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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
遠い世界
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静かな夜の戦い

 ニア達と別れてから数時間後。


 明るかった空はすでに沈み、暗い色が一面を飾り付けていた。


「ほんと、何もこんな時間まで隔離しなくてもいいのに」


 呟く男は数時間前に連行された灰庵であり、連行された先でひどく叱咤されたようで何処か意気消沈し、小さな愚痴を漏らしていた。


 綺麗に結ばれていた髪は少しぼさついており、のそのそと歩くその足取りにはわずかな苛立ちが込められていた。


 呟かれる愚痴は辺りに誰もいないことから空中へと霧散し、やがて誰の耳にも届くことなく消え失せる。——そのはずだった。


「——そこにいる君。何の用?」


 当たり前ながら誰もいない空中へとかけられた言葉に返事が返ってくることはなく、やがてあたりは静寂に包まれる。


 だが灰庵は不意にめんどくさそうに頭をかきながら何処か見当違いな方向へとその目を向ける。


「隠れようとしなくていいよ、どうせバレてるんだから」


 だが灰庵は確信を持ったように再び誰もいない空間へと声をかける。

 

 しばらくの静寂が訪れた、あたりに聞こえてくるのは風により揺られる葉の音ばかりであり、だが灰庵はなおも誰もいないその空間からの返事を待つように見つめ続ける。


 瞬間、不意に誰もいないはずだった草木はガサガサと音を立て、連鎖するように灰庵を囲む周囲一体が揺れ始める。


 そしてその時、草木の中からはあるものが飛来し、


「っと、危ない」


 それは接触する前に灰庵によって捕えられ、同時にその手の中には一本の白く光り輝くナイフが握られる。


 そして改めて敵意の程を確認した灰庵は小さなため息と共に、握ったナイフを飛来した方向へと投げ返してみせる。


 だが、投げ返したナイフは進行先にある木々へと接することなくその姿を消滅し、代わりにそこから姿は1人の男が現れた。


「やっと出てきたんだ?それで質問の返事は?」


 月に照らされた男のその顔には傷があり、そして同時にその片腕は義手のようになっているのが見て取れた。


 だが見下ろす男の目には光がなく、まるで死んでいるかのようにその瞳は灰庵を射抜いていた。


 そんな男に対し、灰庵は変わらない口調で自らの問いに答えるよう促し、男もまたその意思のない表情のまま問いに答え始める。


「初めまして、灰庵様、私はエルラと申します。そして我々はガルラ。あなたを処分しに来ました」


「処分とはまた物騒だね」


「我が主の命令故に」


「まぁなんでもいいんだけどさ、勝てると思ってるの?そんだけの人数で?」


「あなたは刀の師をしていると聞いた。だがあなたは今刀も何も持っていない。確かに我々の存在に気づいたことには驚きです。ですがあなたの方こそ、我々にかなう可能性が少しでもおありだと?」


