それぞれが
「よし、元気万端。今日は何するよ、ニア」
「とりあえず調査だな。お前の言った音について何か記されている書物がないかの。ウミはどうする?」
「にあについてく」
朝の支度を終えたオーゼンは、いまだに少し眠いのか大きく伸びをしながらニアへとそう問いかけていた。
オーグリィンへと辿り着いてから2日目の朝。
ニア達の姿を見たオーゼンの母は感動のあまりふるふると震え始め、迷うことなく余っている部屋へとニアとウミの2人を案内してくれた。
案内された部屋は広く、瞬く間に用意された2人分の布団がニア達は夜を快適に過ごすことが出来た。
——生憎、それはウミだけに留まり、ウミにべったりとくっついて寝られたせいでニアは一睡もできていないようであった。
そうして朝を迎えたニア達へ、オーゼンの母はある提案をしてくれていた。
「是非是非泊まって行ってちょうだい!幸い部屋はいっぱいあるから、気にすることはないのよ?ね?ゼン?」
笑顔でそう話しかけるオーゼンの母へ、謎に圧をかけられたオーゼンはどこか不服そうな表情を浮かべていた。
だがそんなオーゼンの表情を見てなお慣れたように見て見ぬ振りをするオーゼンの母へ、ニアは願ってもいないことだとその目を向けると、
「じゃあお言葉に甘えて…あと数日だけお世話になっていいですか?」
「いいわよいいわよ、それで問題ないわよね?ゼン?」
「ねえなんでそんなに俺に圧かけるの?!」
おそらく素に近いテンションでそう返すオーゼンをオーゼンの母はまたしても見て見ぬ振りすると、やがて上機嫌に鼻歌を歌いながら何処かへと歩いていくのだった——。
そして間接的に“荷物の置き場所ができた”おかげでニアの肩からは昨日まで背負っていた重苦しい鞄がなくなっており、その肩にはウミという少女1人が乗るだけに止まっていた。
オーゼンの発言により警戒していた“狂気”の出現もまた、オーゼンの予想通り“音”について言及しなかったためか現れることなく、最悪として想定していた異常は何一つとして起こることはなかった。
「なら、書物確認は俺に任せてくれ。書館でもう一回、できる限り全部に目を通してみる」
「なら、俺達は聞き込みだな」
迷うことなくそう提案したオーゼンへ、ニアもまた自身のやるべきことを瞬時に理解し、行動へと移るべく辺りへと目をやる。
オーゼンは歴史の記された本について、そしてニアとウミは存在しない、隠された歴史について何か知っている者が居ないかの調査を。
それぞれ別行動で行うことで意見を一致させ、
「じゃあ、今日もまたここに集合でいいか?」
「そうだな。俺は本を大量に抱えて来ると思うから、割と早く帰って来ると思う」
「了解。いこう、ウミ」
「りょーかい!」
3人は再びこの場に集合することで意見を一致させ、短く別れを告げるとそれぞれの役割を果たすべく行動へと開始する。
そうして二手に分かれるようにニア達とオーゼンは真逆の方向へと歩き始め、やがてそれぞれの姿が人混みによってかき消される。
——オーゼンはまだしも、ニアにこの街で情報を知り得る者を選別する術は持っていなかった。
ただ、昨日と同じ勢いの人混みであるのなら手当たり次第に話を聞いたとしてもそれなりの情報を得られると、そう踏んだのだ。
だがその時、ニアは何よりも大事なことの確認をとっていなかったと、変わらず自身の肩に乗ったウミへと声をかけると、
「ウミ、昨日と同じでこっちを見てる人はいるか?」
「うーん…いないとおもう」
「そうか、ありがとう」
その言葉にニアはわずかに安堵し、感謝と言わんばかりにウミの頭を軽く撫でる。
出会った当時は微かに澱み、ボサボサになっていたウミの髪の毛は、しばらく入っていなかったであろう風呂にオーゼンの家で入ったことにより本来の白さを取り戻し、通り抜ける風にゆらゆらと靡いていた。
そうして情報を伝えると褒められると理解したウミは、ニアの言葉とは別に辺りを見回すと、
「でもね、あやひいひとならいる!」
「本当か?」
「うん!にあのちかく!」
瞬間、ニアは咄嗟に周囲へと警戒の目を敷き、自らへと敵意を向けている者がいないかと探り始める。
だが、1秒ごとに横切る人が入れ替わる人混みにおいて、ウミの言葉を聞いてから探しはじめては個人を特定することなど不可能であった。
