二幕はこれより火蓋を下ろす
小さな決意の直後、立ち上がったウミは改めて外の景色を見回していた。
それはオーゼンが捕えられていた牢獄の外側。
オーゼンの捕らえられている牢獄は、オーグリィンの街から東に抜けた先の、暗い森の中に建てられた一軒の家の地下にあった。
それはその家がただの民家だと偽装するためか、だが偶然オーゼンを探し回っていたウミは、自らの前方から傀儡達が歩いてきたこと、そしてその傀儡達の来た先に一軒の民家がポツンと置かれていたことでその存在を知り、そして更に偶然その一部分が欠けていたことにより見えた隙間からオーゼンの位置を知ることができた。
偶然と呼ぶにはあまりにもできすぎた偶然。
だがそれはウミが狙ったことではなく、本当に偶然起きた奇跡としか呼べない運の賜物だった。
そしてオーゼンとの会話を終えたウミはオーゼンを助けるためにまずは辺りに傀儡がいないことを確認すると慎重に家の前へとその足を運び、続けて微かに開いたその扉から中に人がいないかを伺うように目を向ける。
だが見えた景色の中に人の姿は一つもなく、そうして中に人がいないことを理解したウミは、尚も慎重にその中へと忍び込み、誰かが来る前にと地下への入り口を探し始める。
「…ここ?ちがう…うーん…」
だがその地下は長年秘密の牢獄として機能していただけあり、見つけようと思ってその入口を見つけることができるほど容易ではなく、そうして数分の時が過ぎた。
見回す限りの怪しげな場所を探したにも関わらず何の手がかりもなかったことに頭をひねるウミはハッとしたような表情と共に、遂に「捕えられてるオーゼンなら入り方もわかっているのではないか」という考えに至り、そして未だにウミからの報告を地下で待っているであろうオーゼンに話を聞きにいくためにその足を踏み出し、
「…彼はダメだった。やっぱりか…残念」
「!!」
だが扉の元へと辿り着くよりも先に微かに何者かの声が聞こえたことで扉の元へと踏み出していたウミはその動作を中断せざるを得なくなり、そしてウミのいる家へと向かってきているのか、段々とはっきりしていくその声に焦りながらも隠れる場所はないかと辺りを見まわすと、視界に入った押入れの中に飛び込むように隠れ込む。
瞬間、ウミが隠れたのとほとんど同時のタイミングに家へと寄ってきていたその足音の主により扉は開かれ、微かな風と共にその者は中へと足を踏み入れる。
そうして押入れの微かな隙間から見えたその人物はニアを襲った傀儡達の主である老人であり、だが老人は入ってくるや否やぶつぶつと文句を垂れるように言葉を呟くと、
「疲れるんだよな、こういうの。はぁ、重荷がすぎる、不平等だ」
愚痴のようにそんな言葉をこぼす老人にニアと相対していた際のような威圧感はなく、それは単に敵対するものが居ない、素に近い状態だからか、だがそんな老人の様子にウミはニアと同じく何処か幼い要素を感じてしまっていた。
そうしてしばらくの愚痴ののちにウミの隠れた押入れの先に立った老人は、そこに置かれた電話に何か細工をしているような様子を見せ、だが次の瞬間にはその電話の置かれている棚は音を立てて横へと移動し、
ーー…ちか
露わになったその空間はウミが探していたオーゼンの囚われている地下の入り口そのものであり、四方を青い塗料で染め上げられたその空間は、見ているだけで寂しさを覚えてしまうほどに寂しさで溢れた空間だった。
そうして老人は再びオーゼンへと交渉を持ちかけるためか、開いたその地下の中へと足を踏み出し、
「!?」
瞬間、遠く離れた場所から聞こえてきた爆発音にも近いその音は遠く離れた場所に立っているこの家の窓すらもを激しく揺らし、突然の事態に驚愕を隠せない老人は振り向いた先で土埃を立て更に倒壊させていくその建物を見たことで平常を失い、張り付くように窓のそばへと移動し、そして状況を理解するべく倒壊した建物の周囲にいる傀儡達に状況を知らせるよう命令を下して見せる。