 エルラは言い合えると同時に、灰庵の辺りを囲うように木々から、十数人の男と同じ顔に傷を負ったもの達が姿を現した。


 その全てがエルラと同じように顔に傷があり、だがその数が予想以上だったのか、灰庵は手品でも見たかのようにわざとらしく反応をしてみせる。


「多分木の影とかに気配消して隠れてたんだと思うけど、どうやってそんな人数隠れてたのさ。それに、今どこからか急に出てきたよね?」


「なに、隠密は我々の得意分野ですので」


「そういうこと書いてるんじゃないんだけど…まぁいいか」


 問いに答える気がないということを示すように、エルラは悠々と答え、灰庵もまたその回答に小さくため息をこぼす。


 これ以上質問をしても辿り着くところは平行線だと理解した灰庵は、質問の答えを諦めるとわざと大きく手足を伸ばし、その場で軽い運動を始めた。


 その間も、エルラを含めたガルラ全員はその行動を見つめるばかりで、灰庵へと攻撃を行うものはいない。


 いつでも殺せると言う余裕の表れか、はたまたエルラの指示を待っているのか。

 だがその中には灰庵の行動を見て鼻で笑う者もおり、誰もが勝つことは容易いと考えているようだった。


 そして数秒後、軽い運動を終わらせた灰庵は小さく息を吐きながら周囲を見渡した後、不敵な笑みを浮かべながらあたり全員へかかってこいと言わんばかりに煽ってみせる。


「ほう…」


「とりあえず、全員のしてから考えよう」


「いいでしょう。我らを侮ったことを後悔するがいい」


 そうしてエルラが手を挙げた瞬間、灰庵を囲んでいたすべての者たちは動きを開始し、暗闇に紛れるようにしてその姿を消滅させる。


 先手を打ったのはガルラの男だった。


 男は灰庵など警戒するほどの脅威ではないと、真っ直ぐにその元へと駆けていき、


「これぞ我が天啓!食うがいい、ファウスト!」


 男がそう叫ぶと同時に、手に握られたナイフがまるでそれぞれの意思があるかのように不規則な動きを始め、そして四方から灰庵へとそのナイフが飛びかかる。


「ふーん?さっきのファウストって言うんだ。そのネーミングはよくわかんないけど、まぁまぁいい技だと思うよ。まぁ君が使ってる限りは弱いままだと思うけど」


「なっ…!?」


 月の出た頃、あたりは暗く、襲い来るナイフを視認することすら常人にはままならない。


 当たれば軽い怪我では済まないであろう威力の攻撃。だがそれは『当たれば』の話にすぎない。


 灰庵は自らへ向かってくるナイフの全てを見えているかのようにいとも簡単に掴むと、軽く力を込め、拳を握り込んで見せる。


 瞬間、握られたナイフはまるで紙屑のように簡単に握りつぶされ、そしてそれを男の元へと投げ返す。


「まぁ、本体が弱いし仕方ないか」


「ばか…な…」


 本体で攻撃をし、好きな生まれた一瞬にナイフが切り裂くという作戦だったのだろう。

 だが投げ返されたナイフは粉々になっており、その事実を理解すると同時に訪れた衝撃により、男は悲鳴すら上げることなく地面へと撃沈する。


「くふっ…ばか…な…」


 そうして男を沈めた灰庵は汚れた手を払うようにその場で手を叩くと、

 

「とりあえず一人だけど、君たちってこの程度の実力者の群れなの?だったら今のうちに逃げた方がいいと思うよ。運が良ければ一人くらいは逃げ延びれるかも」


 尚も際限なく自身を囲む者達へ、灰庵はさらに煽るようにそんな言葉を伝えてみせる。

 

 するとどういうわけか、誰もいなかったはずの木々の隙間からは1人、また1人と新たな新兵がその姿を現し始めた。


「それどういう仕組み?」


「なに、あなたが我々の予想よりも動けるとわかったので、人数を追加したまでですよ」


 疑問を抱く灰庵へ、エルラは依然として余裕そうな態度で返事をしてみせる。


 その表情は未だに勝ちを確信しているようであり、自らが負ける可能性など全くと言ってもいいほどに考えていないかのようだった。


 そして灰庵は現れた者達を含めた、自らのあたりに立つ者達を順に見回していく。

 そして小さくため息をついた瞬間、全員の視界から灰庵の姿が一瞬にして消え去った。


 誰もその事実にしばらく気づかなかった。


 その事実に気付いたのは、先ほどまで灰庵を囲むように立っていた者の1人が地面へと倒れ込む音が聞こえた時だった。


「がはっ…」


「どうした、何が…、っ…」


 咄嗟に音の方へと振り向いた男は、その時にしてようやく灰庵の姿が何処にもないということを理解する。


 だが問いかける男の言葉もまた最後まで語られることはなく、小さな悲鳴と共に終わりを告げる。


 一瞬だけあたりに響くその足音だけが、灰庵がその場にいたことを示し、やがて灰庵を囲んでいた者たちがその足音の存在に気がつくと同時に、


「か…」


 小さな悲鳴が絶えることなく辺りに響き渡る。


 その全てが一撃の元に意識を手放しており、声が聞こえるとほとんど同時にエルラは悲鳴の場へと目を向ける。

 だがそこには既に灰庵の姿はない。


「こんな馬鹿な…」


 起きたことの理解できないガルラの者達は、姿をくらませた灰庵を探すべくそのあたりへと警戒を強める。


 だがそれこそが灰庵の狙いだった。

 全員が別々の方向へと警戒を向けた瞬間、その全てが一瞬の間に悲鳴と共に意識を手放していく。


 焦ったようにエルラもまた辺りへと警戒をするが、その何処にも灰庵の姿は見えず、聞こえてくるのは小さく声をもらし、意識を失う者達の声だけだった。


 そしてわずか数秒後、エルラの前についに姿を見せたのは、余裕だと確信し切っていた今回のターゲットの男だった。


「どうなってる…!」


 目の前で小さく息を吐く灰庵の体に一切の傷はなく、そこにいるのはただ単純な、全てを圧倒する強者だけだった。


 刀を持たない刀の師などただの凡人であると、自らの足元に倒れる者達を含め、全員が決め打っていた。


 だが現実は違っていた。

 否、普通なら相手にすらならないのだろう。


 事実、刀の師が極めた者はあくまで刀の道であり、それ以外の物はその過程で得た副産物に過ぎないのだから。

 

