地を踏み鳴らすは夢の跡 その十
突如として先ほどまでとは違う圧を身につけたニアへ、カラクはこれまでにないほどの警戒をあらわにしていた。
立ち上がるニアの体はこれまでの戦いの影響ですでに満身創痍であり、何より今までの戦いの中でもカラクに通じる技の一つも持ち得ていない、警戒などするだけ杞憂なのだと誰もが思うほどの存在であった。
だがいつかの記憶が蘇った今、過去のカラクが今へと語りかけていた。『この者こそ、自らを打倒する可能性を秘めた者である』と。
だがそうして警戒をあらわにするカラクとは対に、ニアはふとカラクからその目を離し、変わらないその場所にいるウミへと目を向けると、
「心配かけたな、ウミ。もう大丈夫だ。オーゼンたちと一緒に待っててくれ、すぐに戻る」
「…うん!!」
瞬間、その言葉を聞いたウミはどこか安心したように他意のない笑顔でニアへと返事を返し、次の瞬間にはニアの言葉を信じるようにオーゼンの元へ帰るべく自身の勘を頼りに森の中へと姿をくらませ、駆けていくその足音は時間と共に小さなものとなっていく。
そしてウミがこの場から離脱したことを確認したニアは安心のせいか小さく笑みをこぼし、続けてふらふらとした足取りで一歩、また一歩と歩みを進ませ、遂にアンセル達の隣へと並ぶと、
「大丈夫か?必要なら、もう少しくらいなら私でも時間は稼げると思うが」
「本当は頼みたいところだが、生憎、異様に懐いてくれてる子と友人が待ってるんでな」
「…与太話はいい。それで、勝てる見込みはあるのだろうな」
体の具合を心配するアンセルの言葉へ、ニアは冗談めかしくそう返事を返してみせ、だがその返事すらもを断ち切るようにアストーはニアへと勝機の有無を問いかける。
先ほどの宣言は聞いたもの誰もがカラクへの勝利を誓った宣言だと捉え、故に勝ち筋の一つが存在してるものだと考える。だが、
「いいや、ない。今はまだ」
あっけっからんとしたその返事にアンセルとアストーはわずかに間の抜けた表情を浮かべ、だが次の瞬間にはアストーは何かを理解したかのように小さく目を窄めると、
「…なるほどな」
「今はまだない。けど、必ずこの戦いの中であいつを倒せるほどの一撃を生み出してみせる。だからアンセル、それまで俺が死なないように守ってくれないか」
「…ったく、無理難題にも程があるんじゃないか?あいつと戦いながら君も守れって…」
確信はなかった。この戦いの中で例え命を賭けたとしても、カラクを倒せるほどの一撃が生み出せると言う確信など、何処にもなかった。
だが、だからこそニアは自身へと誓うようにアンセルへと、自分1人ではどう努力しようと届き得ない領域へと踏み込む為に、その道への案内をしてもらうべく頼み込んでいた。
アンセルにとっても出来るわけのない頼み。
真剣に戦ってもなお勝つことは愚か死なないようにすることで精一杯な相手の相手をしながら、更には弱き少年の成長へと手を差し伸べ続けることなど、この場の誰にも成し得ることなどできない、まさに不可能な頼みだった。だが、
「あぁ、了解した。君の身は私が守ろう。だから、安心して死へ向かうといい」
「あぁ、任せた。無敗の守り手」
無理難題。たとえその言葉以外に当てはまる言葉がないほどの頼みだとしても、それが自身の目の前に立つ怪物に勝つ唯一の方法だと理解しているからか、アンセルはその言葉に「できない」と返すことは決してなく、代わりに小さく笑いながら無理難題を可能にして見せるとニアへと告げ、それに対しニアもまた信頼の言葉で合図を返して見せる。
「それと、アストー」
「わかっている。余の力は警戒されすぎている。詠唱を始めた時点で標的は余へと切り替わり、余という人手を失うだけ。ならば、余が暴こう。かのカラクの、その力の正体を」
