでもいいわ。聖女がいなくなろうと、治癒魔法が消えようと、あんたの研究が失敗しようと。知ったことじゃない」
「それはあまりに無責任だろう」
ルーシャンの発言にペトラは声をあげて笑った。
「無責任? どこが無責任なの? 聖女は治癒魔法に責任とらなきゃいけないわけ? 研究には協力してて、治癒魔法も同意が取れた人にだけ使ってる。他にどこに責任取るの? あ、神殿前で抗議してる人にも謝れって? 前の聖女様の治癒魔法で回復力落ちて死んでしまってごめんなさいって?」
ルーシャンは反論しようとしたが、ペトラは研究自体を拒否しているわけではない。嫌そうな態度を隠しもしないものの、ちゃんと研究には協力している。
「頼む。聖女ミュリエルの魔力がなぜあれだけ増えるのかが分からないんだ。何か心当たりがあるなら教えて欲しい。覚醒のヒントにもなるかもしれない」
「でもさ、結局一人一人違うじゃない。アタシやミュリエルや聖女候補の子たちが肉を食べたところで、イーディス様のように魔力が増えるわけでもない。給料増やしたところでアタシ以外の聖女や聖女候補たちの魔力が増えるわけじゃない」
「そうだが、可能性があるなら試す」
「ふぅん。でも、アタシは王子様の研究よりもミュリエルが大事だから」
ペトラは立ち上がる。
「ミュリエルのことを真っ先に案じずにため息ばっかりついていた自分だけが可愛い王子様には、絶対教えてあげない」
「待ってくれ!」
ルーシャンは出て行こうとしたペトラの腕を必死でつかむ。
「そこは謝る! 婚約者に愛想をつかされて婚約を解消されそうでっ! それでっ!」
「あっそうなの」
神殿長に筋トレさせられているペトラの方が、研究に没頭している王子よりも力が強い。
ペトラは難なく、王子の手を掴み上げた。護衛たちは一歩踏み出したがそれ以上はペトラに睨まれて動けない。
「別にあんたの事情なんか聞いてないよ」
相手が王子でなかったら床にたたきつけているが、さすがに王子相手にはやめておく。腕が執拗に捻りあげているが。
「あれもクソ野郎だけど、あんたもクソ野郎だね。みんな自分のことばっかり。金や明日の食事の心配しなくっていい尊いご身分なら、ちったぁ人のことも考えてみたら?」
ペトラはようやくルーシャンの腕を放した。
「ひもじかったこともない、殴られたこともない、いつ追い出されるか捨てられるかビクビクしたこともない。そんなストレスもないのにあんたは立派なクソ野郎だ。王族も孤児も何が違うんだよ。なーにが尊い血だよ。アホみたい。やっぱりアタシの人生に男はいらない」
契約書を作っといて良かったと呟いて、ペトラは言いたいことは全部言ったとばかりに出て行った。




