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「せ、聖女様……」
男性と対面する。やっぱり見覚えがない。
ノンナの結婚相手なら、と考えた。確か靴屋の息子だったかしら? 結婚式の予約が入っていたものね。
結婚式でも聖女には役割がある。それは「聖女の祝福」だ。
これからの花が咲き乱れる季節には結婚式が多いので、訓練した聖女候補も駆り出されて結婚式で祝福を行う。
王都には聖女三人と聖女候補がたくさんいるのですべての結婚式で祝福を行うことができるが、地方で聖女が不在の場合などは結婚式を終えてから祝福をしてもらいに王都の神殿へやって来る夫婦もいる。聖女の祝福は美しいので、新しい門出に皆やってもらいたがるのだ。効果は正直ないのだが、聖女が祝福したという事実が大切でずっと続けられてきた伝統である。
「ひどいお話を神殿でなさるのね?」
さすがのノンナもこの状態では睨んでこないだろうと思ったが、背中に強い視線を感じる。
「彼女と少し喧嘩をしていただけです」
男性はいけしゃあしゃあと言う。
「まぁ、浮気して相手を妊娠させておいて? 少しの喧嘩で済むの? 頭の中が平和だこと」
そこまで聞かれていると思っていなかったのか男性はたじろいだ。
「あなたはどうしたいの?」
ノンナを振り返ると、ミュリエルを睨んでいた。あまりにその視線がいつも通りなのでミュリエルはこんな場だがうっかり感心する。もっと取り乱したり、彼を殴ったりするのかと思っていた。
「ここでこれ以上ごねても得策ではないと思うわ。私以外にも目撃されてしまうから」
ミュリエルは小声で話す。
ノンナはミュリエルを睨みながら、下働きの制服であるエプロンをぎゅっと強く握っていた。目には涙がこぼれそうなほどたまっている。
少し待ってもノンナが何も答えないので、ミュリエルは男性に向き直る。
「実はね、あなた達の結婚の祝福は私が担当だったの」
うん、これはちょっとだけ嘘だ。ペトラかミュリエルのどちらかがする予定だが正式には決まっていない。ミュリエルが嘘をついても新郎新婦には当日まで担当が知らされないのでバレない。
「あなたが結婚をどうするのか知らないけど、ノンナと結婚するはずだった日に違う人と式を挙げたり、あるいは日にちをずらして他の方と結婚式を挙げたりする場合、私は祝福をしたくないわ」
聖女の祝福がない王都の結婚式はそれだけで憶測を呼ぶだろう。だって王都では聖女や聖女候補に祝福してもらえるのが平民でも普通なのだから。貴族なら結婚前に寄付をして聖女をわざわざ指名してくる。
「他の聖女様や候補の方にしていただければ……問題ないです。教えには背いていませんから」
「あら、そうかしら」
一瞬顔をこわばらせたものの、男性は強気だ。虚勢かもしれない。
ミュリエル一人で祝福をストライキしたところで無意味ではある。
それに、この国の神の教えは離婚については厳しいがそのほかについては割と寛容だ。もちろん、浮気や愛人許容なんてどこにも書いてないけど。
「神殿でいつも真面目に働いている彼女をこれだけ傷つけておいて自分だけ幸せになれるなんて、どうなのかしらねぇ?」
さっきは婚約者がいるのに浮気して妊娠してしまったシシリー嬢に親身になっておいて、今は男性ではなくノンナをかばう。ミュリエルは自分の中の矛盾におかしな気分だった。
でも、この男性は全く反省していない。本当にノンナに対して悪いと思っているなら「もうちょっとお前に可愛げがあれば浮気しなかったさ」なんて言わないはずだ。
つまり、この男性はノンナを舐めている。粗末に扱っていい存在と思っている。それは許せない。
「では、ノンナ。冷えてきたからもう行きましょう。慰謝料などの話し合いは後日、神殿の個室で行えばいいわ。神官が記録を取ってくれるもの。私も立ち会うわ」
ノンナの肩にそっと手を置いた。
振り払われたらさすがに傷つくな……と考えていたが、意外にもノンナはうつむいたまま無言で頷いた。口を開いたら涙がこぼれてしまうのだろう。この場で泣かないのは女の意地だ。
ミュリエルがノンナの立場でもここでは泣かない。
「では失礼します」
優雅に見えるに違いない礼をして、ミュリエルはノンナの肩を抱いたまま男性に背を向けた。




