静かな戦いは唐突に
戦いが始まり、柄へと手をかけるニア。
だが巨漢は「それがどうした」と言わんばかりにニアへさらに余裕綽々な笑みを浮かべると、その歩みを止めることなくさらに歩み寄る。
「言っとくが、逃げてても勝てねえぞ??」
「そっちこそ、油断してたのを負けた理由にはするなよ。図体のでかい男が小さな器しか持ってなかったなんて、想像するだけで恥ずかしいからな」
男の煽り文句にニアもまた煽り文句で答えてみせる。
だが、自らが煽られる事には慣れていないのか、ニアの言葉を聞いた男は突如としてその歩みを止め、代わりにその表情には先ほどまでなかった微かな怒りが滲み始める。
瞬間、止まっていた巨漢は突如としてその歩みを再開させ、一瞬のうちにニアの射程圏内へと接近する。
そうして大振りにナイフを握ったその手を振り上げた瞬間、握られたナイフは宙へと放り投げられ、代わりにその巨大な拳が握りしめられる。
ナイフを囮にした、思考の先導。
図体に見合わないその作戦にニアは釣られるようにわずかに動きを停止させ、同時に握りしめられたその拳がニアの元へと振り落ちる。
一般の者であれば、直撃すれば重症を避けられないであろう一撃。
だがニアは接近する拳の存在を理解した瞬間、握っていた柄からその手を離してみせる。
そうして代わりにその身を男の拳が迫る地点よりも低く屈めると、隙だらけのその鳩尾へと一発を叩き込んで見せる。
瞬間、ニアの上空は本来衝突するはずだった巨大な拳が通過し、突き抜ける風と共にニアはお返しと言わんばかりにニヤリと笑ってみせると、
「よかった。思ってたよりも弱い」
「こいつ…!!」
崩れ落ちる寸前でなんとか踏みとどまった巨漢の顔色は痩せ我慢しているのか、真っ青になっていた。
だが、そんな状態にも関わらずニアへと敵意を隠す事なく、代わりに今尚ニアの背後に立つ男達へと目を向けると、
「…くそ!お前ら!一斉にかかれ!」
八つ当たりのような口調で放たれた言葉に、男達はどこか不服そうな表情を浮かべる。
だが、次の瞬間には手に持ったナイフを同じくいつの間にか握りしめていた弓へとかけると、ニアへと狙いを定めていく。
弓か、おそらくあのナイフに何か仕掛けをしてるな
それに、さっきから何処かから出現しているナイフ…
あの男の天啓か…
2度も突如として現れたナイフの存在に、ニアはようやくそれが天啓による精製であることを理解する。
そしてそれを慣れたように扱っていた巨漢がその天啓の主であることをもまた理解し、だからこそニアはこの時正真正銘、その警戒を巨漢から外すのだった。
瞬間、男達は何の言葉も無しに、だが測ったように同時に引いていたナイフを離し、放たれたナイフは凄まじい速度でニアの元へと飛来する。
だが、矢は元来どこから飛来するかがわからないからこそ脅威となり得るもの。
飛来する地点も、狙いもが明らかになっている今、飛来するそれは脅威とはなり得ず、
「タイミングが分からなければ脅威だったな」
迫り来るナイフをニアは軽やかに身を翻す事により回避し、標的であるニアの姿を失ったナイフはそのまま奥に聳えるニアに衝突する事により停止する。
見えたナイフには紫色の液体が塗りたくられており、その姿を見たニアは人知れず「弾く」のではなく「躱す」判断を選択した自分を褒めるのだった。
そうして一旦の危機が去ったことを確認したその瞬間、ニアは背後の2人を放置し、代わりに目の前の男から落とそうとその元へと駆け出していく。
「…お前、この中で一番弱いぞ」
「こんなわけが…くそぉ!!」
ナイフを避けたニアへ信じられないと言う表情を浮かべる男の表情は、やがて自らへと接近するニアの存在を捉えたことにより恐怖に歪む。
瞬間、男は最後の足掻きと言わんばかりにがむしゃらの地面の砂を握りしめると、それをニアへと目掛けて放り投げる。
だが、対象を選ばす力任せに放り投げられた砂粒達はニアを含んだ背後の男達へすらその被害をもたらし、ニアの背後から小さな悲鳴が生まれる。
「くそ、目がぁ!何してんだよお前は!ぐっ…」
「ふざけんなよ…がはっ…」
対するニアは男が砂を投げようと手を握りしめたその瞬間に背後を向くことでいとも簡単にその攻撃を回避してみせる。
そうして攻撃の対象を巨漢から背後の男達へと切り替えたニアは、やがてその元へと駆け出す。
砂から守るために視線をニアから外して仕舞えば、その一瞬のうちにニアが奇襲し、その視線を逸らさなければ砂が目に入り、誰しもにとっての隙が生じる。
もはや完全に詰みとなった状況の中で、男達は後者を選択した。
そうして無防備、かつ隙だらけになった男達の1人の鳩尾へとニアは容赦なく一撃をお見舞いし、突如として訪れた衝撃に男は状況すら理解できぬままその意識を手放す。
1人が小さな声を漏らして意識を失ったその時、もう1人もまたニアが標的を自分達へと切り替えたことを理解する。
