地を踏み鳴らすは夢の跡 その五
目の前で起きてしまったその現実に、ニアは逃げ出したいほどの絶望に襲われていた。
つい先刻、死力を尽くしたことにより紙一重で勝利することができた『守宮のカラク』との一戦。
アストーの長い詠唱を得た天啓での一撃。そしてそこに在り付くための長い道のりの果てに、命中したアストーの天啓はついにカラクを原型の留まらない程までに縮小し、そして3人を勝利へと至らしめた。
だが今、砕けた視界の先で何事もないかのように立つその存在はどうだろうか。
先ほどの戦闘でニア達が与えた傷の姿は何処にもなく、代わりにそこには先ほど以上の尋常ではない殺気を放つ怪物だけが立っていた。
呼吸の一つ一つが死へと繋がっているのではないかと思うほどに全身が危機として警戒を伝えるその存在は微動だにすることなく失われた頭部でニア達を見つめており、だが同時にその立ち振る舞いは絶望したニア達のその様子をあざけているようにも見えた。
「…なんで…」
小さくそう呟くニアの中には、もはや戦いを継続出来るほどの意志と力が残っていなかった。全身の感覚はもはや失われているに等しいほどであり、そして同時に満身創痍の自身と対するように全快し、更には先ほどまで以上の力をつけたその存在に、“勝てない”と、本能でそう理解してしまったからだった。
そして絶望を呟くニアの隣で止まっていた2人もまたその活動を再開するように動き出し、次の瞬間ニアと同じく視界の先に立つ“それ”を見、遅れて『修正』の意味を理解したことにより引き攣った笑みを浮かべることだけを許容される。
「ははっ…これは流石にちょっと厳しいんじゃないか??」
そう溢したのはアンセルであり、3人の中で唯一怪我という怪我を負っていなかった彼女もまた、目の前に広がるその光景に深い絶望を感じていた。だがその理由はニアと同じくカラクが立っていることそれ自体ではない。
今までアンセルが追想眼を以て見えていた景色の中にはニアとアストーが死に物狂いで躱し、いなし続けていたおかげでどの空間においても命中するほどに十分なカラクの“過去”のストックが残されていた。
それが先ほどまでアンセルに見えていた景色。だが今は違う。
今のアンセルの視界に広がるのは何も映っていない白紙の空間のみであり、先ほどまであったカラクの過去が消えたということによりアンセルもまた流れるように一つの結論へと辿り着く。
ーー時間ごと巻き戻した…それも、ニア達が戦うよりも前の時間に…?まさかそんなことがあり得るのか…?
そうして同時にアンセルはその視界の中に先ほどまでなかった巨大な砂の塔が映り込んでいることを理解し、同時にその戦いの中で薙ぎ倒されていたはずの木々の一切が何事もなかったかのように立ち並んでいたことにより、抱いていた疑問にも近いその結論は確固たるものとなる。
そうしてもう一つ、アンセルを絶望させた要因が他にもあった。
アンセルの目により映し出される力の粒子。先ほどまでですら遠目に見たとしてもはっきりとわかるほどに発されていたにも関わらず、今のカラクからはその粒子が小さなものであったと思えるほどに辺りを覆い尽くすほどの巨大な塊と化しており、その勢いは今もなお止まることはなく、時間と共に巨大なものとなり続けていた。
そうした二つの要因がこの戦いが勝機の見出せない戦いであるのだとアンセルへと理解させ、そして同時に絶望へと誘っていた。
だが3人を知覚してもなお、カラクはその場から動くことをせず、否、失われた頭部では知覚するという言葉すらが見合わないのかもしれない。
だがカラクは尚も自身の目の前に立つ3人をじっと見つめたまま動くことをせず、まるで飼っている動物を鑑賞するかの如く付いていないその頭部で3人を見つめるのだった。
「っ!!総員、構えろ!」
だがその絶望の中でもアンセルだけは諦めると言う選択肢を放棄し、そして再び戦いの中へと身を投じるという選択を選んでいた。
アンセルは自身が絶望に飲まれていると言うことを理解するや否やその絶望している自身を振り払うように小さく目を瞑り深呼吸をし、そして次の瞬間には同じく絶望の渦に飲まれているニア達を再び現実へと引き戻すべく声を荒げて見せ、そして変わらずなんの動きも見せないカラクへと警戒を露わにする。
「…余としたことが、ぬかったな」
そしてその声を聞いたアストーもまた絶望に飲まれていた自身を自覚したことにより自身を嘲笑するかのように小さく笑い、そして戦いはまだ終わっていないのだと、アンセルと同じく目の前に立つカラクへとその目を向ける。
そうして自身と同じく絶望の渦の中におり、傷だらけになりながらも諦めることなく戦闘の意思を見せた2人を見たニアもまた、戦いの最中であると言うのに勝手に勝つことを諦めていた自身を叱咤するように込められる力のありったけで自身の頬を叩き、そしてジリジリと遅れて訪れる痛みを以て戦闘継続の意を示して見せる。
その手足には感覚と呼べる感覚は残っておらず、手足を伝う血の冷たさだけがその部位がまだ肉体から離れることなくついているのだと言うことをニアに理解させ、そして奮い立たせる。
