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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
夢と旅路
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緩急、そして夜へ

「…ゼン?」


 なにくわぬ声色でかけられた心配の言葉に、オーゼンの体は硬直してしまっていた。

 それものそのはず、目の前にはオーゼンが恐怖した張本人であるオーゼンの母がおり、扉を開けた音に反応するように部屋の角からその姿を露わにしたからだ。


 その口調はいつもと変わらず、自身を「ゼン」と呼ぶ昔ながらの癖もそのままで、だが、何よりもこちらを見つめるその表情はいつも通りの、毎日飽きるほどに見た親の顔そのものだった。


 安心したのだろう。


 途端にオーゼンは膝から崩れ落ちるようにしてその場に座り込み、いつの間にかその瞳からは小さな雫がこぼれ落ちていた。

 荒かった呼吸は別の意味で再びその呼吸をままならないほどまでに荒くし、その様子を見たオーゼンの母は顔を真っ青にしてそのそばへと駆け寄った。


 そして慣れたようにその場にかがみ込むと、


「大丈夫?なんかあったの?立てる?」


 背中をさすりながらそう口にするオーゼンの母の面影に、数刻前の不気味さはカケラとして存在していなかった。

 そこにはただ我が子を心配する母親だけがおり、オーゼンは更にその場で涙を落とすのだった。


 ——そうして数分後、ようやくオーゼンの涙が落ち着き、代わりに目と鼻にジンジンとした痛みが訪れた頃、


「気が付いたらいなくなってたから、母さん心配したよ?どこ行ってたの。せっかくゼンの好きな料理だったのに」


「……は」


 嘘の気配など一切なく放たれたその言葉に、オーゼンは短く絶句の呟きを放っていた。


 それはまるで先ほどの一部始終を知らないかのような物言いであり、オーゼンはハッとした様子で母の顔を見上げる。

 そうして目を見開くと同時に、息を呑んだ。


 長い時間を共にしたからこそわかる、本人ですら気付いていない嘘をつく時特有の仕草。 

 だが見えた景色の中にいる母はその一切もをしておらず、その瞳は真っ直ぐにオーゼンを見つめていた。


 ——聞き返す勇気はなかった。


 “もし問いかけた途端にまたあの狂気が姿を現したら”。


 2度と見たくない景色として瞬く間にトラウマになってしまったその姿を恐れてしまったからこそ、オーゼンは今日この瞬間まで誰にもこのことを話すことなく、代わりに協力してくれそうな者をひっそりと探し続けていたのだ。


 だが、ただ時を待ち続けたというわけではなかった。


 あの日の事をどれほどまで覚えているのか。そして、どこからを覚えているのか。

 オーゼンが母へと問いかけた回数は優に10を超えていた。

 

 だがその全てが同じ「オーゼンに呼び止められた地点。そして気が付けばオーゼンがいなくなっていた地点」という結論へと収束していた。

 そしてその全てに嘘をついているそぶりは微塵として存在せず、恐れていた朝は迎えるたびにその日常をいつも通りのものへと戻していく。

 ——だから、


「だから、俺はニア。お前に依頼したんだ」


 その言葉に、ニアは静かに納得していた。


 ずっと疑問だった。

 “何故この街に住む誰かではなく、見ず知らずの自分へと依頼をしたのか”

 

 そしてその答えは、必然的にニアの元へと辿り着いた。

 ——きっと恐れてしまっているのだろう。と。


 この街に住む人全員が狂気の笑みを浮かべることにより、やがて誰も信じられなくなることを。


 だからオーゼンは藁にもすがる思いでニアと言う旅人へと声をかけ、断られるのも承知の上で頼みとして言葉を連ねたのだと。


 そうして静かに納得したニアはやがて短く息を吐き、そして再びオーゼンへとその目を向ける。


「話はわかった。だが、泊まるって言うのは流石に危険じゃないか?」


「その気持ちもわかる。でも母さんが変になったのはあの一回だけで、その他はいつもの母さんと一緒なんだ。多分…この地面から聞こえる音の話、それをするのがダメなんだと思う。母さんの記憶も、その会話の一部始終だけ抜け落ちてた」


 長らくの調査の末に辿り着いたその結論は、オーゼンへと“音”に対する不信を更に増させるものだった。


 オーゼンの言葉通りオーゼンの母、そしてニアのみに異常が起きたのもまた“音”に関する話をしたその瞬間からであり、それがトリガーであることは疑いようもなかった。

 

