繋いだ先で
「…?」
目を覚ました時、見えた景色は知らない天井だった。
暗い木の天井はニアの存在を快く受け入れ、同時に全身を柔らかい感触が受け止めていた。
目覚めたばかりなせいか意識は朦朧とし、手足の指の一つですら碌に動かせるほどの元気は残っていない。だが、
「目が覚めましたか??よかった」
「!?」
瞬間、意識は覚醒する。
覗き込む見覚えのない顔に朦朧としていたニアの意識は叩き起こされるように現実へと浮上し、同時にその時にしてようやく自身が目覚めたこの場所へと疑問が追いついてくる。
ここは…小屋…?
いや、それよりなんで俺は生きて…
と、現状を理解するべく回転する思考であったが、その思考はなるべくして急停止する。
何故なら見覚えのない天井に、横たわるニアを受け止めるクッション。そして覗き込む少女に——
「…包帯」
ニアの上半身は白い包帯に巻かれていた。
否、白かったはずの包帯は滲んだ血によってすでに薄汚れた色へと変色し、だがそれでも理解できたただ一つの真実があった。
「…君が助けてくれたのか…?」
視界の先で目覚めたニアにホッとした表情を向ける少女。
スキアとの決戦の際、ニアは自身を助けにきてくれた少女がいたことは把握していた。だがルイストの過剰併用、そして腕を折られたことによりその視界は人の姿を明確に捉えられるほど鮮明なものではなくなっていた。
だからこそ、今この瞬間にしてニアはようやくあの時の少女が今目の前にいる少女なのだと理解し、同時に助けてくれたのだと納得する。
ニアのいる家は一軒家のようだった。
視界の先に見える山折りになっている天井から察するにおそらく現在地は2階であり、どうやったのかはわからないがとりあえず少女が頑張って運んでくれたのだろうとは予想できた。
いつまでも横たわっているわけにはいかないと、ニアは体に力を込め上半身を起き上がらそうとする。
だがそれと同時に全身を貫くほどの痛みが訪れ、悲鳴を漏らすことすらが叶わないまま小さく身を撃沈させる。
「何やってるんですか…、怪我人なんですからそんな急に動かしたらダメですよ。今はとりあえず安静に、です」
「…あいつは…?そうだ、あいつはどこに…!!」
「信じられないかもしれませんが、撤退しました。何が起きたのかは私にも存じ得ませんが、とりあえずあなたは生き延びたんです」
少女の言葉にニアは返事をせず、代わりに惨めに包帯に巻かれたその両腕へと目をやり、小さく呟く。
「…そうか。生きたのか。全部失って、託されて、その全てを使ってまで戦っても負けて、その結果俺はまだ生きたんだ…、…生きてしまったんだな」
いつの間にかニアの間には薄い涙が浮かんでおり、だが少女にはそれが負けたこと自体への悔しさなどではないということを理解していた。
呟かれた言葉を寄せ集めたとしても、今の少女にニアの体験した全てを察することは叶わない。だからこそ、少女は呆然とするニアのその手へ軽く自身の手を添えると、
「私には偉そうなことは言えません。それは無責任で、きっとあなたも求めてはいないから。たとえ言ったとしても、今のあなたの心は何も求めてはいないから。ですから、もしよろしければ教えていただけませんか?あの場に立ち会ったただ1人の事情を知らぬ者として、貴方の身に何があったのかを」
「…」
優しく語られた言葉に、ニアはしばらくの沈黙を貫いていた。
少女もまた、自身かどれほど酷なことを問いかけているのかを理解していた。だがそれでも、目の前で死を望むような顔をしているこの人を見捨てるわけにはいかないと、そう思ってしまったのだ。
そして、
「…俺は多分、この世界の人間じゃない」
「それは…」
「でも、スキア…俺が戦ってたあいつの世界ともちがう。…ある人の力でこちらに落ちてきたんだ」
「…そうなんですね」
妙にあっさりと納得した少女へ、ニアは不思議に思いその顔を上げた。
そうして上げた視界の先に見えた少女は優しく微笑んでいた。
「信じてもらえないと思いましたか?私も実際にこの目で見ていなければ信じてなどいなかったと思います。でも、見ましたから。貴方の使う力を。躊躇いなくあれほどの力を使う人がこれまでなんの実績も示してこなかったなんて、そちらの方が不自然ですから」
「…そうか」
「まぁ、溶岩のようなやつを使った際は危うく巻き込まれるところでしたが」
「それは…すまない」
少女はなんの気無しにひらりと端の焼けた羽織を見せびらかし、だがその様子からおそらくあと少し範囲を拡大してしまっていれば少女も巻き込んでしまっていたと、ニアは申し訳なさから再びその顔を沈めてしまう。
