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「お腹に子供がいるのは本当です」
温かいお茶を飲んで落ち着いたのか、レネイ嬢はしっかりした口調で話し始めた。
「ですが、父親はスタイナー様ではありません」
レネイ嬢は私に向かって深く頭を下げた。
「私のエゴにより聖女様に不快な思いとご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございません」
「とりあえず、話をすべて聞かせてくれるかしら? 父親は誰?」
「はい。父親は幼馴染の男爵家の子息です」
「あなたはどこかの伯爵家の嫡男と婚約が決まっていたわよね?」
「その通りです。父の商売関係でございます」
「それはまずいわね」
「はい。そのためにスタイナー様に近付きました」
「それはなぜ?」
レネイ嬢はぎゅっと目を瞑る。やがて観念したように目を開くと、残りのお茶を一気に飲んだ。
「別になんでも言ってくれていいわ。レックスがよく浮気しているから?」
「……浮気とまで言っていいのかはわかりません。スタイナー様は学園時代、よく令嬢と一緒に出かけていました。大抵違う令嬢と出かけているので女好きや遊び人という認識でした」
レネイ嬢は言葉をほんの少し濁した。
「私の妊娠がバレると……我が家に迷惑がかかります。妊娠したことをごまかすには伯爵よりも爵位が上の家との関係が必要でした。つまり、スタイナー様とウワサになれば婚約関係にある伯爵家も何か言い出しにくいですし、最悪愛人ということでごまかせるかと」
「他の方には近づかなかったの? 公爵家の嫡男相手ではリスクが高いわ」
「他の方は……ガードが堅いですし……婚約者の方もよく知っていたので無理でした」
レックスが狙われたのは、レックスのこれまでの所業が問題だったということね。
というか、レックスのガードが緩いということね。
「それならレックスに接触し続ければよかったじゃない? なぜ昨日の今日で神殿に来たの?」
「それは……」
レネイ嬢は再び言葉を濁す。
「気にしないで言ってちょうだい」
「……昨日、聖女様とスタイナー様の仲睦まじい様子を見て嫉妬しました。私は好きな人と結婚できないのに、この人は聖女であるだけで好きな人と難なく結婚できている。治癒魔法が使えるという与えられた才能だけで。昨日は飄々とした態度で私を退けた聖女様に『あなたの夫との子供がいる』と告げたら聖女様はどうなるだろうって思って……聖女様の顔がゆがんだところを見たくって……」
完全な八つ当たりだ。ミュリエルは聖女だったからレックスと結婚できたわけではあるが、難なく結婚できたわけではない。
ミュリエルだって聖女として努力はしている。ラルス神殿長に課される筋トレとはまた別に。
「自分でも情けないくらい嫉妬しました。聖女様が羨ましい、そして妬ましい。でも、聖女様は『子供がいる』って言っても全然気にしてなくて。ほんの少しもショックを受ける感じもなくて……私なんて全く相手にされていないなって」
レネイ嬢の声に涙がにじむ。
「私、母親になろうとしてるのになんて馬鹿なことしてるんだろうって……子供にこんなこと知られたらって……情けなくなって……本当に羨ましかったんです。あんなに聖女様はスタイナー様を信頼して愛し合ってるのに……私は馬鹿みたいなことしてこの子のこと誤魔化そうとしてて……自分が嫌になったんです」
泣き始めたレネイ嬢にハンカチを渡す。
泣いているときに話し合いをしてもあまり意味がないので、ミュリエルは冷静に泣き止むまで待つ。
レックスを信頼しているというより、ミュリエルは感情に流されずに考えただけだ。これまで散々感情に流されてきた。律するのくらい簡単だ。
レックスの帰りが遅くなり始めたのは最近。それにしてはレネイ嬢の妊娠は早すぎる。
その前から関係があったようには、昨日のレックスの態度からは見えなかった。
ミュリエルはレックスを信頼しているわけではない。レックスは何度もミュリエルの信頼と願いを裏切ってきた。ミュリエルが信じているのは、自分の愛だけだ。
昨日、一瞬ショックは受けた。プライドがあるから見せないだけ。
でも、レネイ嬢はこれまでの令嬢とは違った。彼女は他の信者もいるところで『お腹に子供がいる』とは言わないまでもレックスと関係があるともっとほのめかしてもよかったのだ。これまでの他の令嬢たちのように。
でも、彼女は大勢の前ではそれほど匂わせずに個室を使ってくれた。だからミュリエルは彼女の話を聞く気になっている。
「あなたは婚約者がいるにもかかわらず、幼馴染との子供を妊娠してしまったわけよね。あなたの取れる方法はたくさんあるわ。まず、レネイ子爵にも相手の伯爵家にも妊娠のことを話して婚約を解消する。この場合、慰謝料が必要になり、伯爵家の出方によってはすでに進んでいる商売の話が頓挫して影響がでるかもしれないわね」
レネイ嬢が泣き止んだところで私は口を開いた。
「次も、どのみちレネイ子爵に妊娠のことを伝えなければいけないわ。そして病気を患ったことにして領地で出産する。医師に診断書をでっちあげてもらえばうまくいくわ。病気だったら婚約は解消されて、商売の話はそのまま続くかもしれないし、あなたには年の離れた妹がいたと思うからそちらと婚約するかもしれないし」
滔々と話すミュリエルに、レネイ嬢は驚いて目をぱちぱちさせている。
「父親に妊娠を言いたくないなら選択肢は狭まってくるわ。これは最後の手段だけど、神殿に逃げ込むしかなくなるかもね。神殿は女性の支援も行っているから。でもそうすると今までの裕福な暮らしはできなくなってしまうわ」
「あ、あの……」
遠慮がちにレネイ嬢が声を上げる。あ、私しゃべりすぎたかしら。それとも神殿に来たら筋トレさせられるってウワサでもあるのかしら。ご令嬢は筋トレ嫌よね? 無理よね?
「どうして、そこまで具体的に助けてくださろうとするんですか?」
「え、だってあなたが助けてって言ったじゃない。産むつもりなんでしょう?」
「は、はい。でもそんなに考えてもらえるとは思っていなくて。私は聖女様に対して酷く醜い行いをしたので……」
「別にいいじゃない? 人間は間違いを犯さないことなんてないわ。だって弱い生き物なんだから。だから何かにすがったっていいのよ」
レネイ嬢の目に再び涙が光る。
「それにあなたは個室を使って話してくれたでしょう。他にたくさんの人がいる場所でさっきの発言をされたらどうしようもなかったわ」
「そこまでする覚悟がありませんでした……昨日のスタイナー様の優柔不断さを見て少し失望していたのもあります……」
「結局、あなたはその幼馴染の子息が好きなわけでしょう? だからレックスに近付いたけれど、それだけしかできなかった」
レネイ嬢はうつむいて誰かの名前を呟く。きっと幼馴染の名前だろう。
「今回の件ではどうやっても人に迷惑はかけてしまうけど、あなたがどうしたいか考えていかないとね。あなたがこの部屋を使えるのはあなたのお父様やおじい様が頑張って働いて寄付をして下さったおかげ。でも、あなただって刺繍した大量のハンカチをバザーで売る用に寄付してくれたこともあるんだから、あなたも少しは胸を張ってもいいのよ。私は協力するわ」
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