「会話がトリガー…なるほどな。つまり俺はお前の話を聞いたことが原因で敵の攻撃を受けていた…。だとすれば、敵の効果範囲はこの街全域と見て間違いない、か…。はぁ、わかった、1日だけウミを頼めるか?」


 独り言のように呟いたニアは、やがていつ襲われてもおかしくないからと改めてウミをオーゼンへと任せようとする。


 だがそんなニアの意思とは裏腹に、オーゼンは心底疑問そうにその首を傾げると、


「なんでだ?ニアも泊まってってくれ」


 当たり前のように放たれたその言葉に、ニアはわずかに反応を遅らせる。


 だが次の瞬間にはオーゼンの言ったその言葉の意味を理解すると、


「…いいのか?」


 躊躇うニアは、そんなありふれた返事をオーゼンへと返していた。


 “オーゼンが野放しにされているのは、オーゼンに敵として見なされるほどの戦力がないから”


 “今この3人の中で最も敵にとって脅威なのはニアであり、なればこそ距離を離すことがウミを安全地点にいさせる最善の方法である”


 ウミという存在の安全面ばかりを考慮していたニアは、それ故に共に泊まるという思考へと辿り着くことはなかった。

 だが逆に言えばその予想が外れて仕舞えばウミとオーゼンは一網打尽にされてしまい、この一件もまた詳細を知ることなく最悪の一途を辿ってしまう。


 だからこそ、躊躇いながらも自らへ問いかけるニアへ、オーゼンはぐっと親指を立ててみせると、


「まずまずの話、俺が引き留めてるのに放って野宿させるなんてできないからな」


 その言葉に他意はなく、あるのはただ正真正銘のニアという存在への善意だけだった。


 そしてその事をニアもまた理解したからこそ、ふっと小さく笑うと、


「なら、すまないが俺も一緒に泊めてもらえないだろうか」


「おうよ、どんと任せてくれ!」


 聞けば、オーゼンは母と2人で暮らしているらしく、それ故に空いている部屋もかなりあるとのことだった。


 そして同時に、オーゼンが宿泊先として真っ先に自身の家を挙げたのはその母が理由でもあるとニアは理解する。

 というのも、オーゼンの母はオーゼンが案内人というもの以外に何かをしている様子をあまり見たことがないからか、何かがあるたびに「友達の1人くらい連れてきなさい」と言われ続けていたようだった。

 

 しつこいほどの言葉にイライラしたことも多々あれど、その実オーゼンはその言葉の「俺が友達と仲良くしたいところを見て安心したいんだろうな」という真意に気付き、微かに申し訳なさも抱いていたのだろう。

 故に、オーゼンは自身の母なら「友人を連れてきた」と言えば躊躇うことなく泊めさせてくれるだろうと、そう考えたのだ。


 そうしてニアとオーゼン、2人の意思が合致したことを把握したのち、ニアは忘れてはいけないと自身の背てうとうとしているその者へと目を向けると、


「ウミはそれでいいか?」


「にあといっしょならどこでも!」


「お前の信頼は少し心配になるよ」


 瞬間、ニアの言葉に反応するようにウミはその意識を現実へと浮上させ、先ほどまで寝かけていたことなど忘れていたかのように元気に返事をしてみせる。

 その躊躇いのなさに実感の心配を紛らわせながらも、ニアはウミの変わらない様子に微笑んでみせる。

 

 そして、その様子を見たオーゼンもまた、何処か楽しげに笑ってみせるのだった。


「じゃ、さっそく行こうか。こっちだ」


「こっちだー!」


「眠いなら寝てて平気だぞ」


 歩き始めるオーゼンに続くようにウミははしゃぎ始め、だが間も無くしてその声の勢いが弱まってきたことによりニアはウミを寝かしつけようとゆっくりと歩き始める。


 家族団欒、あるいは兄弟の様に見える3人はそんな会話を交わしながら、オーゼンの家へとその歩みを進めるのだった。







 そうして歩くこと十数分後、やがて3人は目的地であるオーゼンの家の前へと辿り着き——、


「…また広いな」


 相変わらずこの世界の家は広いと何処かため息をつきながらも、ニアは目の前に立つオーゼンの家を見上げていた。

 その大きさはニアにとって見慣れた、エリシアと共生をした家と同程度であった。


 だがその時、オーゼンは思い出したようにそそくさと扉のそばへと近づき、再びニア達の方へと振り向くと、


「あー…大事なこと忘れてた。ちょっと待っててくれ」


 そう言ってオーゼンは一足先に家の中へと足を踏み入れ、その場にニアと、すやすやと眠るウミだけを残す。

 そうしてオーゼンが家の中へと姿をくらませてから数秒後、突如として壁を突き抜けて歓喜の声がニアの耳へと訪れる。

 