「あぁ、頼りにしてる。その代わり、あいつの相手は任せてくれ」
「無論だ」
そうして続けてかけられた言葉をアストーは遮り、代わりに自身がどれほどまでに警戒されているのかを理解しているからこそ、この場において最も重要な、“力の正体を解明する”という役目を引き受けてみせ、その言葉にニアは再び信頼の言葉で合図を返してみせる。
そうして会話を終えたニアは小さく息を吐き、続けて今もなお動くことなく自身へと警戒を続けるカラクへと目を向けると、
「…さて、待たせたなカラク。終わらせよう、この戦いを」
その言葉にカラクは何も反応を示さず、だが先ほどから身の毛がよだつほどの殺気を一身に身に受けているニアだからこそ、カラクの沈黙こそが自身を今もなお脅威だと判断している証明なのだと理解する。
痛みのせいか刀を握るその腕は小さく震え、視界も油断をして仕舞えば何処かへとずれてしまいそうな程に限界を迎えていた。だが、ニアはそんな限界な状況だからこそ刀を握るその腕に小さく力を込め、迫り来る震えを痛みと共に真っ向から受け止め、そして遂に一歩、カラクへと足を踏み出してみせる。
だがその瞬間、カラクの姿はその場から消滅し、同時に、何かが衝突する音が響いた。
それは硬いもの同士がぶつかったような音であり、だが同時に瞬く間に擦れるような音へと変化したことでアンセルが現実を理解したその瞬間、その目に映ったのは、
「…」
振り抜かれたカラクの一撃は同じく振り抜かれた桜月と接触することで小さな火花を生じさせ、だが次の瞬間にはニアが微かに握る桜月を傾けたことにより接触していた拳は流れるように桜月の刃を滑り、瞬間、カラクの体勢はわずかに崩され、小さな隙が生じる。
そうしてわずかにカラクの体勢が崩れたその瞬間、ニアは間髪入れず逆方向へと回転することで受けたカラクの拳の勢いをも味方につけたその一撃をカラクの胴体へと刃を迫らせ、
ーーやっぱり硬いな
だがその刃はカラクの胴へと接触した瞬間に弾かれるようにして宙を舞い、そしてカラクもまた体勢の崩れたニアへと追撃を行うべく振り抜いた腕とは反対の腕で振り払うようにその胴体目掛けて一撃を放ってみせる。
だがその一撃が迫り来る瞬間、アンセルですら視界の端で捉えることがやっとなその一撃をニアは鮮明に見えているかのように捉え、そして次の瞬間には放たれたその一撃が直撃する寸前、宙へと舞った桜月を軸にさらに高所へと自ら登ることにより、その一撃は空を切り、同時に両者は地面へと降り立つ。
わずかに10秒にも満たない攻防。だがアンセルは先ほどとはまるで違うニアのその代わりように、どうしようもない驚愕と共に疑問を抱いてしまっていた。
ーー何が起きてる…?ニア、君は一体…
だがその疑問は当然のものであり、同時に驚愕もまた抱いてしまうこと自体が自然なほどの急激な変わりようだった。
だが当のニアだけは違った。ニアはこの瞬間何も考えておらず、自身の変化を驚愕するほどの意識も残っていなかった。ただ一つ、ボロボロなその身に残っていたのは、
ーー…着地、左、右と下…
既にニアの体に対した機能が残ってはいなかった。
極限の集中。全身が伝える痛みは変わらず一歩踏み出すたびに絶叫をあげたくなるほどに壮絶なものであり、だがこの痛みから逃げる為に全身が痛みを“冷たさ”として捉えたことにより、その脳は限界まで冴え、同時にその意識に余計なことを考えさせない、唯一無二の存在として完成させていた。
そうして瞬間、再び振り抜かれた一撃をニアは微かに左へと体を逸らすことで回避し、続けて懐へと一歩を踏み出すと、振り抜かれたその腕へと目掛けて一撃を切り上げる。
ーー硬い。全身が同じほどの硬さをしてるな
だが、切り上げた刃がその肌と接触したその瞬間、再び刀は弾かれるように行き先を狂わされ、同時にその胴を撃ち抜くべくカラクの膝が迫り来、
