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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
夢と旅路
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狂気という名の地獄

 突如として目の前に現れた老人と、それを取り巻く意思のない瞳をした者達。

 そんな老人へ、ニアはウミを自身の背後へと下がらせるとその柄へ手を添え、


「あんたがここのボスか」


「どのようにして私の天啓から逃れられたのか…ふむ、一見なんてことのないように見えるが…」


 ニアの問いに老人はなんの反応も示すことなく、代わりにニアを見定めるようにその全身を見回す。

 だが数秒後、理解ができないと言わんばかりに微かに首を傾げるが、「まぁいい」と短く吐き捨てたのちに改めてニアへとその目を向けると、


「我々は一にして全。言うなれば皆が王であり平民である」


「そうか。それで、そんなに大軍引き連れて一体何の用だ」


「我々は平穏のみを生と為す。故に平穏を乱す者がいては、我々は生を全うできない」


「…それで処分しにきたってか?」


「左様」


 意味深に放たれた言葉にニアは何処か違和感を感じながらも問いを返し、老人はその言葉に対し肯定の意を返す。


 そうして老人は左手を持ち上げると、わざとらしく宙へと掲げてみせる。

 瞬間、老人の背後に立っていた意思のない瞳をした傀儡達は一切にその行動を開始し、瞬く間にニアの四方を取り囲む。


 だが、動作を開始した傀儡達はニアを囲い込んだ時点でその動きを止め、その様子にニアはそれが“いつでも殺せるが為の慢心”であるのだと理解する。

 そうして傀儡達がその動きを止めたのと同時に老人はその間を通り抜けるようにしてニア達の前へと出、そして手を差し出すと、


「だが我々は殺生を好まない。貴方も我々の一員となってくれるのなら、無駄な血は流れないだろう」






何を企んでいる?まさかこいつ1人で俺に勝てるとでも…?いや、だがしかし…






 辺りには傀儡達がおり、だがその傀儡達はあくまで老人の天啓により操られているごく普通の市民に他ならない。

 ニアから見ても、老人だけであればどうとでもできた。

 敵としてニア達だけでなく市民をも巻き込んだ以上、ニアもそれ相応の方法をとることにもはや躊躇いはないからだ。


 だが、この傀儡達はこの場に自分の意思で来たわけでもなく、ましてや戦いになった際に盾として使われることも望んではいない。

 そんな不幸の被害者である彼らを不用意に傷つけると言うことが、ニアにはできなかった。


 だがその時、スッと目を窄めた老人は続けてその手を軽く叩き、


「っ…!?」


 瞬間、ニアの脳内には再び強い不快感が訪れ、そのあまりの気持ち悪さに小さな悲鳴と共に思考は中断せざるを余儀なくされる。


「驚かせてしまったか?だがどうか許してほしい。君の思考はあまりにも危険で、同時に警戒すべき考えが鳴り止まないからだ」


 表情を歪めるニアへ、当たり前のように思考を読んでいることを告げた老人は、続けてその理由が自らにとって脅威であるからだと伝える。

 それは、裏を返せばそれは即ちニアの予想通りこの老人を倒せばこの一件はいつもの日常に戻ると言うことの確証でもあった。

 