「…見間違いじゃないな?」
「ほんとだよ?でもどっかいっちゃった」
ウミの言葉に張り詰めた気をわずかに緩ませたニアは、その場でわずかに加速した心臓を代弁するかのように小さく息を吐く。
そうして念の為とその場から離れるためにニアは再び止まっていたその足を動かし、そそくさと人混みをかき分けて進んでいく。
いくら数日の猶予があるとは言えそれはあくまで敵が行動を起こさなかった場合の話であり、だからこそニア達には時間を無駄にできるほどの余裕はなかった。
「…とりあえず、どこか人の少ない場所にでもいこう」
流れる人混みの中では聞き込みすら碌に叶わない。
先ほどの地点から離れることも加味したニアはやがて人混みからはずれるようにして歩き始め、書き込みができるほどの人混みの場所はないかと模索する。
数分後、流れる人混みから抜けようとしていたニアは数分の格闘ののちにようやくその集団から抜け出すことができていた。
そうして瞬く間に溜まった疲れを吐き出すようにニアはその場で深いため息を吐く。
すると、
「真似するんじゃない」
「えへへ」
肩に乗ったウミは慣れていない仕草でニアの真似をしてみせ、ニアはその様子に注意の言葉をかけるが当の本人であるウミは悪びれる様子なく笑ってみせていた。
「それで、何か知ってそうな人は…」
そんなウミの頭をニアはわしゃわしゃと撫でながら、改めて何か知ってそうな者はいないかと辺りへと目を向ける。
手当たり次第とは言ったものの、この街に訪れているだけの若者に聞いても情報の一つも得られないことくらいはニアもまた理解していた。
だからこそニアの狙いは最初から一貫してこの街に馴染んだ佇まいの者であり、そうして狙いを済ませたように歩き出したニアはある地点にてその歩みを止めると、
「すみません」
「どうしたかね?」
声に反応するようにこちらを振り向いたのは、何気ないベンチに腰掛けた、白いローブに長い髭を生やした老人だった。
その装いは通り過ぎる人たちの中でも存在感を放っており、一眼見ただけでも長らくをこの街で過ごしているものなのだと理解できた。
「少し聞きたいことがあるんですが」
「あぁ、いいとも。だがちょっと待っておくれ。彼も道を迷っているらしくてね。今案内しているところなんだ」
だが老人はそんなニアを差し置いて振り向いた目線を自らの前方へと向け直すと、目の前に立つ者へと道案内を再開する。
そこにいたのはニアよりも微かに高い背丈に黒いフードを被った男であり、薄暗い顔面から漏れ出した青い瞳は、目の前に座る老人を無視し、その先に立つニアの瞳を射抜いていた。
瞬間、その瞳にわずかな敵意を感じたことによりニアは人知れず柄へと手をかけ、静かにその一挙手一投足へと意識を向けていた。
「…で、その先を左に行けば着くはずだよ。人混みに酔うかもだから注意していくんだよ」
「感謝する」
だが数十秒後、老人は道案内を終わったらしくニアの後方を指さし、男は短い感謝を告げると、何事もなかったかのように老人の指差した方へと歩き始める。
その瞳はいつの間にかニアから逸らされており、青い瞳はその中に何も写すことなく虚空だけを捉えていた。
そうして警戒するニアの隣を不用心にも悠々と通り過ぎた男は、そのまま振り返ることなく人混みの中へと足を踏み入れ、その姿を消滅させる。
そうして道案内が終わったことにより、老人は改めてニアの方へと振り返ると、
「待たせたね。それで、何か聞きたいことがあるのかね?」
「突然で申し訳ないのですが、この土地に関する歴史などを教えて欲しいんです。なにせ旅人なもので、あまりここらへんに詳しくなくて…お願いできますか?」
「あぁ、それなら構わないよ。この街は本が多くて読むにも時間がかかるからね。だが少し長くなるから…ほら、そこにでも腰掛けるといいよ」
老人は空いている自身の隣を指差し、促すようにしてニアを座らせる。
すると、先ほどまで肩に乗っていたウミは器用にも膝の上へと移動し、何食わぬ顔で座り込んでみせる。
その様子にニアは苦笑し、老人は微笑ましげに小さく笑みを浮かべる。
そうして短く咳払いをすると、老人は語り始めた。
「それじゃあ改めてここ、オーグリィンの話をしよう」
そうして老人は、静かに語り始めた。