「俺がいたのは『ラインフィリア』っていう国で、俺はそこで王女様の護衛をしていたんだ」
「護衛…」
「信じられないかもしれないが、俺のいた世界では世界一豊かな国なんて言われたりしてたんだよ。事実、みんないい人で、良くも悪くも、王族平民を区別する人もいなかった。それも全部、若くから王位についた王女様が若い人生のほとんどを費やしてきた結果で、俺もまたそこで物心ついた時からずっと世話になってきた…なってきたんだ…、…でも…」
いつの間にかニアの声は震え、その目には薄い涙が滲んでいた。
わずかに荒くなる呼吸から少女はニアがこの先に語ろうとしていることがどういうことなのかを理解し、だからこそ、
「事情はわかりました。いいえ、勝手に察ささせていただきますね。そして、そんないい人たちが託してくれたのなら、おそらく貴方も躊躇いようがないほどに“いい人”なのでしょう。だから、失礼ながら一つだけ」
と、少女は再び優しく微笑むと、
「貴方が生きていて、よかった」
優しくそう伝える少女のその声に、その顔に、その仕草に、ニアはどこか懐かしさを感じてしまっていた。
それが誰と重ねてしまったからなのか。それは未だに落ち着くことのない思考のせいで定かではない。
ただ、度重なる絶望から死を望んでしまっていたニアにとって、その一言は他のどんな言葉よりも意味のあるものであり、
「…っ」
無理矢理に抑えていた涙は決壊するかのように小さな声と共を溢れ出す。
静かな部屋に響く、小さな泣き声。少女はその最中、ニアへとなんの声もかけることなくただ側に寄り添っていた。
そしてしばらくが過ぎた。
座る少女は変わらず沈黙を貫き、そしてニアの涙が収まり、呼吸が整い始めた頃、
「…すまない、情けないところを見せた」
「いえ、泣きたい時には泣けばいいんですよ。それが人ですから」
「…色々教えた見返りって訳でもないんだが、こちらからも一つ聞いてもいいか?」
「えぇ、どうぞ」
そうしてニアは改めて、窓の隙間から見える巨大な壁へとその目を向けると、
「あの壁はなんなんだ?自然物って感じはないが、人工物というにはあまりにも大きいというか…」
「壁?」
ニアの問いになんのことかと首を傾げる少女。
だがニアが自身ではない他の箇所を見つめていることを理解すると、合わせるようにその視線の先へと顔を向けたことにより、納得の表情を浮かべる。
「あぁ、あれのことですか。あれは拠真岩壁といって、はるか昔からあそこにある巨大な岩です。伝説では、人々がまだ天災に抗う術を持っていなかった時代に突如として現れたものだそうで、偶然嵐から逃げる際中へ避難すると、すぐ近くまで迫っていた嵐はこの壁を避けるように進み、それ以降人々が避難場所として使用し出したのが始めだそうです」
「それは偶然じゃないのか?」
「私もそう思っていました。ですが、初めてこの壁へ避難してから今まで、ただの一度も厄災がこの国を襲ったことはないそうです。」
有名な話なのか、少女は何食わぬ顔で淡々とニアの疑問へ返答の言葉を連ねていく。
自身の話に関心を寄せるニアが嬉しかったのか、少女もまた満更でもないようにわざとらしく咳払いをしてみせ、遮られた話の続きを語り始める。
「そうして昔の人たちは厄災が襲ってこなくなったのはこの壁のおかげだと思い崇拝するようになり、そこに国を起こしたことで今の王都セレスティアができたと言うわけです」
「セレスティア…」
「あの壁の内側。そこには先ほどの物語により起こされた国があり、その名こそ、王都セレスティアです」
端的に語られた話は疑問の一つすらを残さないほどに必要なことのみを語っており、ニアもまた納得したように再び巨真岩壁へとその目を向ける。
だが、少女は不意に何かを思い出したかのように口を開くと、
「それと、あれは王都の中には含まれません。王都と分類されるのは、壁に囲まれた内側だけです」
「そうなのか…わかった。何度もありがとう」
「いえ、お役に立てたのなら何よりです」
語り合えた少女は満足そうに息を吐き、今尚見つめるニアと同じく巨真岩壁の方へとその目を向ける。
見つめるニアは、一つの疑問を抱いていた。
それは少女に聞いたからと言って明確な答えが返ってくる可能性は低いと思い聞かなかったことであり、だからこそその脳内では絶えず思考していた。
突如現れたと言うのはどう言うことだ?あんなに巨大な物が1日にして現れるわけがない。
しかも伝説として語られるほど昔のことなら尚更。…だとすればその時、天災とは別の何かが起きたんじゃないか?