 だが、それを成そうにも依然としてニアを取り囲む傀儡たちの存在が邪魔であり、ニアは動き出すその一歩を踏み出せずにいた。

 だからこそ、ニアは思考を読まれていることを承知の上で深いため息をつき、老人へと目を向けると、


「…一つ質問だ。お前たちが捕らえたオーゼンだが、一体何をしていていたんだ」


「貴方はそれを知っているはずです。…ですがあえて言うとすれば、『触れてはならないものに触れてしまったから』です」


「…そうか」


 問われた言葉に対し、老人はニアが予想した通りの言葉を返した。

 それが誰にとって『触れてはいけないもの』なのかは定かではない。


 だが、少なくともオーゼンの行動を防ぐために行動を起こしたと確信を得た今、ニアがその行動を迷うことはない。


「では、そろそろ返事を聞かせてもらいましょうか」


「そうだな。とは言っても、考えるまでもなく決まってるが」


「そうですか…」


 オーゼンはただ1人、この誰も気づかなかった地獄の鱗片に気づいてしまった。

 それ故に誰が味方かもわからない日常を過ごし、それでも全てを守るためにニアという見ず知らずの者にまで助けを求め、そして今危機に瀕している。


 なら、ニアもまたここで逃げ出すという選択を取るわけにもいかない。

 ただ1日の仲とは言え、ニアはオーゼンが悪意のない善人であることを知ってしまった。

 ——だから、


「もちろん、却下だ」


「皆さん。かかりなさい」


 瞬間、老人の言葉を皮切りにニアを取り囲んでいた傀儡達は一斉にその動きを再開し、躊躇いなく襲い来る。


 迫り来る傀儡達の間に通り抜けられるほどの隙間がないことを理解したニアは、咄嗟にウミを腕の中へと抱き抱えると、迷うことなく上空へと飛び上がる。

 同時につい先ほどまでニアのいたその空間は倒れ込んだ傀儡達の姿により埋め尽くされ、ニアは着地と同時にその傀儡達を踏み台にすることによりその場の窮地を回避する。


 だが安堵したのも束の間、ふと地面へと向いたその視界を正面へと向けた瞬間、その視界には先程の傀儡達の姿で見えなかった更なる命令を待つ傀儡達の姿が映り込む。

 そうして傀儡達の瞳にニアが映ると同時に、地面へと着地するべく落下するニアを目掛けて傀儡達はその動作を開始し、そうしてニアが地面へと着地するその瞬間、


「っぶない」


 足が地面へと接するその瞬間、ニアは咄嗟に刀の鞘を懐から抜き、地面へと突き立てることで瞬き一つの間着地のタイミングをずらしてみせる。

 瞬間、本来であればニアが着地するはずだったそのタイミングを見計らって飛びかかった傀儡達はニアの足元へと倒れ込む。

 そんな傀儡を胴を再び踏み、飛び上がることでニアはまたしても窮地を脱し、代わりにその思考は未だ動くことない老人へと向けられる。







やつの力は十中八九人を操るそれだろうな…操れる人数は20人近く…近づけば数に押されて負ける…か、どうする…







 視界の中に映る傀儡の数は20人そこらであり、それ以上を操れたとして自らの警備に当たらせないことにメリットが見つからないことから、ニアはこの老人の天啓の上限が20人程であると予想する。

 ——だが、その一瞬の思考がニアの判断を鈍らせた。


「…!!」


 着地し、少しでも開けた場所へと足を踏み出したその瞬間、ニアの行動を予想していたと言わんばかりにニアの進行方向から草むらに隠れていたさらに数人の傀儡が姿を現した。

 その予想外の傀儡達の人数にニアはわずかに反応を遅らせつつも、かろうじて伸ばされたその手に捕まることなく後方へと宙返りすることで奇襲の一手を回避する。


 だが、後方へと飛び下がったその体は地面へと着地すると同時に訪れた凄まじい重力により地面へと落とされ、突然の事態にニアは理解を遅らせながらも咄嗟に違和感の箇所へと目を向け、そして理解する。


「ち…!!」


 躱したはずの傀儡から伸びた腕がニアの裾を掴み、時間と共にその体を這い上っていた。

 いくらニアとは言えど、二十歳にも満たないその体で絡みついた人の体を振り払うことは容易ではない。


 そうして操作を失った体はまた別の傀儡による更なる追撃により次の瞬間には地面へと押し倒され、だが傀儡達は容赦することなく地面へと倒れ込んだニアをさらに制圧するべく一斉に襲い掛かり———、


