狂気の放送
突然聞こえてきた放送に、ニアとウミは自らの耳を疑っていた。
時は老人にこの街のことを聞いた数時間後。
空が沈み始めたことにより、オーゼンの待ち合わせる約束の場所へと歩いている最中の出来事だった。
街を覆うようにして聞こえてきたその放送は、ごく普通の老人の声であり、だが不思議と不快感を伴う声色であった。
だが、2人が耳を疑ったのはそこではなく、その内容であった——。
『たった今、我らがオーグリィンを謀反しようと企む者を捕らえた。その名はオーゼン・バンクライシオ。この者は我らが国に悪き歴史をばら撒こうとした罪に捕らえられ、それ即ち重罪である』
淡々と語られるその内容はニア達へ最悪を想定させ、待ち合わせるはずだった友人の名はやがて最悪の報告としてニアの耳へと届けられる。
『オーゼン・バンクライシオ。我々はこの者を、我らがオーグリィンを陥れようとしたとして、———処刑する事に決定した』
街行く人々は突然の事態に言葉がでなかった。
ある者は同様のあまりその手に握りしめていた荷物を落とし、ある者は理解に苦しんでいるのか呼吸すら忘れてその動きを停止させる。
そうして数秒後、1人の男が独り言のように小さく呟いた。
「オーゼン…って…いつもの案内人だよな…?」
その言葉に連鎖するように動きを止めていた他の者達もまた、聞こえてきたその言葉が聞き間違いではないことを確かめるように、辺りに立つ者達へとその目を向けると、
「どういうこと…?」
「何があったの…?」
「処刑って…聞き間違いじゃないよね?」
瞬く間に辺りを埋め尽くしたその声色は疑問の一色に染まり切っていた。
だがそれも仕方がないのだと、ざわめく民衆はやがて隣に立つ者の言葉を以ってそれが聞き間違いではないことを理解する。
——だが、異常はそこから始まった。
「私たちの生活を脅かそうとしたんだったらまぁ…」
「そう…だな、何をしたのかはわからないけど、仕方ないよな」
「オーゼン…あの案内人の兄ちゃんか、可哀想にな」
困惑していた者達はやがて動揺しながらも自らの意見を口にし始め、だがその中に一つとしてオーゼンの処刑に対し否定的な意見を持つ者はいなかった。
むしろその反対に、オーゼンの処刑に対し賛成の意を持つ声が時間とともに膨れ上がり、瞬く間にその場の空気を支配する。
誰もが一目で異常だとわかるほどの異常。
だが当の本人であるオーゼンの処刑に賛成を唱える者達は、自らの口にしていることが異常だとは微塵も思っていないようで、むしろその声色には同情すらが滲んでいた。
そうして同時に、ニアはその気味の悪さに何処か見覚えがあることを思いだす。
これは…あの時の俺と同じ…、っ!?
いつかのオーゼンの話を聞いた時と同じ異常。
そのことにニアが気づいたその瞬間、ニアは突如として立っていられないほどの眩暈に襲われ、倒れ込むようにして近くの木の幹へと寄りかかってしまう。
その感覚をニアは知っていた。
オーゼンの話を聞いた時の、オーゼンに突き飛ばされた時に訪れた気持ち悪さと同じ、本人ですら違和感を感じないほどの猛烈な吐き気。
一度目は自覚がなかったその気持ち悪さは、2度目だからか今度は自覚がある状態でニアの体に襲いかかっていた。
「またこれだ…一体何が…」
ふらふらと揺れる体は制御を失い、なんとか立てていたその体はやがね地面へと倒れ込んでしまう。
だがそれでもその気持ち悪さは止まることを知らず、動くことのできないニアの思考を埋め尽くすように増殖し、増殖し増殖し増殖し———
「にあ!」
「っ…」
瞬間、飲み込まれかけていたその思考はウミの声により現実へと回帰する。
心臓は音を立てて加速し、いつの間にか荒くなった呼吸はぐるぐると回転する視界をやがて正常へと整える。
開いた瞼の先にはウミがおり、その軸のズレた視界から考えるに、どうやら気付かない間にニアは地面へと倒れてしまっていたらしい。