 それは女性の声のようで、続けてオーゼンらし声が聞こえてきたその数秒後、閉ざされていた扉はゆっくりと開かれる。

 そうして姿を見せたのは、


「あ、えーっと…とりあえず入っていいよ」


 数時間の買い物よりもはるかに疲れた様子のオーゼンがその姿を現し、ニアたちを家の中へと手招きする。


 その様子にわずかに躊躇いを覚えたものの、せっかくの好意を拒むわけにも行かないからと、ニアは息を呑みながらもオーゼンの家へと足を踏み入れるのだった。















 同時刻、——————にて、


「…戻ったか」


 広く暗い部屋の中央に聳える、数十段の階段を登った先の玉座に腰掛ける男はそう呟いた。


 その髪色すらが判別できないほどの暗闇の中で、呟く男の冷たい青い瞳だけがその暗闇を引き裂き、自らの視界の先で跪く眼帯の男を射抜いていた。


「して、例のブツは見当たらぬようだが」


「我が王よ。残念な知らせがございます」


「…ほう」


 跪きながらそう呟く眼帯の男を射抜くその青い目は何処までも冷たく、その場には途方もないほどの緊迫した空気が張り詰めていた。


 だが、眼帯の男は動くことをしない。怯えることも、侮ることもせず、ただ青い目の男が自身へと命令をする次の言葉を待っている様に、そして、


「許す、続けろ。“残念な知らせ”とはなんだ?」


「例の物は搬送途中襲撃した男により略奪。その後オーグリィンへと潜伏したものと」


「…略奪?」


「はい」


「……」


 眼帯の男の言葉に、男は言葉を返すことなく沈黙を貫いた。

 その間も青い瞳は絶えず眼帯の男を射抜き、だがやがて男は再びその口を開くと、


「まぁ良い。それで、かの3人はどうした?姿が見えぬようだが」


「おそらく襲撃した男に敗北したのち、逃走したものかと」


「敗北…それに逃走か…なるほど、ではもう用済みと言うわけだな」


 眼帯の男の言葉に、男はため息混じりに瞳を閉じるとそう呟いた。

 そうして数秒後、再び瞳を開いた男は何気なく自らの腰掛ける玉座の肘掛けを指で3度叩いてみせた。


 静寂が取り巻くその部屋は肘掛けを叩くだけの些細な音でさえ反響し、同時に冷たい空気が眼帯の男を含んだその場一帯を染め上げる。

 

 だが眼帯の男は動かない。


 自らの主の行動の全てを肯定するように、眼帯の男は跪いた体勢のままパクリとも動くことなく男の言葉を待っていた。

 数秒後、小さくため息をついた男はやがて沈黙を破るようにゆっくりと玉座から立ち上がると、コツコツと軽快な音を立てながら長い階段を降りていく。


 そうしてやがて眼帯の男の元へと辿り着いた時、男はその隣で歩みを止めると、


「——主のことだ、余に嘘までつくと言うことは、余に徳をなす者と見越してのことだろう?」


「…見抜いておりましたか」


「見くびるな。余は王である。王である余が主の変化に気付かぬわけがなかろう…まぁ、此度はその逆だがな。…しかし、オーグリィンか、また厄介な場へと逃げ込んだものだな」


 男の言葉に、眼帯の男は深々と頭を下げ、謝罪の意を示して見せる。


 男はそんな眼帯の男の言葉に反応を示すことなく、代わりに止まっていたその足を再び踏み出すと、


「…仕方ない。余、直々に見てきてやろう。主の認めた人材とやらを」


 眼帯の男の姿を背に、男はゆっくりと歩き始め、やがてその場には眼帯の男と、冷たく張り詰めた空気だけが残される。


 そうして誰も知りえることはない。


 かの少年と戦い、そして敗走した3人が、たった今、その命を終えていたことを。

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