7(イザーク視点)
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イザークは目を疑った。自分はあの夢を見るせいで寝不足で、頭と目がおかしくなったのだろうか。
今、この男は笑わなかったか?
スタイナー公爵は仕事のため、公爵夫人とレックスが神殿に到着し別室で医者の話を聞く。
公爵夫人は話を聞いて何も喋らず青い顔をしていた。レックスはどんな顔をするだろうか。
昨日、イザークはミュリエルが自分の腕の中で意識を失ってから気が気ではなかった。眠れなかった。
夢の中とは逆で、彼女が死んでしまうかもしれない。そんな最悪の事態まで考えた。
レックスは医者からミュリエルが流産したと聞くと……顔を伏せて口角を上げて笑ったのだ。
イザークは最初見間違いかと思ったが、間違いなくレックスは笑った。そしてすぐ悲し気な表情を作ると、医者に丁寧な礼を言った。
「お疲れ様。イザークも大変だったな」
「聖女様ほどではありません」
レックスはイザークを労わったように見えた。言葉だけだったが。
レックスがミュリエルに場違いな発言をして神殿を追い出されてから。
公爵夫人がミュリエルと話したいというので、イザークはレックスとは別で一度スタイナー公爵邸に戻ることにした。
気は進まないが、母にミュリエルに起こったことについて手紙を急いでしたためる。母なら恐ろしく気の利いた見舞いの品を今日中に手配するだろう。
公爵邸に一歩入ると、空気がピリピリして冷たい。一足先に帰っていたレックスの護衛から話が回ったようだ。
侍女に頼んでミュリエルの衣類などを用意してもらう。「私もついていった方がお世話できます」と言い出す侍女もいたが、神殿内のミュリエルの部屋には出入りできる人間が限られるので無理だろう。イザークに決定権はないので、神殿と公爵夫人に聞いておくと話しておく。
料理人にもミュリエルが好きなものを頼もうと思ったが、すでに準備に取り掛かっていた。屋敷全体の空気がいつもより重い。だが、皆ミュリエルを心配して先回りして何かしようという空気だった。
彼女がいないだけで公爵邸はこんな風になるのか。
ミュリエルは見かけるたびに公爵邸では難しい顔をしていたのだが、使用人には予想よりも彼女に寄り添う人が多いようだ。公爵夫人付きの侍女がおかしかったのか、それとも今回の件で皆なにか思うところがあったのか。
意外に思いながらレックスが仕事をしているはずの執務室に足を向ける。レックスは一人、窓の外を見ながらふてくされていた。
「どうして聖女様にあんなことを?」
「ミュリエルに任せている仕事には期限があるから、神殿に持って行った方がいいだろう」
あぁ、この人はダメだ。
イザークは昨日からミュリエルに何もできない自分に対して失望していたが、レックスにも激しく失望した。まだこれほどレックスに失望できるとはイザークも思っていなかった。
イザークから見て、レックスは学園時代から怠惰な人間だった。
大っぴらに怠けるのではなく、巧妙に手を抜く。そしてその手抜き分は誰かに回ってくる。外面がいいから気付かれにくく、家柄のこともあるので面と向かって文句は言いづらい。
レックスは外見と家柄で令嬢たちから人気はあったが、手抜き分を押し付けられら令息たちからは嫌われていた。
「ご気分はどうですか?」
「良くはない」
非力な公爵夫人の平手打ちなど可愛いものだが、イザークは一応キッチンでもらった氷嚢を渡す。
レックスは当然のように受け取った。残念ながら誰も用意してくれなかったようだ。
「子供ができたらミュリエルはそちらにばかり構うだろう」
「……はい?」
「ミュリエルは聖女だ。信者にばかり構っている」
まさか……この男は……いやそんなまさか。たったそれだけの理由で……。
「他の令嬢に構っていたら僕のことだけ見てくれたのに。あの時は僕だけの聖女様だったのに。子供ができたらそちらにばかり構うだろうから、ダメじゃないか」
イザークは怒りで震えそうになるのをなんとか抑え、平静を保つ。
「さようですか。母親になると子供が一番になる方も多いでしょう。この書類はどうされますか?」
「書類も持って行ってくれ。ミュリエルだって回復したら暇だろう」
書類は回収したが、イザークは自分がやるつもりだった。筆跡ですぐにばれるから、レックスに文句を言われたら公爵夫人か公爵に言えばいい。公爵夫人もあの様子なら認めてくれるだろう。
「ミュリエルは僕のためならやってくれるさ」
レックスのそんな言葉には答えず、イザークは礼をして執務室から早々に退散した。
レックスは独占欲の塊だった。いや、信者などに優しくするミュリエルに嫉妬していると言ってもいい。
特に体の関係や愛人関係になるわけでもないのに、レックスが令嬢たちを構うのが疑問だった。レックスはミュリエルに見てもらうために令嬢たちを利用していたのだ。ミュリエルの耳に入ると分かっていて。傷つけると分かっていて。
そのくせ、こんな時にミュリエルと向き合おうともしない。傷ついた彼女に寄り添う方がよほど女性としては嬉しいと思うのに。
レックス・スタイナーは確かに腰抜けだ。自分の弱さを直視するのが嫌で、妻に対してきちんと向き合えないのだから。
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