そうしてウミへと背を向けた老人の腰には、ご丁寧に一緒くたに纏められている牢獄の鍵らしきものがかけられており、そのことに気がついたウミは気付かれないように慎重に老人の元へと歩みを近づかせ、そして次の瞬間には豪快に、かつ慎重にその鍵を奪い取って見せる。
倒壊した建物に気を取られていたからか、老人は伸ばされたウミの手に気づくことなく、そうして抜き取られた感覚を知った老人は辺りを見まわし、だがその視界に人の姿はなく、次の瞬間に視界の先で地下へと向かい走っていくウミを捉えたことでようやくその存在を理解する。
背後で起きている異常事態に尚もその意識の一端を割かれている老人は一刻も早くウミを捕らえ、倒壊した建物の方に集中しようとするが、年老いたその体で有り余る元気を持ったウミに追いつけるわけはなく、地下をかけているウミとは時間と共にその距離を開いていき、だからこそ老人は間に合わない。
聞こえてきた何かが擦れるようなその音は鍵を持ったウミが罪人を閉じ込めておく一室である牢獄を開けたからこそ響いた音であり、そして開いたその牢獄から姿を現したのは、
「いけ、おーぜん!」
「ったく、なんか2人揃って俺の扱いが雑すぎじゃないか?」
変わらない口調でいきなり戦わせようとしてくるウミへ冗談混じりの返事を返すオーゼンであり、オーゼンはウミから手枷の鍵を受け取ると器用にも1人で解除をし、手枷の地面へと落ちる音がその空間を突き抜けていく。
そうして長時間拘束されていたからか、僅かに赤くなった手首を押さえながら目の前の老人へと向くと、
「まぁ、上で何が起きたのかは知らねえけど、こちとら死ぬ一歩手前まで行ってるんでな、とりあえずはっ倒させてもらうぜ、爺さん」
突如として何かが破裂するような、そんな音が響いてきた。
冷たい空間の中に捕らえられたその体は既に冷え切っており、だが逃げ出すことすらが碌にできない状態故にその寒さを耐えると言う方法でしか乗り切る事が出来ず、だがそれでも聞こえてきたその轟音に朦朧としていた意識は飛び起きるように現実に回帰する。
そうして聞こえたその破裂音の方からは、続けて何者かが歩いてくるような足音が響き渡り、ニアは新たな敵の襲来を予感し不格好ながらも警戒体制をとる。だが、
「情けないな、様子を見にきてみればこの様とは」
「…お前は?」
角から姿を覗かせ、その声を響かせたのはニアの想像していた老人のような明らかな敵という印象の姿のものではなく、ニアと同じか、あるいはそれよりも少し上かと思う年齢の黒いフードに身を包んだ青い目をした男だった。
そうして男は牢獄に捕えられたまま身動きの取れないニアを発見するや否や落胆したような目を向けそんな言葉を投げつけると、問いかけられたその問いに答えることなく続けてわざとらしく捕えられているニアから最も遠い位置に横たわる桜月へと目を向けると、
「これは主の物か」
「質問は俺がしてるんだ。答えろ、お前は誰だ」
桜月を人質にでもしたいのだろうか、投げやりに置かれた桜月へと目をやった男は、それはお前のものなのかとニアへと問いかけるが、正体の碌にわからない者の問いに素直に答えるほどニアの警戒心は開き切ってはいない。
そうして互いに問いに答えぬまま数秒の沈黙が空気を染め上げ、だが遂に痺れを切らし、口を開いたのはニアの方だった。
瞬き一つする事なくニアへと自身の時に答えるよう促すように見つめ続ける男に根負けしたようにニアは深いため息をつくと、続けて変わらず桜月のそばに立つ男へと目を向けると、
「そうだ、それは俺が先輩から譲り受けた何よりも大切なもの。お前が誰かは知らないが、もしそれに何かしようってんなら俺は容赦は…」