だが視界が使い物にならない今、既にすぐそばへと迫り来ていたニアの存在に気づけるわけもない。
そうしてもう1人の男もまた、突如として訪れたニアの一撃により、小さな悲鳴と共にあえなくその意識を手放してしまう。
「2人、あとはお前だな」
瞬く間に場を鎮圧したニアへ、巨漢はわざとらしく舌打ちをしてみせると、先ほど喰らった鳩尾のダメージも回復してきたのかゆっくりとその場に立ち上がってみせる。
その瞳にはただ、殺意のような感情だけが込められていた。
「殺す…殺す!!」
知性を失った獣のようにそう吐き捨てる巨漢へ、ニアは再びその目を向けると刀へと手をかける。
瞬間、巨漢はニアの元へと駆け出し、性懲りも無く再び握った拳を振り下ろす。
その一撃をニアは後方に飛ぶことにより難なく回避し、だがその瞬間巨漢は不意にニヤリと笑みを浮かべ——、
「かかったな…!!」
勝ちを確信したように巨漢はそう吐き捨て、同時に振り下ろした腕とは反対の手のひらに握りしめられていた砂粒をニアへと目掛けて投げつける。
先程とは違い、後方へと飛び上がった状態のニアが背後を向くことは叶わない。
そうして迫る数多の砂粒は次の瞬間にはニアへと衝突し、咄嗟に閉ざされた視界はニアの視力を一時的に損なわせる。
「勝った!」
目を封じたことで再び握り締められる拳の存在を捉えるものは誰もおらず、次の瞬間には勝ちを確信した巨漢はその恨みを晴らすように躊躇いなくニアへと振り下ろしていく。
直撃すれば一回りもない攻撃。
——だが巨漢は知らない。
今のこの状況だからこそ、その真価を発揮する技があることを。
視界が閉ざされたことにより、瞬間的にその意識は全身の神経を研ぎ澄ます方向へと切り替えられる。
微かに通り抜ける風はニアへ微かな冷たさを伝え、迫る巨漢の拳により微かに風が揺れたその瞬間、
「真喝」
音すらも置き去りにする反撃の一手。
だが巨漢にそんなことを知る由もなく、気が付けば宙に浮いていた自身の体と共に、次の瞬間には会えなくその場に尻餅をついてしまう。
そうして時間と共に閉ざされていたニアの瞳は開かれ、その視界に尻餅をつきながら絶望の表情でこちらを見つめる巨漢の姿が映る。
「待て…待ってくれ!」
助けを求めるように手を前へと突き出す巨漢に、もはや戦う意志は残っていなかった。
だが生憎、躊躇いなく自らを殺そうとしてきた男へ優しさを持ち出せるほどの寛容さはニアの中に存在していない。
降伏の意を示す巨漢の元へ、ニアはその意を見えていないかのようにゆっくりとその歩みを進ませていく。
そうして数歩ニアが歩みを寄せ、踏み出した足が地面を踏みしめたその瞬間、
「あ、あぁぁぁあ!!」
恐怖のあまりか失禁し、巨漢は見た目に似合わない情けない声を漏らしながら地面を這うようにしてニアから逃げていく。
その姿を見たニアの脳内には刹那、巨漢を追うという選択肢が浮かんできたものの、その選択肢は本来の目的を思い出したことによりその脳内から霧散する。
そうして続けてニアが目を向けたのは、先ほどの戦いの最中にも一歩も動じることなくその場に居座り続けた眼帯の男だった。
「あんたが最後だが、どうする?」
「…」
ニアの問いに、男は返事はしない。
それどころかこの表情一つすらピクリとも動かず、今この瞬間にもニアという人間を品定めしているかのようだった。
数秒の沈黙が場を包んだ。
ニアを見つめ続ける男に対し、ニアもまた一切の油断をすることなくその瞳を見つめ返していた。
そうして数秒後、男はゆっくりと瞳を閉じ、ゆっくりと閉ざされていた口を開くと、
「…勝てぬ戦いに身を投じるつもりか?」
短く、端的に男はニアへと問いかける。
瞬間、男の体からは圧が溢れるようにして辺りの空気へと滲み出、ニアを含んだ辺り一体をもれなく覆い尽くす。
『厄災』という、世界の頂点と相対したからこそより鮮明にわかるようになった格の違い。
それを改めて突きつけるように、その反応を試すように男はニアへと自らの圧を向けていた。
全身の鳥肌が立ち、今取るべき最善の行動を脳裏に理解させる。
だが、ニアは深い呼吸と共にそれらの選択肢の全てを振り払い、代わりにゆっくりと男へとその目を向けると、
「…すまないが、たとえ勝てなくても、もう逃げないって決めたんだ」
それは自身へと誓った言葉、そのもの。
その揺るがない信念を見たからこそ、男はこの場にて初めて小さな笑みを浮かべると、
「…ふ、よかろう。連れていけ。それはワシには必要のないものだ」
手に持った鎖を放り投げると、男はゆっくりと立ち上がり、そうして警戒するニアを他所に何処かへと去っていく。
そうして間も無くして、ニアの脳内にはある言葉がよぎった。
——『見逃された』と。
戦えば間違い無く敵わず、その時にしてようやくニアは先ほどの自身の行動の無謀さを理解する。
だが、その選択を選んだからこそ、
「よかったな。自由だぞ」
ニアは視界の先で怯える少女へ、そう声をかけることができた。