だがカラクはそんな3人を見ても微動だにすることなく停止の姿勢を貫いており、だが決意を持ったニアが先手を打つべく一歩を踏み込もうとその足を上げたその瞬間、ニアは不意にその視界にいたはずのカラクの姿が消えていることに気がついた。そして、
「っ…!!」
瞬間、全身が全霊の警告を持って死をニアへと伝えたことによりニアは再び考えるよりも早く咄嗟にその身を宙へと放り投げ、そして次の瞬間にその体は何か目に見えないものに横方向へと吹き飛ばされ、同時に突然の衝撃にかろうじて受け身を取れたものの不恰好な体勢のまま地面へと墜落する。
そうして地面へと落ちたニアは追撃への警戒を敷くべくその視界をカラクの方へと向け、その時にしてようやく先ほどまで自身が立っていたその箇所にカラクの細い腕が振り抜かれていること、そしてアストーが天啓を持って突き飛ばしてくれたおかげでいまだにこの世に生きていられているのだと理解する。
知覚してからでは避けられなかったその一撃は本能的にその全身が死の気配を伝え、警告を露わにしたことにより間一髪と呼ぶことすら過小表現な程の間一髪で躱した事によりその命を現実へと繋ぎ止めることを許容し、同時に命中したはずの一撃が空を舞ったことを理解したカラクもまた、振り抜いたその拳を瞬く間に引き戻し、そして次の瞬間には再びその姿を消滅させ、同時にニアの目前には迫り来る“死”を纏った拳が映り込んでいた。
ーーこれは死ん…
「ちっ!!」
瞬間、今からニアのその体を突き飛ばそうとも完全な回避には間に合わないと理解したアストーはニアへ干渉することを諦め、代わりにその一撃の行方をずらすべく自身の全力の天啓を以てカラクへと向けて放って見せる。
不可視の障壁は慣性を無視した超加速の元でカラクへと飛来し、だがその時不意にカラクは振りかぶったその体勢のまま急停止し、そして次の瞬間にはアストーの天啓が見えているかのように小さく体を捻ると、自身の左側から飛来するその不可視の空間の方へと手を伸ばして見せる。
見えるはずのないアストーの天啓。だがカラクは見えているのだと錯覚するほどに完璧に迫り来るアストーの天啓の元へと手を伸ばし、そして次の瞬間には迫り来ていたアストーの天啓は小さな結晶となることにより空中へと霧散する。
不発したわけではない。狙いは完璧にカラクへと固定されており、砕け散る直前までその存在は確立したものであった。だからこそ霧散したその理由は一つしかなく、同時にアストーがその訳を理解したその瞬間、
「ぐ…!!」
「っ、アストー!!」
またしても姿の消滅したカラクは自身への妨害へと注力していたがために回避の体勢を取ることが間に合わないアストーの横腹へと容赦のない蹴りを叩き込み、同時にアストーは意識すらしない間に小さな悲鳴をこぼし、そして木々を薙ぎ倒しながら吹き飛ばされていき、数秒の後に視界の果てに立つ巨山へとぶつかることにより停止する。
その威力は食らうまでもなく先ほど以上だと理解できるほどであり、カラクが蹴りを放ったその空間は辺り一体の空気を漏れなく巻き込みながら上昇し、吹き上がる風がニア達の体を激しく揺らしていた。
そして吹き飛ばされていくアストーにその意識の一端を持って行かれたその瞬間、ニアに生じる隙を待っていたかのように再び姿を眩ませたカラクは次の瞬間にはニアの背後へと移動し、そしてその体へアストーと同様に蹴りを喰らわせるべく大きく振りかぶる。
だがカラクの姿が消えたと同時に自らの背後に殺気を感じたニアは今から躱そうとも間に合わないと判断すると再び考えるよりも早く反射的に背後へと刀を構え、そして次の瞬間にはその体を貫く衝撃が刀を通じて全身へと飛来する。
「っ…!!!」
咄嗟に取った防御の構え。だがろくに稽古も積んでいない不器用なその構えではカラクの一撃を受け切ることは不可能であり、その体は頭部と胴体に別れこそしていないものの、別れているのではと思うほどの衝撃にその体は軽々と吹き飛ばされ、そしてなす術なく木々を薙ぎ倒していく。
衝撃に痺れる腕とは反対に刀は折れていなかったものの、その体はカラクの蹴りの威力が強すぎるがあまりに折れるように後方へと曲がり、そして次の瞬間には着地の体勢すら整わせぬまま地面へと衝突させる。
「が…っ」
地面へと接触した瞬間、その体は跳ねるように斜め前へと飛び上がり、そしてまたしても着地さえさせぬまま地面へと衝突し、その体を転がらせ、地面へと跡を残していく。
勢いを和らげることすらが許されないまま吹き飛ばされていくその体はやがて立ち並ぶ巨大な岩へと衝突することで停止し、その内臓が飛び出るかと思うほどの衝撃にニアは小さな悲鳴をこぼすことを余儀なくされてしまう。
そうして停止したその体は時間と共に前方へと倒れ込み、やがて受け身すらが取れぬまま地面へと衝突する。だがそれも仕方がないことなのだと。何故ならその時、既にニアの意識は現実から手を離してしまっていたのだから。
握っていた刀はいつの間にかその手元から離れた場所に転がっており、倒れ込むニアのその付近には、ただ小さな血溜まりだけが形を成していた。
1話あたりの文字数を短くしてみたのですが、どうでしょうか!これからはこのくらいの文字数で投稿していきたいと思いますので、1話あたりの展開が多少ゆっくりになる代わりに投稿する話数を増やしていきます!
どうぞよしなに!