 ただ、事実に基づき確信していたその予想は、目の前の男1人の手により打ち砕かれた。


「これで後は君一人だけど、逃げる?まぁ逃す気はないけど」


「そんな…こんなことが…」


 周囲へと目をやったエルラはその時にしてようやく今この場に立っているのが自分1人であることを理解し、どうしようもない焦りと共にその額に汗を浮かばせる。


 荒い呼吸は震える手足を自覚させ、だが、だからこそエルラはそんな自分自身の恐怖を振り払うかのようにその場で大声をあげ、咆哮して見せる。


「くそ…こんな訳が…!!!ふざけるな!調子に乗るな!!貴様も所詮人間…、いくら動けるからって、生身の人間が天啓に叶うわけがない!!」


 焦りが表に出たことにより、先ほどまでの丁寧な話し方とは一変、粗暴な話し方へ変わったエルラは天へと掌をかかげてみせる。


 瞬間、差し出された掌の上へはじりじりと音を立てながら小さな雷が形を成していく。


「どうだ、これが俺の力だ」


「天啓…ね、多分あの子のとは違う者だよね…まぁあんまり期待はしてないんだけど、一回撃ってみてよ」


「いつまでも調子に乗るなよ、言われなくとも当ててやる。喰らうがいい!ボルバルグ!!」


 瞬間、エルラの掲げた手の上で形を成していた雷は目の前の全てを焼き尽くす大木ほどの稲妻となる。


 そして掲げられた雷は次の瞬間には灰庵へと狙いを定め、放たれる。

 放たれた雷はわずかではあるが進路上の周囲の全てを燃やしながら進み、そして瞬く間に灰庵へと直撃する。


「どうだ!これがこの俺の最大威力のボルバルグだ!俺を侮ったこと、あの世で後悔するがいい!」


 灰庵のいた場所には黒い煙と何かが燃える匂いだけが残り、エルラは勝利を確信したからこそ油断した灰庵を嘲笑うかのように高々と声を荒げてみせる。だが、


「やっぱこう言う名前だけのやつを見るとあの子の技ってとんでもないんだなってしみじみと思うよ」


 その声は、放たれたボルバルグの直撃した地点から聞こえてきた。


 先ほどの出来事の一切を忘れたかのような呑気なその声の男の正体は、次の瞬間に消え失せた黒い煙により露わになる。


「なっ…」


「ごめんね、一応僕天啓とかそういうの“見えない”し“使えない”し“効かない”んだ」


 現れた灰庵の体には先ほどと変わらず一切の傷の姿は見られず、勝利を確信していたエルラはその様子に言葉すら忘れて絶句してしまう。


 そしてこの時にしてようやく自らの勝ち目がないことを理解したエルラは逃げるタイミングを図るべくじりじりと足を引き下げていき、それに合わせるように灰庵もまた一歩ずつ、その歩みを寄せていく。


「見てるんだよね。君のその、なんかよくわかんないのよりもずっとすごいの」


「見てる…?何を言っている、我々より優れたものなどこの世にいるわけがない…!」


「本気で言ってる?冗談ならあんまり面白くないね。それと、いるんだよ。君とは、いや、君たちとは比べられないくらい優れた子がね」


「そんなわけが… それに今さっき天啓をみることができないと自分で…」


 その言葉が最後まで言い切ることはなかった。


 灰庵は疑問を口にしたエルラをと一撃を叩き込み、エルラもまた他の者達と同じくあえなくその意識を手放し、地面へと倒れ込む。


 灰庵は1人立っており、あたりには静寂が訪れた。


 総勢18名。普通ならその一人ですら太刀打ちできない手練ればかり。


 だがその全てを、男は無傷のまま立ち伏せてみせた。


「…そう、見えないんだよ普通は。だけど確かにあの時見えた。きっとあの神の『呪い』にも抜け道があるんだ」


 月明かりが照らす静かな夜。


 その夜で誰も知らぬ間に起こった戦いは、灰庵の完勝で終わったのだった。

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