家族のようなもの
森を抜けて見えた景色。
そこはニアの予想していた山岳地帯ではなく、人混みに溢れた全く別の空間だった。
中でも一際ニアの目を引いたのは、その空間の中央に立つ、大きなピラミッドのような建造物。
巨大なその建造物は、膨大な空間の中に明らかな存在感を放ちながら存在しており、膨大なこの空間の何処からでも視認できるのではと思うほどだった。
そうして同時にニアは理解する。
ウミを助けるといういざこざを経た事により、本来辿るはずだった道筋からいつの間にかずれてしまっていたということを。
…どうする…?戻ってもいいが、ここに来るまで数日…戻ってからまたいくにしても最低でもその1.5、下手すれば2倍…
この子にそんなに我慢させるのは気が引けるな…仕方ない、誰かに方向を教えてもらって近い方向からまた進路を修正するか
「ウミ、お面忘れないようにな」
「わかった!」
いくら思考しようとも、現在地不明のここからセレスティアへと戻るのはあまりにも無謀すぎる選択だった。
諦めたように静かに息を吐いたニアは、次の瞬間にはウミへ例の仮面をつけるよう声をかけ、光の元へとその足を踏み出すのだった。
そうして絶え間ない人混みに落ち着きのなさを失いながらも、しばらく歩いた時、
「…近くで見たらもっと壮観だな」
「ねー。そうかんってなあに?」
見えた人混みの群れの寸前へと辿り着いたニアは、そんな声を漏らしていた。
近くで見た人混みは遠くで見た時よりもさらに凄まじく、一歩踏み入れば瞬く間に視界の全てを覆い隠されることをニアへ簡単に想像させる。
だが不思議と混み合っていたように見えた人混みは近くで見るとそんな雰囲気を感じさせず、まるでその一人一人がこの人混みに慣れているかのように行き来していた。
人混みから外れた数人がニアの横を通過し、この場所が人混みに呑まれるのも時間の問題だとニアはわずかに後方へと引き下がる。
——だがその時、
「…お、その服装はお客人かな?ここにくるのは初めてかい?」
その声は、ニアの横から聞こえてきた。
軽快な口調でニアへと語りかけるその声にニアは不意に声をかけた方向へと目線を向け、同じくしてその声の主は微かな足音と共にニアの前へと姿を現す。
「ここには何でもあるからな。ぜひ見て行ってくれ!必要なら案内もするぜ?もちろん、仕事としてなら、だけどな」
冗談混じりな声色でそう声をかけるのは、ニアと同じか、あるいは少し年下に見える少年だった。
少し暗い金髪に、緑色の目、そして微かに焼けた肌が特徴的なその少年は、その容姿を以てニアにこの地の住人であることを理解させる。
そうして続けてニアの腕の中に抱かれ、キョロキョロと落ち着かなく辺りを見回すウミの存在に気づいた少年は躊躇うことなくそのそばへと一歩を踏み出し、
「お、嬢ちゃん、何か欲しいのあったか?」
瞬間、ウミが怯えてしまうのではと微かに少年から背を向けるニアだったが、対するウミの反応はそんな予想とは真逆なものだった。
「うーん…まだわかんないけど、多分いっぱいある!」
つい先日までの境遇を忘れたかのようなその様子にニアはその脳内にわずかな疑問を生じさせる。
脳内に湧いた疑問は解決するためにウミの一挙手一投足へと意識を注ぎ、だからこそニアは理解する。
ウミが明らかに元気な態度を見せる理由。
それが『ニア』という存在がそばにいるからなのだいうことを。
その事実を理解したニアは密かに頬を緩め、背に乗ったままのウミの頭を軽く撫でて見せる。
——だが“それはそれ、これはこれ”である。
「一応言うが、そんなに買わないからな。金銭に余裕があるわけでもないんだ」
「聞いたか?君のお兄ちゃんは君の欲しいものを買う気がないらしい、ケチだな」
「けちー」
全てではなくとも、幾つかは買ってあげるつもりだったことを褒めて欲しいと不満げな表情を浮かべるニア。
そんなニアへ少年は親しい友のような口調で言葉をかけ、ウミもまたその少年の言葉を真似するように繰り返してみせる。
つい先ほどまであったはずのウミとの心の距離を瞬く間に詰めた少年にニアは静かに関心と驚愕を抱いてしまう。
そんなニアへウミは口を開くと、
「だめなの?にあ…」
その声色がどれほどの凶器なのかウミは理解しているそぶりもなく、子供ながらの武器を振り回すようにしてニアへと訴えかけてみせる。
並大抵の事であれば動じないニアですらその様子に次の瞬間には折れたように短く息を吐いてしまう。
そうしてウミの体を軽く抱き抱えると、地面へと優しく下ろし、
「…5個…いや、7個までなら買ってやる。それ以上はダメだ」
「わーい!」
そのあざとさに負けたように、ニアは元ですらかなり緩い条件をさらに譲歩してしまう。
だが、ニアがこれほどまでにウミに対し弱いのには一つ理由があった。
ニアには兄弟というものがいなかった。
そして家族と呼べる存在また、ニアが物心ついたときには既におらず、ニアの記憶にいたのは常によくしてくれる家族代わりの人たちだった。
だからこそ、躊躇いなく甘えてくるウミという存在にニアは隠し切れないほどの喜びを抱えてしまい、その内心は我儘に対してもそれなりに微笑ましく思っていた。
「ま、冗談はここまでにして、何か用があるなら探すの手伝うよ」
そんな2人を見て、同じく微笑ましく笑みを浮かべていた少年は、やがて話の区切りを見つけるとその間は割って入るように声をかける。
だがニアは意図してこの街に訪れたのではなく、それ故に目的という目的も存在しなかった。
「すまないが、目的地に向かう途中でここに着いただけでな。特に用はないんだ。強いて言うならさっきのウミが欲しいって言ってたものくらいだな」
「ははっ、仲がいいんだな。じゃあ行くか?嬢ちゃん」
「にあもいっしょ」
「だってさ」
ニアの袖を掴みながらそう伝えるウミへ、少年はその光景を微笑ましく思ってか、小さく笑いながらニアの返事を試すようにその目を向ける。
だが、初めから置いていくという選択肢が存在しなかったがために、ニアはわざとらしくため息をつくと、
「はあ…わかった、はぐれるなよ」
そう言って、3人は人混みの溢れる街へとその足を踏み出すのだった。