「…ウミ、オーゼンを頼んだ」


「にあ…?っ…!!」


 不意に放たれたその言葉にウミはわずかに疑問な声色を漏らし、だが次の瞬間にはその体は浮遊感と共にニアの元から離れていく。


 自らがこの状況から抜け出すことが不可能だと察したニアは、代わりに腕の中のウミだけでも逃すべきだと咄嗟に傀儡達の姿の薄い方向へとウミを放り投げたのだ。

 瞬間、ウミはニアの元から離れるべく手を伸ばし、何かを懸命に叫ぶ。

 ———だが、その言葉はニアへと届くことはない。


 ウミを放り投げたその瞬間、ニアの姿は雪崩のように襲いかかった傀儡達の群れにより埋め尽くされ、代わりにそこには積み重なった傀儡達の姿だけだ残される。


 




っ…息が…






 光すらが舞い込まないほどの圧迫された空間の中には空気の出入り口はなく、何よりもニアの体に乗り掛かった幾人の重みがニアへ呼吸をすることを許さなかった。

 諦めてはいけないと必死にその手足をもがかせるが、辿り着くのはなす術のない重力に対する全身の悲鳴だけであり、同時に今尚乗り掛かる傀儡達により残されていた酸素もが誰に届くことのない悲鳴として外へと吐き出され———、


「…ぁ」


「…終わりましたか」


 小さな悲鳴を以て戦いの終わりは告げられ、同時に元の位置から一切動くことのなかった老人はその時にしてようやくニアの元へと一歩を踏み出す。

 比例するようにニアへ乗り掛かった傀儡達はその場から退き、やがて傀儡達のいた場に残されたのは、


「警戒をしていたとはいえ、あまりにも呆気ない」


 数多の傀儡達に乗り掛かられたことで呼吸すらもをすることができず、呼吸の限界を迎えたことで意識を失ったニアがそこにはいた。

 その全身に力はなく、だが老人は尚もニアが意識を失った“ふり”をしているのではないかと、近くにいる傀儡へニアの体を持ち上げるよう指示を出す。


 命令を受けた傀儡は粗暴にニアの腕を掴みあげ、その全身を無理矢理に立ち上がらせる。

 宙へと垂れ下がった腕に力はなく、捻りのないその様子に老人は落胆したように深くため息をついてみせる。


 そうして続けてニアの元へと寄った数人の傀儡達にニアの体は抱き抱えられ、やがて老人と共に何処かへと去り、その場に静寂だけを取り残す。

 ——その光景を、ウミはただ黙ってみていた。


 その体には微かに土埃がまとわりついており、だが不思議とその体にはなんの外傷も生じてはいなかった。


 つい先刻、傀儡達の猛攻からウミを逃すために放り投げられた際、ウミは地面からの強い衝撃に備えるように強く目を瞑り、その手に力をこめていた。

 だが実際にウミの身に起きたのは微かな衝撃だけであり、その予想外の事態に微かに驚きながらもウミは理解する。


 傀儡達に襲われ、命の危機に瀕したあの状況の中でも、ニアは自身よりもウミを逃すことにその意識の大半を割いてくれていたのだと。


 そして幸運にも、傀儡達には「ニアを制圧し、捉える」という命令のみが出ていたのか、投げ飛ばされたウミの存在に傀儡達が意識を割くことはなく、老人の視界からも傀儡に遮られてウミの姿は映っていなかった。


 そしてその光景を見たウミは小さく、そして今にも消えそうなほどの声量で、


「また…」


 その言葉が何を意味していたのか、それは当の本人であるウミ以外に知り得ることはない。


 ただ、その目に数かな涙を浮かべたウミは、ニアの元から離れることをその内心では強く拒みながらも、ニアに託された自身の役目を果たすためにその場から離れるように駆けていくのだった。


「…?」

 

 傀儡達にニアを運ばせている最中、老人は人気のようなものを感じたことでふと草木へとその目を向けるが、その場には誰もおらず、同時に既に人の気配は去っている。


 ウミにオーゼンの居場所を知る術はなかった。


 広大なオーグリィンは最早広大な地獄へと早変わりし、話を聞ける者も居なければ話の通じる者も居ない。


 だがウミは駆けていた。


 ニアから託されたその役目を果たすためだけに、ウミは居場所どころか安否すらもを知り得ないオーゼンを見つけるために、広大な地獄の中をただ1人で駆けていた。

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