そうして瞼を開いたニアに気がついたウミは、瞬間、安堵のためか泣きそうな表情になりながら横たわるニアへと抱き付き、ニアはそんなウミの頭を優しく撫でながら体を起こす。
未だにわずかに頭に残る痛みに眉を顰めながら、ニアは意識を失っていたその数秒の間に何があったのかを確認するべくあたりへと目を向ける。
——そうして、ニアは遅れてその地獄の存在を理解する。
「どうなって…」
見えた視界の先には赤い炎が昇っていた。
それは建物が、森が焼けたことにより生まれた烈火であり、何者がそれを成したのかと、脳内に訪れたそんな疑問は炎の存在をニアが理解するよりも早くニアへと理解させる。
狂ったように笑い、破壊の限りを尽くす人々の姿。
そこに先ほどまでのオーゼンの処刑に疑問を抱いていた者達の姿は何処にもなく、ニアの目に映った全ての者が等しく狂気に満ちた笑みを浮かべながら建物や屋台などを破壊していた。
瞬く間に地獄へと変わったその風景にニアが訪れた当時のオーグリィンの姿は何処にもなく、その光景にニアは息を呑んでしまう。
そして同じくして、ウミがいなければ自らもこの地獄の一員になってしまっていたのだと理解したからこそニアはいくら抱いても足りない感謝を抱く。
「にあ、ここあぶない」
そうしてニアが意識を取り戻したことによりウミはニアの手を引き、危険と判断したその場から遠ざけるべく歩き始める。
2人は地獄から距離を取るべく森の中を歩き続けた。
背後に聳える街からは絶えず狂気の声が聞こえ、その光景を見たからこそ、ニアはオーゼンが抱えていた恐怖の理由。そしてオーゼンが抱え込んでいたものの大きさを本当の意味で理解する。
「一体何が…」
そうして突然の事態を少しでも理解するべく、ニアは自らの思考の片隅に散らばるかけらとも呼べない理解のかけらをかき集めていく。
だがヒントの一つすらないその状況の中でいくら思考を捗らせようと理解するには遠く及ばない。
その時、不意にウミはニアの方へとその目を向けると、
「あのこえ、きもちわるかった」
その言葉によりようやくニアはこの一連の原因が先ほどの放送にあるのだと理解する。
瞬間、ニアはハッとした表情を浮かべながら足元のウミへと向くと、
「…お前は大丈夫か?」
「うん!ウミはへーき」
元気な声色に安堵しながらも、ニアは真っ先に心配しなければいけないはずだったウミの心配がこの瞬間まで抜けていたことに自らを強く叱咤する。
そうしてウミの安堵のおかげか、自らの体から力が抜けていくのを感じながら、ニアは改めて止まっていたその思考を働かせ始める。
「それで、だ。よくわからないが、わかることも少しはあった」
「おーぜん?」
意味深に放たれた言葉にウミもまた思い当たる節が一つしかないのか、オーゼンの名を問いかけてみせる。
そうしてニアもまた、その時に対し短く頷き返すと、
「あいつは書館で調べ物をするって言ってた。なら、十中八九あいつは調べ物をしている最中に捕まったんだろう。だとすれば、あいつはこの街にまつわる、誰も知らない『何か』に気がついたと見て間違いない。だが…」
「———どうやってそれを我々が知ったのか」
思考に重なるように放たれた声に、ニアは咄嗟にウミの手を引いて自らの背後に立たせると、周囲へと警戒を巡らせる。
だが声の主はそんなニアの警戒など脅威と考える価値もないと言わんばかりに、ゆっくりと、草木を揺らしながらニアの元へと足音を響かせる。
そうして、その姿はやがてニアの視界へと捉えられる。
現れたのは1人の老人であり、その姿にニアはつい先日自らを見下ろしていた老人と同一の既視感を覚える。
そうして同時に、老人の背後からは幾人もの人々が老人を守るようにして立ち塞がった。
その中にはつい先ほどニアの周りにいた者達も含まれており、だがその瞳にはオーゼンに対し放った賛同の意も否定の意も含まれておらず、傀儡のように虚無に染まった瞳だけが残されていた。