「そうか。よく手入れされている。主には不釣り合いな程に」
それは眠りから覚めることのないニアにとって恩師であるエリシアから譲り受けた、強さを求める今のニアにとって唯一の道標にも等しい命と同等の、あるいはそれ以上の価値を宿したただ一本の真剣。
男はそんな桜月を拾い上げると微かにその鞘から刀身を引き出し、暗い光をも反射するその姿を目にしたと同時に、圧をかけるニアの言葉を遮るようにそんな嫌味ったらしい言葉を返し、そして再び刀身を鞘へとしまうのだった。
「…そうかよ。それでこっちは答えたぞ、次はお前の番だ」
「余に対し「お前」とは…常であれば処されるほどの不敬と知れ。だが、等価交換という物に異議を申し立てるほど余の器は腐っていない。いいだろう、答えてやろう」
少年の予想外の返答にわずかに驚いた表情を浮かべたニアだったが、次の瞬間には自身が蔑まれたということを理解するや否や男は言葉を返そうとその口を開くが、未だにその刀に見合う程自身の実力がないことを誰よりも理解しているからか、言い返そうとも言い返すことのできない言葉にできない感情に抱かれるのだった。
そしてニアが問いに答えたことでこちらもまた答えてやると、変わらない上から目線でそう答えた男は自身を見つめるニアの方へと、こちらもまたその目を向けると、
「余はアストー。王である」
「…何言ってるんだ?大丈夫か?」
「わからぬも無理はない。凡愚には理解できぬ存在よ」
明かされた名前はまだしも、続けて伝えられた“王”という称号について自らと同じほどの年齢なのに、と、頭の具合を心配するように言葉をかけて見せるが、対するアストーはそんなニアの言葉に恥じることなく、代わりに理解できないのはニアが凡庸だからであると言い捨てて見せる。
そんな先ほどからの酷い言いように眉を顰めるニアだったが、ふとした瞬間に”おかしいのは自分なのかもしれない、もしかすればこの男のような称号は一般的なものであり、自分がこの世界にまだ馴染めていないから変に思えるだけなのでは?”と、そんな意見が湧いて出てきたことで初めてニアは理解し、だがアストーは続けてそんな思考をするニアの元へと桜月を突き出すと、
「ここから出たいか?」
「…お前は、あの老人の仲間じゃないのか」
「たわけめ。言ったであろう、余は王であると。仮に王と自称する凡夫であっても、騙るものがあんな愚鈍の仲間になどなるわけもないと少し考えればわかるはずであろう…して、残すは主の意思のみだが」
アストーの言った言葉はニアからしても願ってもいない言葉だった。だが、だとすれば尚更どうして優勢な老人ではなくニアの味方をするのかと、そんな疑問が湧き出て後を立たなかった。
そうして湧いて出たその疑問を投げかけるべく口を開いたニアだったが、アストーの求めていた答えは先ほどから一貫して「自身の問いに対する答え」のみであり、だからこそ湧いて出たその疑問を言葉をすることなく胸の内に秘め、そして代わりにアストーへと目を向けると、
「俺をここから出してくれ。俺は、仲間を助けに行かなくちゃならない」
「よい。なれば次はないと動け。最悪の場合、主の相対する者はあの老骨に止まらぬからな」
言い切ったその言葉に嘘はなく、他意はない。
ニアの中にはいつ処刑されてもおかしくないオーゼンを助けるというただその意思だけが宿っており、その揺らぎのない回答を聞いたアストーは小さく笑うと何やら意味深な言葉をニアへと残し、そして次の瞬間、
「…っ!?」
突如としてニアを閉じ込める檻はその形状を変形させ、金属の捻じ曲がる甲高い音を響かせながらまるで見えない何かに押しつぶされるかのように歪み、そして次の瞬間にはニアを閉じ込めていた檻はその役割を放棄する。
