地を踏み鳴らすは夢の跡 その九
「先輩は、なんで強くなろうと思ったんですか?」
それは何気ない日常の、何気ない会話の1ページ。
この世界へ落ち、力を失ったニアが灰奄の弟子になり、エリシアに構えを教えてもらっていた時のなんて事のない会話だった。
「突然どうしたんですか?」
ニアの突然の問いを受けたエリシアは相変わらず涼しい表情の中にわずかばかりの驚愕の表情を浮かべ、額を伝う汗を拭いながらニアの方へと顔を向けていた。
その白い髪は変わらず躊躇う事なく風に揺られ、何気無い立ち仕草の一つ一つが見るものを魅了するほどに様になっており、だからこそニアは疑問に思ったのだ。
「いや、ただ気になったんです。言っちゃなんですけど、先輩ってこう…戦うような感じじゃないっていうか」
それは雰囲気の話だった。ニアの目の前に立つエリシアは控えめに言ったとしてもとても戦いに赴くような人には見えず、さらには例え刀の道に進まずともその容姿一本で生きていけるのではないかと思えるほどに整った顔立ちをしていたからだ。
なのにどうして危険な刀の道に進んだのか。ニアは湧いてきた疑問を不審に思った心のままにエリシアへと問いかけ、だが次の瞬間には何か触れてはいけないことに触れてしまう可能性を理解したことで咄嗟に前言を撤回しようと声を出すが、
「あぁやっぱりなんでも…」
「…そうですね、人に言えるような大した理由はありませんが、強いて言うのとすれば、先生と同じですよ」
遮るよりも早く、わずかに考えるように小さく沈黙を貫いていたエリシアは口を開き、そして自身が強さを求め始めたわけ、それを端的に伝えてみせる。
だがその理由はニアが予想していたようなものではなく、だからこそ反射的にニアは言葉を返してしまう。
「先生と?」
「はい。ですが私の場合は逆。守りたいものを守れなかったから、二度と繰り返さないために、ですね」
そう答えるエリシアの声色は過去を懐かしむようであり、だが次の瞬間には自身を見つめるニアの存在を思い出すと、恥じらいを誤魔化すように小さく咳払いをしてみせる。
そうして同時に、視界の端に映るニアのその不安げな表情からどうしてその質問を問いかけたのか、その訳を理解したエリシアは小さく笑い、そして続けてニアの方へと半歩歩みを寄せると、
「不安ですか?本当に強くなれるのか」
「…はい、少し」
「そうですね。私も先生と言う近いようで果てしなく遠い存在を知っているので偉そうには言えないですが、一つだけ先輩として言わせてもらうなら————」
その言葉は、そこで終わりを迎えた。
だがそれはニアがその先の言葉を覚えていないからではなく、走馬灯のようにその記憶を流していたニアの体が、記憶すらを流すことに限界を迎えたように眠りへとつくべく急降下を始めたからだった。
そうして流れた記憶の先は語られることなく、ニアは全身の訴えかけるままに深い眠りへと落ち、
「にあ!!」
途切れかけていた意識の片隅で、その声は声としてのほとんどの形を損ないながらもニアの耳へと届き、だがそれは声だと脳が認識するよりも早く霧散し、虚空へと消えていく。
だが、それで十分だった。今のニアには既に言葉を言葉として聞き取れるほどの力が残っておらず、だからこそ霧散した声の一欠片さえあれば、ニアはその人物が誰なのかを理解し、そしてその意識は連れられるように現実に回帰し、同時にその瞳にわずかな光を灯す。
ーー…ウミ、か…?なんでここに…
「にあ!」
振り絞り、上げたその視界の中に映ったのは荒れた辺りの風景だけであり、だが次の瞬間にはその存在をニアは確かなものとして理解する。
衝撃により盛り上がった地面の上でこちらへと何かを叫ぶその少女は眠りへとつくニアの意識の目覚めを手伝うかのように何かを叫んでおり、だがその存在を理解したことによりニアの意識はさらに1段階、現実へと浮上する。
「女の子…?」
「…!!」
そしてその存在に気づいたのはニアだけではない。戦場に現れた突然のイレギュラーはカラクを含めた全員の注目を一緒くたに浴び、そしてアンセルとアストー、その2人の表情に驚愕の2文字を浮かばせる。
だがこの場にいないはずの少女を見たことにより驚愕を浮かべるアンセルとは違い、アストーはまた別の要因によって驚愕の表情を浮かべていた。それは信じられないものを見たかのような驚愕であり、同時にアストーは小さくその手を握りしめるのだった。
「ウミ…なんでここに…」
開いた瞼に映る少女を理解したことにより、ニアの虚だったその意識は現実へと回帰し、そして次の瞬間にはその目に映る少女の姿を鮮明に写し取る。
それは驚愕のあまりのことであり、だが同時に少女が何かを叫んでいることを理解したニアはその言葉を聞き取るべく微かに耳を澄まし、そして次の瞬間に聞こえてきたのは、
「たって!にあ!」