「そのための私だ」
瞬間、カラクの体は後方へと吹き飛ばされ、同時にニアは吹き飛ばされるカラクを理解したその瞬間、その体に追撃を試みるように一歩を踏み出し、そしてその未だ届かないほどの遠くへと行っていないその足元へと一撃を振り抜いてみせる。
先ほどまでと同じならこの一撃もまたカラクに立って外傷を負うほどの一撃にはなり得ない。だが、カラク自身の力があればどうだろうか。瞬間、カラクの足元へと迫っていた一撃は何かに後押しされるように力を増し、そして肌へと接触した瞬間、その肌には遂に小さな切り傷が生じ、
「…!!」
その事実を理解した瞬間、カラクは自身の体に傷が生じることを容認し、そして片足を失うと言う選択を避ける為に大きく足を振り払ってみせる。
切り傷が生じた足はその規模を拡大させ、だが完全に振り抜かれるよりも前にその一撃の範囲を脱したことにより両足は健在し、そして次の瞬間には地面へと着地したカラクは初めて小さく体勢を崩し、そして続けてニアと、そして変わらずずっと警戒対象だったアンセルへと改めてその意識を向ける。
ーー私に案内できるのはこの程度だ。下手なことをして『修正』が発動してしまっては全てが狂う。だが、奴の力の正体がわかりさえすれば話は別だ。頼んだぞ、アストー君…!
アンセルのその力はニアが気を逸らしてくれたおかげで幾分ぶりに命中し、だが不用意に力を行使し、『修正』が発動してしまっては全てが台無しになると、今もなおカラクのその力を解明するべく思考を働かせているもう1人の少年を信じるのだった。
ニアたちが戦いを始めた頃、額に手を当てたアストーは暗い森の中で小さく何かを呟いていた。
「…否。それでは辻褄が合わぬ。範囲内にいる人数…否。おそらくあの力は奴が死した時点で発動するもの。一定範囲外からしか倒せぬのなら封印になど至るわけがない。何が違う…何が間違っている…?」
思考するアストーはありとあらゆる可能性を模索し、だがその全てが何かしらの不可解な要因へとぶつかることにより間違いだと断定される。
だがその時、アストーの脳内にはある一つの考えが浮かんできた。それはとても単純なものであり、だからこそこの状況では今という瞬間まで浮かんではこなかったもの。
「夢…?奴は夢の産物…ならば夢と関係する何かが起因でもおかしくはない。考えろ、夢と関係する何か、そして奴の今までの行動の中にヒントがあったはずだ…夢…カラク………“意識”…?」
それはふと浮かんできた言葉だった。夢とは無意識の意識であり、カラクとの戦いもまた自身の存在を他者へと刻み込む、戦いを引き延ばす能力に長けているものだった。
『適応』それにより絶望という名で対するものの記憶に刻み込み、『修正』と言う悪夢により自身の存在を忘れられないものとして他者へと強制する。だとすればカラクの力は、その正体は、
「適応…意識と結びつけるとすれば、余達は戦いの最中、わずかに誰かが意識を奴から逸らしたその瞬間に奴は力を身につけていた。だとすれば『適応』のその発動条件は…“他者が自身から意識を逸らすこと”…?なら、もしそれが原因で誰もカラクに勝ち得ることができないのなれば、『修正』の発動条件、それはまさか…!!」
1度目はニアがアストーへと感謝を伝える為にカラクから気を逸らした時、もし脱皮のようなもの、それもがまた2度目の適応によって身に着けたものなのだとすれば、それを身につけるタイミングはカラクに圧倒され、吹き飛ばされ、意識が朦朧としたそのタイミング以外にありえない。
理解して仕舞えば全てが繋がるその事象に、アストーは心の中で静かに納得し、そしてこの戦いの勝ち目がどれほどまでに薄いのか、それを知ったからこそアストーは今尚戦うニア達の方へとその目を向けるのだった。