そしてそれはニアのおりだけに留まらず、連鎖するように人々を閉じ込めておくことが役割のその檻はニアの檻と同じく捻じ曲がり、そしてその全てがニアの檻と同じように次の瞬間にはその役割を放棄し、同時にその壁一面には小さなヒビが連鎖的に生まれていく。
「これはお前が…、??」
先ほどの会話の直後に起こった事象故に、ニアは自身へと語りかけていた男の仕業なのかと問いかけようと再びその目を男のいた場所へと向けるが、その場には既に男の姿はなく、代わりにご丁寧に地面へと置かれた桜月と、同時に時間と共にその規模を拡大させていくヒビの、ミシミシという嫌な音だけを残していた。
そうしてこの後に起こる事象を嫌でも理解したニアは一刻も早くその地下から脱出を図るべく辺りへと目をやり、そして男が入ってきたからか視界の端に微かに光が舞入っている箇所があったことでその箇所が地下の出入り口であることを確信し、慌てながらも慎重に地面に横たわった桜月を握りしめると、そのまま全速力で出入り口の方へと駆け、咄嗟にその光の中に身を投げ出した瞬間、
「…っぶねえ」
間一髪だった。
あと1秒でも遅れていれば足が巻き込まれていたのではないかと思うほどに間一髪のタイミングで光の元へと脱出を果たしたニアは後方で地下の倒壊する音を聞きながら続けてこの家自体が倒壊するのにももうあまり時間はないと理解し、その足を止めることなく見えた窓から身を放り投げる。
瞬間、折り畳まれるように崩れ落ちた家は凄まじい風圧を生じさせ、間一髪でその窓から飛び出たニアをさらに遠方へと吹き飛ばして見せ、同時に土埃と共に凄まじい轟音が辺りに響き渡った。
「…桜月は…、よかった、無事だ」
そうして命からがら外への脱出を果たしたニアは背後で握りしめているはずの桜月をいつの間にか離しているのではないかと心配し、そして再び握りしめたその手のひらに変わらない刀の感触があったことで安堵の息を吸い込み、
だが事態はニアに休息を与えることを許しはせず、自身の捕らえている位置を把握するべく辺りへと目をやった途端、ぞろぞろと辺りの草木を揺らす音が周囲一帯から聞こえてきたことで、ニアは吸ったその安堵の息を代わりにため息として吐き出すことを余儀なくされる。
そうして再びの奇襲にも対応できるようにと、警戒を緩めることなく周囲一帯へと巡らせていたその時、
「どうして…どうやって脱出したのですか!?」
その声は前回ニアが相対していた老人のものではなく、だがその口調や声色からその声を発する男が老人と同一の者であると理解する。
そうして状況を飲み込むことができず叫ぶようにニアへとそう問いかける男へ、ニアは男と同じくあまり状況を理解できてはいないながらも、あえて男を嘲笑するように小さく笑うと、
「あえて捕まってたんだよ。そんなことにも気づかなかったとは…そうだな、オーゼンももうすぐ脱出すると思うぞ」
「!?」
「そっちか」
売り言葉に買い言葉とはよく言ったものだ。
煽るように放たれた言葉に対し、臆することなく、あるいは反射的にこちらもまた反論を返す。それがこの言葉の本来の意味。
だがそれは通常であれば反応に過ぎず、状況を理解することのできていない男はニアの煽り文句に言葉を返すほどの冷静さはなく、だから伝えられたその言葉を間に受け、そして必然的に嘘のないオーゼンのいる方向を”向いて”しまう。
そうして急ぎ焦ったようにニアへと振り向く男だったが、その表情には数時間前にニアと相対した時のような余裕を含んだ表情はなく、代わりに一瞬にして自身の計画を壊されたことによる怒りにも近い感情を露わにし、
「リベンジ戦だ、今度こそ攻略してやるよ。お前のその力を」
そうして一度は敗北したその戦いの火蓋は再び切って落とされた。
鼓動する“何か”は、静かにその時を待っていた。