だが長考する思考は、続けて起きた事象により掻き消されてしまう。
何故ならその時、ニア達のいる家の扉が何者かによって開かれたからだった。
「おーいエリシアー、無事?さっきすごい音したけど」
能天気に二階へと叫ぶその声は、慣れた口調から察するにおそらくは少女の関係者だろうとニアは予想する。
だが今のニアには容易に人を信じられるほどの余裕はない。
それを知ってか知らずか、エリシアと呼ばれた少女は安心付けるようにニアへとその目を向けると、
「大丈夫ですよ、この人は私の先生です。決して悪い人じゃないのは私が保証します」
その声にニアはわずかに安堵し、だが階段を上り来る足跡が迫るたびに、ニアの心臓はどうしようもなく加速していく。
それから間も無くして、足音の主は2人の前へと姿を現した。
「…あれ、お客人?珍しい…」
なんの気無しに顔を覗かせた男は少女を見るや否やどこか安心したような表情を浮かべ、同時にニアの存在に気づくとわずかな驚愕を覚える。
その者は、ぼさぼさの髪に、羽織のようなものを身につけた二十代後半に見える長身の男であり、少女と同じく腰には刀のようなものがかけられていた。
そうして驚愕のまま紡がれた言葉は、最後まで紡がれることなく消滅する。そして代わりに、
「…あれ、君…」
面識がないにも関わらずまじまじと見つめる男にニアは段々と警戒の色を露わにしていく。
そしてそれは、次にかけられた言葉によりニアに勘違いではないのだと理解させる。
「——無事?さっき戦ってた子でしょ」
「なんでそれを…」
何気なく呟かれたその言葉に、ニアの脳は瞬間的に停止する。
何故先ほどのことを知っている??
見ていた?なら何故野放しにしていた??
この世界にとってもスキア未知の存在のはず、野放しにすることになんのメリットがある??
連鎖するように次々と湧き上がる疑問にニアの脳内は瞬く間に埋め尽くされ、言葉を発することすらもを忘れるほどまでに呆気に取られてしまう。
だが、そんなことお構いなしと、男はニアへとなんの気無しに歩みを寄せると、
「ちょうど話がしたいと思ってたんだ。エリシア、この人借りてくね」
「あ、ちょっと先生!怪我人ってことくらい見れば——」
「…何の用だ」
連れて行こうとする男の言葉に、少女は変わらず怪我人は安静にするべきと反意を返す。
だがその言葉は呟かれたニアの言葉により上塗りされ、同時にニアの瞳には紛れもない敵意が宿る。
先ほどの言葉の真偽は定かではなく、今この瞬間だけでは確かめようもない。
だが、今のニアにとって、その言葉だけで敵意を持つには十分すぎる理由となり得る。
「だから、それを説明するためについてきて欲しいんだよ」
「ついていけばお前は俺の疑問に答えてくれるのか?」
「答えられる限りなら、ね」
「…そうか、わかった。ただし、少しでも不審な動きをすれば容赦はしない」
「ちょっとあなたまで!」
今のニアに力はなかった。だが男はそれを知らないはず、もし敗北を期したことを知っていても、ニアの力が奪われたことを知っているのはこの少女を除いて他にいないはずだ。
ニアは足を地につけることにより訪れる激痛にわずかに顔を歪ませながらも、地面を這うようにしてなんとか立ち上がって見せる。
そしてそんな様子にわずかに笑みを浮かべた男はニアへと背を向け、代わりに、
「エリシア、その子を玄関まで送ってあげてくれるかな?」
「そんなことする訳…!」
「大丈夫、そんな心配しないで、すぐ戻ってくるから…ね?」
かけられた男の言葉に少女はわずかにたじろぐような様子を見せ、だが大丈夫だと信頼しているのか、次の瞬間には深いため息と共にニアの元へと歩き始める。
そうして支えられるままになんとか玄関まで辿り着いたニアは、少女の手から離れると同時に痛みに襲われる。
だがニアはそんな状態にも関わらず痛みに耐えるようにして無理矢理に体を動かしていき、やがて少女から見えないほどまでに遠くへと歩いていく。
「もう…はぁ、片付けでもして待ってよ」
心配そうにニアの背中を見つめていた少女は、そうポツリと呟くと、そそくさと掃除を始めるのだった。




