ライラット
「ふむ…やはりこの日の街並みは別格だな」
大きな黒いズボンに白い服を着た、小太りの男がそう口にしていた。
生えたちょび髭がそのやや丸っこい顔によく似合ってあり、だが辺りへとやるその目は物見珍しいものを見るような、あるいは探しているかのような眼差しだった。
特別な日が故に派手に装飾した街並みを歩きながら男は耐えず辺りへと目をやっており、だがその時、
「…見て、あの人…もしかしてライラット様じゃない…?」
ふと1人の市民がそう呟いた。だがただの呟きにも関わらず小さなその声は聞こえた者全てに男へと目をやる事を余儀なくし、そしてその声は瞬く間にあたり一体をざわつかせるほどに大きなものとなっていく。
「ライラットって…まさかあの剣真、ライラット様…?!」
「待って、あの髪…もしかして本当に…!?」
そうして民衆は小太りの男の元へとその目を向け、同時にひどく歓喜した表情を浮かべる。
だがその声の行先は小太りなその男ではなく、その背後に立つ白い髪をした男であり、
「…ライラット、本当に貴様は有名人なのだな」
「出来るだけ変装したつもりだったのですが…はは…」
深く被った帽子に目元を隠したサングラス。完璧と呼べるほどまでにその特徴を消していたにもかかわらず、帽子の隙間から微かに出た白い髪だけでその正体が割れたことにライラットと呼ばれた者はわずかに困ったように苦笑いで返事を返し、そして、
「えーっと…今はお忍びなんだ。できるだけ静かに頼めるかな?」
バレてしまっては仕方がないと、ライラットは目元にかけたそのサングラスを外し、そして何処か申し訳なさそうな態度を浮かべながら、辺りにいる者達へとそうお願いをしてみせる。
見えた瞳は白く輝いており、だが見る者全てを魅了するほどに美しい瞳は逆に市民達の歓喜を頂点へと至らしめ、
「キャーー!!見て!ライラット様、ライラット様よ!!!」
瞬間、静かにと言ったにもかかわらず歓喜の声は内へと収まることなく外へと漏れ出し、だからこそライラットの周囲一帯を更なる歓喜の声に染め上げる。
そうして自身の頼みと真逆になった現状にライラットは何処か困ったようにその日額へと手を当て、
「ガルデン様、誠に申し訳ありませんが、やはり私がいては逆効果なのでは…」
口にするその声色は嘘偽りなくただ自身がここにいない方がいいのではないかと提案したものであり、それを理解したからこそガルデンと呼ばれた小太りの男は小さくため息をつくと、
「こちらを向くでない。大変嘆かわしい事ではあるが、おそらく私はまだ気付かれていない。…はぁ、仕方がない。せっかくの選抜役に選ばれたのだ。私はこのまま王家に相応しいものを探す。お前もそちらで探すがよい」
振り向く事なくそう口にするガルデンはざわめく人混みの中をそう言葉を残しながら去っていき、そして瞬く間にその姿は次へ次へと押しかける人混みにより覆い隠される。
そうして1人になったことにより改めて事態が大きくなってしまったという事実を理解したライラットは目の前に立つ人々を見るや否や再び困ったように小さく笑うと、
「えーっと…とりあえず、僕がいることは秘密でお願いね?」
瞬間、ライラットは再び帽子とサングラスをかけ直し、そして同時に比較的囲む人の少ない方へと駆け出すことで人々の影に隠れ、その場から離脱しようと試みる。
歓声の声はライラットが動き出したことによりこちらもまた逃すまいと動き出し、だが目論見通りその歓声の声は時間と共にライラットの元を離れ、そして遂には完全に聞こえないほどまでに遠ざかっていく。
そうして辺りに追手がいないことを確認したライラットはわずかに疲れたのか小さく深呼吸を繰り返し、だがその時、
「見てください、カラリナ様!これ!こんなの見たことありますか!?」
「これは…いえ、私も始めて見ます!」
その視界の先にはある女性が映り込んでいた。
腰へかかるほどに長い、だが結われて尚さらさらと風に揺られる黒い髪をした女性。
身につけた黒いワンピースがその全身を黒一色に染め上げ、だがその全身を覆う黒いコーデすらもがその女性の魅力を底上げしていた。
だが、次の瞬間にはだからこそライラットは自身ですら意識していない間にその女性に見惚れ、その元へと歩みを進ませており、そして、
「あ、あの!」
「…?はい、どうしましたか?」
振り向いた女性の黒い瞳はライラットの瞳を射抜いており、同時にその整った顔立ちにライラットの心は釘付けにされ、その心臓は急激な加速を得てしまっていた。
そうして振り向いた女性に見惚れてしまっていたライラットは次の瞬間にはハッとした表情の元にその意識を現実へと回帰させ、
「お名前を、伺ってもよろしいでしょうか」
「ふふ、どうしたんですか?急に」
ライラット自身もそれが唐突な問いであると理解していた。だが聞かねば後悔すると、問いかけられたその言葉に女性はわずかに反応を遅らせ、だが嫌な顔一つすることなく健気に笑うと、
「レヴィーナ。なんて事のない、ただのレヴィーナですよ。失礼かも知れませんが、こちらもお名前を伺ってよろしいですか?」
「あ、えーっと…はい!僕はライラット・ベル・オーディン。…と、申します」
名前を聞けた歓喜のあまりか、躊躇う事なく自身の名前を公表してしまったライラットは次の瞬間には冷静になったのか慌ててその声量を下げ、辺りの者達へと聞かれていないかを確認するべくゆっくりと振り向いて見せる。
そうして誰の耳にも届いていないことを確認するや否や安堵のためか息をこぼすライラットは、続けて自身のその行動を不思議そうに見つめるレヴィーナへと目を向けると、
「…レヴィーナ様。率直に申し上げる。私は貴方を、新たな王族として迎え入れたい。だが、無理強いをするつもりはない。だから、もし貴方がこの提案を受け入れてくれるのであれば、今日でも明日でもいい。王城へと足を運んでいただけないだろうか」
予想だにしなかったその提案にレヴィーナはわずかにその動きを止め、だが数秒後、理解が及んだのかその目をぱちぱちと瞬きさせ、
「すみません。まさか私がそんな言葉をいただけるとは思っていなかったもので、少し今混乱してしまっていて…ですが、わかりました。このレヴィーナ、一生に一度のそのお誘い、ありがたく受け入れさせていただきます」
「…!!本当ですか!!」
「ですが、色々と準備に時間がかかってしまうかと思います。ライラット様の気が許されるのであれば、後日まで待っていただけませんか?」
「もちろんです!!」
そうして短い会話を終えたレヴィーナはお互い話がまとまったためかお辞儀を最後にその場を離れ、そしてライラットもまた、至極満足な表情を浮かべながら何処か駆け足にその場を去っていく。
だがその会話の一部始終を見て尚、いや、見たからこそある感想を抱いているものがいた。それは、
ーー…あれ、これ…まずいことになったんじゃないか?
オーゼンは静かに、その額に薄い汗を生じさせていた。




