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昨晩、ミュリエルが眠るまでにレックスは帰ってこなかった。
義母をやり込めてもっと清々しい気分になるかと想像していたが、朝起きてレックスが隣で寝ていない事実に気付いてミュリエルはみじめな気分になった。
レックスが遅く帰ってくるときは、ミュリエルを起こさないよう夫婦の寝室ではなく別室で寝ている。
そんなに遅く帰るほど仕事が忙しいのかしら。やっぱり女性と過ごしているのかしら。
みじめな気分で起き上がって神殿に向かうため身支度をする。
ミュリエルが朝食を摂っている間にレックスが起きてくることもなく、馬車のところで義母に捕まることもなくミュリエルは神殿に到着した。
「また魔力が増えている。最近ずっと増え続けているな。治癒魔法の行使の記録は、ええっと」
ルーシャン殿下が魔力測定器の前で目を輝かせている。ここ最近、神殿への訪問頻度が増えた。
「先週も先々週も治癒魔法を使ってるな。珍しい」
「えぇ、立て続けにありました。ここ最近では珍しいですね」
大きな事件・事故でもない限り、立て続けに治癒魔法の行使があるのは久しぶりだ。ルーシャン殿下が見ている記録には日付は書かれていても、治癒魔法を受けた人物の名前は書かれていない。守秘義務だ。
後継者が決まる前に当主が病気で亡くなりそうになっていたケースと、後継者がいないのに毒を盛られてしまったケースだった。どちらも当事者が今亡くなってしまうと争いに発展する可能性があることから、家族の同意があり治癒魔法を行使した。
「治癒魔法をこの頻度で使って君自身も回復が必要なのに、魔力が増えている。ふーむ、これはなぜかな。何か心当たりはある?」
「ありません。特別なことは何もしていません」
今日は特にルーシャン殿下の相手をするのが面倒だ。
王族相手に八つ当たりなんてできないので、悟られないよう端的に答える。
「あ、悪いね。さすがに魔力が増えていても疲れているか。なんだかなぁ……気になるんだよな」
何かを悟ってしまったようで、ブツブツ言いながらルーシャン殿下はお菓子の箱を取り出した。
「婚約者にプレゼントするお菓子を大通りの人気店に選びに行ったんだ。美味しそうだったから聖女のみんなも食べてくれ」
「まぁ、ありがとうございます」
「俺の婚約者は聖女様の大ファンだからさ。どのお菓子が気に入ったか感想をくれるかい? それだけで婚約者の機嫌を取れるんだ、頼むよ」
茶化しているが、わざわざ婚約者のプレゼントを自分で買いに行っている。ルーシャン殿下と婚約者のご令嬢の仲は良好だ。
「お忍びですか?」
「あぁ、変に店に気を遣わせるしな」
ミュリエルはお菓子の箱の蓋を開ける。
「このお菓子、形が綺麗でこの中で一番好きです」
チョコレートが半分だけかかった焼き菓子をミュリエルは指さす。
さすがに今は殿下の研究の最中なのでお菓子を口にすることはできないが、早く婚約者に伝えたいだろうとパッと目に付いた可愛い菓子をピックアップした。
「じゃ、それを聖女様イチオシのお菓子と伝えるよ」
殿下が嬉しそうにしているので、婚約者が大事なのだとよく分かる。
ミュリエルは羨ましくて胸が痛んだ。
「ここからは大きな独り言だと思って聞いてくれ。どこから耳に入るか分からないから、いっそのこと俺から言っておく」
「どういうことですか?」
「独り言だ。その菓子を買いに行ったとき、君の夫がどこぞの子爵家の令嬢と一緒にいた」
ルーシャン殿下は独り言と言い切った手前、ミュリエルではなく窓を向いて話している。
「一緒に茶を飲んでいただけのようだった。話の内容までは近づけなくて聞けなかった」
この方、王子の身分で盗み聞きしようとしていたのか。
「忙しいと聞いているが、昼間から令嬢とゆっくり茶を飲む暇が次期公爵にあるとは意外でな。いや、悪い。嫌味ではない。学園の後輩や同級生かもしれないしな。それに、もしかすると他の目撃者が君に丁寧に教えに来るかと思ったんだ」
耳から話の内容は入ってくるのに、ミュリエルの頭はその内容を理解するのを拒絶していた。
あぁ、またかと思うだけなのに、心の大事な扉がバタンと閉じてしまった。そんな感じだ。
「お気遣いありがとうございます。でも、私はレックスを愛していますので」
「そっか。独り言に付き合わせて悪かった」
ミュリエルは綺麗に笑ったつもりだ。聖女として信者の前に出るときによくする微笑み方で。それでも、みじめなじっとりした気持ちがまだ胸にどっしり居座っている。
全く知らない他人から急に聞くより良かったじゃない。準備ができるんだから。そうやって無理矢理ミュリエルは何度も自分を納得させた。これまでやってきたように。