「…!!」
瞬間、驚愕によりわずかに意識のズレた2人を無視し、ニアへと止めを指すべく迫り来ていたカラクは動かないニアの元へ容赦なく一撃を振り抜き、そして次の瞬間にはその衝撃に辺りの大地が捲れ上がるほどの衝撃が巻き起こる。
巻き上がった土埃はニアとカラクの2人を覆い隠し、だが避けようのない体勢へと振り抜かれた一撃は疑いようもないほど確実にニアを射抜いているだろうと予想でき、だからこそアンセルは声を荒げる。
「ニア!!」
叫ぶ声はあたりに巻き起こる風圧により中断され、そして次の瞬間には微かに晴れた土埃の隙間から立ち上がるカラクの姿だけがその目に映ったことによりアンセルは最悪が起こってしまったのかもしれないと言う可能性に小さく舌を噛む。だが、
「…ったく」
その声は土埃の中から聞こえてきた。
弱々しく、だがどこか笑みを含んだその声色は小さくそう呟き、そして続けて土埃が晴れたことによりその姿を目の前のカラクへ、そして最悪を考えてしまっていた全員の元へと露見させる。
振り抜かれた一撃は意識を失うほどに重傷を負ったニアへとどめを刺すための一撃であり、故にニアが避けることなど思考のどこにも入れていない、文字通り仮死を死へと決定付けるために振り抜かれた一撃だった。
だが見えたその景色の中にいるニアには振り抜かれ、消滅しているはずの頭部が欠損することなくついていた。
それは決してカラクの油断が原因ではなく、ウミの声に反応するように意識を現実へと浮上させていたニアは、カラクの一撃が振り抜かれる寸前に完全に現実へと回帰することを叶え、そして咄嗟に頭部を左側へと振り切ることにより間一髪命中を避けたのだ。
空を裂く一撃は結果としてつい1秒前までニアの頭部があったその空間をえぐり取り、その背後数十メートルの木々を容赦なく薙ぎ倒していく。だが、だからこそその一撃はニアの命を奪う一撃とはなり得ることはなく、
「ウミにまで心配されちゃ不甲斐ないよな…」
瞬間、その声と同時に伸びてきた腕は振り抜いた体勢のまま引いていないカラクの腕を掴み、そしてその声色には何処か小さな笑みが含まれていた。
それは自嘲の笑みか、或いは他意の含まれたものなのか。だがそんなニアの行動に、この瞬間、カラクは言葉にできないほどに途方もないほどの背筋が凍る感覚に襲われる。
先ほどまで自らに手も足も出なかった人物の、ただの独り言に過ぎないその言葉はカラクにとって聞き覚えのあるものであり、だからこそその脳内にはいつかの記憶が蘇り、そして流れ始める。
『次にお前に勝つ存在は…そうだな、きっといつか、お前の主をも超える存在になる。…まぁ確証はないし、あくまで俺の勘に過ぎないんだけどな。でも、だから障害になれ。お前がそいつの、超えるべき一つ目の壁になるんだ』
それは遠い過去の、自分ではない自身の記憶。
あやふやな記憶の中でそう語る男は、戦いの影響によって周囲に何もない、広い草原に横たわるカラクにそう言って手を差し伸べ、そして短い戦いに終止符を打った。
当時のカラクには人の言葉が理解できなかった。
故にその記憶は深い海の底に落ちた小石のように誰にも触れられることなく沈み隠れており、だが今この瞬間、この戦いの中でニアたちの会話を理解するべく人間の言葉へと適応したことにより、その記憶は海上へと浮上し、そして遠い過去の言葉の意味をも理解する。
今、自身の目の前に生きるこの男こそ、いつかの記憶に告げられた、自身に勝つ可能性を持ち得る存在なのだと。
だからこそ、背筋が凍る感覚に襲われたその瞬間、自身の腕を掴むその存在から逃げるようにカラクは大きく後方へと飛び下がり、そして全身が伝えるままに警戒をあらわにする。
「なんだ…?」
そのカラクの突然の行動に、アンセルとアストーは何が起きたのか理解ができなかった。
カラクが退いたことによりふらふらと立ち上がる少年は変わらず立っていることが奇跡だと思えるほどに重症であり、だが力なく刀を握り、カラクを見つめる瞳には先ほどまでなかった意思が宿っており、
ーー先輩ならきっと、この事態も難なく切り抜けられるんだろうな。きっと、情けなく絶望したりなんかしなかったんだろうな。…でも、
『———きっと、人は誰かを守る時が1番強くなれるんです。だから、』
その言葉はニアにとって、当たり前だと思い過ぎていた、ニア自身の原点にも近しい言葉。
そして同時に、今この瞬間、ニアという人物に再び何のために強くなるのかを示し、戦う理由を教えてくれた言葉。だからこそ、
「だから俺は、守るために強くなる」
そこにもはや疑問はなく、だからこそニアは痛みの伴うその腕に握りしめられた刀をカラクへと向け、
「俺は俺のやり方で…守宮のカラク、お前を倒す。厄災ヨハネに代わって、夢の終わりを告げてやる」
そこにはもう、絶望の色はどこにもなかった。




