オーグリィンの歴史
「ここはかつては『終末の果て』と言われるほどに荒れ果てた地でね…文字通り人が住める場所なんて何処にもなく、想像できるかね?ここらはただ一面に砂丘が広がるだけの寂しい場所だったんだ」
「終末の果て…」
「だがある時、1人の男が何を考えたのか、ここで商売を始めてね。もちろん人の姿なんて今までに一度も見たことのない場所だ。何も売れるわけがない。
だけど、それから少ししたある時に、この砂漠に1人の女性が迷い込んだんだ。その人はどうやら近くの国の王家から追い出された可哀想な人で、男は女に同情して近くに建てた自らの家に住まわせる事にした。
そこからおかしなことが起き始めた。それまで人の姿などなかったはずなのに、その日以降、日を追うごとに何故かだんだんと女と同じようにこの場所に遭難する人が増え始めたんだ。そして、家が男のもの一つじゃ足りないからって、迷い込んだ者達は段々とここら辺に新たな家を作り始めた。
するとそれを見かけた何も知らない商人が、「ここは人が多い場所を栄えている場所なんだ」と勘違いし、仲間の商人を連れてたくさん訪れるようになった。
そんな勘違いの末に、ある者はここにあった物を売り払い、そしてまたある者は家族ぐるみでこの地で営みを開始した。そうして流れ流れて人が集まり、小さな偶然が積み重なった結果、このオーグリィンという街ができたんだ」
老人の言葉を聞いたニアは静かに納得していた。
これほどまでに広い空間がありながらも、『街』という名称に留まっているその訳を。
この街の人々には立ち場など存在せず、誰もが親しい友人であり、誰もが一線を踏み越えない知人でもあるのだ。
故に王は存在せず、権力者のいる『国』となることをこの街に住む誰しもが拒んでいるのだと。
語り合えた老人は、久しく長時間人と話していなかったのか、疲労を吐き出すように息をつくと、自らの隣で何かを考えるそぶりを見せているニアへ、「他にはないかい?」と、優しく声をかけてみせる。
その言葉に甘えるように、ニアは密かに引っ掛かっていた、ある単語の詳細を老人へと問いかける。
「終末の果てって、何でそんなふうに言われていたんですか?」
「それが不思議な事に、何も記録がなくてね…私もかつては色々と読み漁ったものだが…一説には『伝説の龍が暴れたから』だとか、『大昔の大戦の地であったから』だとか、どれも書いてあることが違くてね…色々と考察されているようだけど、どれが本当かは私には計りかねない」
「なるほど…わかりました。ありがとうございます」
老人の言葉を以って、改めてこの街には“隠された何か”があるというと確信を持ったニアは、その場から立ち上がると老人へと会釈をし、やがてその場を去っていく。
間違えようもないほどにこの街に長く住んでいる、だがそんな老人でさえ知らない真実。
あの老人ですら知り得ない情報となれば、他のものに聞いたとしてもおそらく有益な情報は見込めないだろう。
それを理解したからこそ、ニアは諦めたようにため息をつくと、
「はぁ…ウミ、時間が空いたし何処か行きたい場所でもないか?」
「ねぇにあ」
「どうした?」
「あのひと、しりあい?」
「——いや、知らないな」
ニアを見つめるウミの表情はどこか不安げに揺れている。
そしてウミのいう“あの人”が指すのが、図らずとも先ほどの青い目の男であるということをニアもまた理解していた。
この世界へ落ちてきてからの数ヶ月間を鍛錬に注ぎ込んできたニアにとって、この世界での友人や知人と呼べる者は未だ両手に収まる程度しかいなかった。
その中に先ほどの青い目の男は含まれておらず、先ほどの青い目の男はニアにとっても不審な男という解釈の他に言葉にならない者だった。
だがそんなことを知らないウミは不安を隠しきれず、その指は微かに震えていた。
だからこそ、ニアは安心させるために優しく笑ってみせると、その頭へと手を伸ばし、
「大丈夫。俺はいなくならないし、最悪なんてことも起こらない。だから、心配するな」
「…うん!」
その言葉に安心したのか、ウミの表情からはいつの間にか不安の色は消え去り、代わりに軽やかに地面へと着地すると、ニアのその手を握るのだった。
その様子にニアもまた薄く微笑み、そうして1人に聞いただけでほかに情報がないと決めつけるのは早計かと、止まっていたその足をゆっくりと進ませるのだった。
同時刻、オーグリィンの書館にて。
「これも違う…はぁ、本当になんも書いてないんだよなぁ…」
高く積み上がった本の横で、オーゼンは深いため息を吐いていた。
ニア達と別れて書館へと籠ったオーゼンは、日が暮れる前に持ち帰る分をできるだけ減らそうと、休むことなく本を読み漁り続けていた。
だが、高く積み上げられた本達の中にもやはり、オーゼンの期待するような内容の本は一冊として姿を見せてはいなかった。
そうして数時間の健闘の末についに集中力と胆力が尽きかけたその時——、
「痛っ…ん?なんだこれ」
ハシゴを使わなければ届かないほどの本棚の一番上から、古く、埃を大量に被った本がオーゼンの頭目掛けて落ちてきた。
その突然の衝撃に思わず頭を抑え、涙目になりながらも落ちてきたその本を開くと、中には字という字は書かれておらず、代わりに子供の落書きのような絵だけが描かれていた。
それは一見すればクレヨンで書かれた、ただの子供向けの絵本のような概要。
だがその内容は——、
「ん?これ…まじか…!あったぞ、やった!!…けど何でこんなとこに?」
ただの絵本のように見えた本。
だがその内容はオーゼンが求めていたこの地に関する歴史そのものであり、オーゼンは歓喜の声の代わりに拳を強く握り締め、その内容を記憶へと刻むべく慎重にページをめくっていく。
そうして、ページをめくる手を進めるごとにオーゼンはこの歴史がオーグリィンの全てから消え去られたその理由を理解し、その表情に小さな汗を滲ませる。
「…これは…まさか、んな馬鹿なこと…、っ!?」
そうして遂にその全てを読み終えた頃、オーゼンはいてもたってもいられずにその本を手に持つと、ニアへと送り届けるべくその場から立ち上がる。
——だが、
「…は…」
部屋を後にするべく扉へと目を向けたその瞬間、オーゼンの視界の先には幾人もの、君の悪い笑みを浮かべた老人が立っていた。




