19(イザーク視点)
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「イザーク! 私がお茶会に参加すると知っていながら帰ってきたのね!」
「そうじゃないですよ」
イザークが侯爵家に帰ると、母の叫びが飛んできた。
「まったく。普段は全然帰ってこないくせに! 私があまり屋敷にいない日を狙って帰ってくるんだからさすがに分かりますよ!」
「最近忙しくて。昨日は神殿に泊まりこみでした」
母であるホルフマン侯爵夫人の目がギラリと光る。母は兄嫁とともに社交に慈善事業にと忙しい。お茶会に出かける日だと知っていて、イザークは帰ってきたのだ。
「あら、そうなの。ふぅん。で、最近どうなの? あの腰抜けスタイナーは」
母は慈善事業をよく行うので、神殿に傾倒している。
スタイナー公爵家で働くことを最後まで反対したのは父だ。母は腰抜けスタイナーのことは嫌いだが、聖女様の役に立つことが少しでもあればと賛成して後押ししてくれた。
「注意し続けていたら補佐を外されることが多くなり、聖女様の護衛に回された話はしましたよね?」
「えぇ、聞いたわよ。良かったじゃないの。あのレックス・スタイナーってあなたより出来が悪いじゃない」
「それは親の欲目です」
「あら、学園の成績はあなたの方がずっと上だったわ。イザークは天才肌だもの」
「実務と学園の成績は違います」
「そんなことは今はいいわ」
イザークは仕方なく、レネイ嬢の話と下働きのノンナの話をした。
「はぁ、腰抜けの癖に女好きよね」
「体の関係はありませんよ」
「でも、辛くなったら女に逃げるのでしょう」
「いや……そこまでは聞いたことがないので、あの方の心の内は分かりません」
イザークが補佐として働き始めてからも、レックスは令嬢と手紙のやり取りをしたり、ひどいときにはレネイ嬢のように二人きりで会ったりしていた。
イザークは現スタイナー公爵が腰抜けスタイナーの汚名をなんとか返上しようと頑張っているのを知っている。そこは評価している。
ただ、息子のレックスのせいで台無しだ。令嬢と二人きりで会うなど常識から外れている。
イザークが注意し続けていると、レックスはだんだんイザークの存在が煩わしくなってきたらしい。男女関係だけでなく、書類の間違いやらなんやらも注意していたらミュリエルの護衛に回される日が多くなった。
決定打になったのは、イザークが仕立て屋でシシリー嬢を取り押さえた時だろうか。あの時、レックスは明確にイザークに対する劣等感を自覚したのだろう。
イザークが護衛をしている日、レックスは仕事をうまく手抜きして遊んでいる。そういう男だ。
「この前は助かったわ。ヴァネッサ・シシリー嬢について手紙をくれたでしょう。おかげでスタイナー公爵夫人がお茶会でピーピー嘘を言っていたけど潰せたわ」
母はイザークにも受け継がれたグリーンの瞳をキラキラさせて喜んでいる。えげつないことこの上ない。
「聖女様のことを悪く言うなんて。さっさと隠居して領地に引っ込めばいいのよ」
母は怖い。が、ミュリエルが貶められるのはイザークも嫌だ。
イザークが一通り話し終わるのと、侍女が「準備しないとお茶会に間に合わない」と母を呼びに来たのは同じタイミングだった。
「ありがとう。今度はちゃんと帰ってきなさいよ!」
適当に頷いておく。時間が限られていれば、母の回りくどい話を聞かなくて済むのだから、ちゃんと帰ることはないだろう。スタイナー公爵邸で与えられた部屋で過ごすだけだ。
自室に戻ってイザークは適当に本を開く。目が滑って文章が頭に入らない。考えるのはミュリエルのことばかりだ。
学園に入ってからイザークは何度も何度も夢を見た。同じ夢だ。
自分は馬車に轢かれて死にかけている。そんな自分の手を女性が握って涙ぐんでいる。顔はよく見えない。どうやら夢の中で女性は自分の恋人のようだ。
「同じ顔で生まれてくるから、君は来世で必ず見つけて」
自分はそう言い残して力尽きる。
なんとも後味の悪い夢だ。鏡で自分の顔を確認する。夢の中の自分はもう少し老けていたが、よく似た顔立ちだ。
女性の顔はずっとぼやけて分からなかった。
だが、レックスの結婚パーティーに参加した時にミュリエルを見て夢の中の彼女だと分かった。
これまで神殿で遠目に見ていた時は何とも思わなかったのに、結婚パーティーで雷に打たれたように彼女だと分かった。頭では違うと思いたいのに、全身の細胞が彼女だと叫んでいる。
世界は残酷だ。
パーティーでミュリエルは腕を絡ませて、レックスにずっと幸せそうに微笑み続けている。
それだけじゃない。彼女がレックス・スタイナーと結婚? 悪い冗談だ。
イザークは学園で同学年だったレックス・スタイナーをよく見てきた。婚約者が聖女で学園に通っていないからと、婚約者の目がないのをいいことにうまく遊んでいた。
公爵家の後継ぎという地位に女性が憧れる王子様のような顔立ち。年頃の男女が集まる学園でモテないわけがない。そこからチヤホヤされるのが嬉しくなったのだろう。「腰抜けスタイナー」とからかうのは主にイザークたちの親世代だ。
シシリー嬢に「学生時代とは何もかも違う」と偉そうにレックスは話していたが、学生時代から変わっていないのはレックスの方だ。
注意されれば表情には出さないが、プライドが傷つけられたらしく拗ねて、注意した人物をうまく遠ざける。ミュリエルの危機に身を挺する甲斐性もない。
でも、他ならぬミュリエルがレックス・スタイナーとの結婚を望んだのだ。イザークに何も言えるわけがない。
「結局彼女を見つけたのは俺か。俺が間違ってるのか、それとも彼女が間違ってるのか。夢自体が、世界が間違ってるのか」
イザークが見た夢は真実ではないのかもしれない。でも、あの生々しい感覚は本当にあったことだとイザークは信じたい。まるで前世のように。
なら、ミュリエルが結婚相手を間違っているのか。それとも、世界が間違っているのか。
どれだけ考えてもイザークには分からない。




