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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
夢と旅路
35/105

翼の少女

「…ここに見えるのがアレだから…こっちか」


「確認してから言えばよかった」と誰もいない空間で静かに若干の恥じらいを感じながら辺りを見まわしていた。


 時はセレスティアに別れを告げた直後。

 慣れたように足を踏み出したニアは、その足が大地を十踏み締めるよりも早く目的の方向を確認していなかったことを思い出し、そうして懐から取り出した地図と睨めっこを繰り広げていた。


 数分後、改めてようやく自身の進むべき方向を確認したニアは、どこか恥ずかしげに再びセレスティアへと振り向くと、


「それじゃ、改めて。行ってきます」


 今度こそ本当にしばらくの別れなのだと、ニアの胸にはわずかな寂しさがよぎる。

 だが、きっとまた戻ってくるのだろうと深々とした別れを告げることはしなかった。


 代わりに手短な別れを告げ、そうして改めて地図に記されたその方向へと進むべく足を踏み出していく。


 灰庵の地図に記されていたもう一つの地点は、セレスティアから見て東北にずいぶん進んだ先の、水辺の中に建った国のような場所だった。

 だが、そこへ辿り着くためにはニアの目前に広がる、地図で見ても果てしなく続く森を抜ける必要があった。


「何日かかるんだ…?」


 背負った鞄には幾日文の食料と飲料が詰め込まれていたが、本当にこの量で足りるかとニアはわずかな心配を覚えてしまう。

 

 だが、このまま考えていても仕方がないからとニアは深いため息と共に腹を括り、茂みの中へと身を投じていくのだった。


 踏み込んだ草木はガサガサという音だけを辺りへと響かせ、間も無くしてその周囲一帯は一片の光もが舞い込まないほどの薄暗い景色に覆われる。


「…何も出ないよな」


 実のところ、ニアは少しだけ霊という存在を信じていた。

 今までに一度として何かが出たという試しはないものの、恐怖心は何気ない一瞬にわずかな恐怖を抱かせてしまう。


 だが、やはり迷信は迷信。

 恐る恐る足を進ませ続けたせいで、霊どころか生き物の一つすら見つからないまま日は暮れてしまった。


 辺りはただでさえ静かだったその景色をさらに静けさに上塗りし、森は先が見えないほどの暗い漆黒に包まれていた。


 




…仕方ない。

どこか広いところに出たらそこで今夜は過ごすか






 進むことすら難儀するほどの暗さにニアはその日の進捗を断念し、代わりに何処か横たわれるほどの広い場所がないかとその足を進めていく。


 だがその時、不意にニアは進めていたその足を止め、その場に立ち尽くす。


 




…今、何か…






 意識の片隅をよぎったそれを確かめるためにニアは耳を澄まし、再び辺りへと意識を向ける。

 

 そうして数秒後、風の横切る音すらが鮮明に聞こえる程の静寂に流れてきたのは、


「———」


 霞むほどのそれは、幼い子供のような声だった。


 だが肝心の内容は未だ聞こえず、ニアは耳を澄まし、声のする方向を確認すると慎重に足を進ませていく。


 歩みた共にその進行方向が正解だとわかったのは、微かに聞こえていた声が段々と大きなものへと変化していったからだった。


 ——そうしてニアは、その状況を理解する。


「か…!たすけて…だれか…!!」


 声として聞き取れるほどまでになったそれは、少女が助けを求めて叫んでいる声だった。


 だがニアはそれ以上足を進ませることをせず、代わりにその場に身長に屈むと、目を瞑り再び耳を澄ませていく。

 真夜中に少女が助けを求めているという状況を鑑み、他に何者かがその場に存在している可能性が高いと踏んでのことだった。


 そうして耳を澄ませて間も無くして、その声はニアの耳へと届いてきた。


「…い、お前に人権なんて…」


「…やく連れていけ、世が明ければ…」


「…ちっ、うるせえガキだ」


 少女の他に聞こえてきたのは3人の男の声だった。


 だがそのどれもが少女を心配するような声色ではなく、まるで物を扱うような酷い言い草であった。

 そうしてニアは、その状況から「その3人が少女を攫おうとしている真っ只中」であると状況を仮定する。






場所は…そこか






 静かに草木を掻き分け、ニアは声のした方へと慎重に歩みを進ませていく。


 そうして遂にその声のすぐそばへと辿り着いた時、ニアはようやくその全貌を理解する。


「…けて!たすけて…!…だれか…」


「うるせぇ、誰も来ねえよ」


 視界の先、ニアの本来進むべき地点から大きく逸れた森の果てに、その者達はいた。

 だが、ニアの予想通り助けを求めて声を荒げる少女の他に、ニアの予想とは違いその場には4人の男が存在していた。


 聞こえてきた声は3人の男のものであったが、どうやら内1人は声を発することなく近くの岩に腰掛けているようだった。

 他の3人とは違い、油断しているように見えて一切の警戒を解いていない、片目に眼帯をつけた齢50程に見える男。

 

 その雰囲気もまた他の3人とはまるで違い、ニアは無意識にその男がただ者ではないと理解させられる。


 そうしてその中心に、少女はいた。

 手足に枷をつけられているその姿から、おおよそどういう要件で連れ去ろうとしているのかが一目瞭然であった。


 だが、その少女の姿を見たニアは意識すらしない間に思わず目を見開いてしまっていた。

 

 5、6歳程の、ボサボサとした白い髪をした少女。

 だがその体には所々に紫色のあざができており、今までどんな扱いを受けてきたのかをニアへ容易に想像させる。

 身につけるのは薄汚れた茶色の、ボロボロになった布一枚であり、見えた足は裸足で長らく歩かされてきたからか、傷が取り巻いていた。


 そしてなにより、ニアを驚愕させた要因。

 それは———、


 



…翼






 少女には『翼』が生えていた。


 背中に見えるその翼は、月夜に照らされる事により振り落ちる月光を満遍なく反射し、それを以って神々しさすら感じるほどに白く輝いていた。


「誰だ!」


 瞬間、その美しさに見惚れてしまったニアはわずかに辺りの草を揺らしてしまう。

 一箇所だけに物音が生じた事により眼帯の男を除く3人の男は警戒をあらわにし、やがて一歩、また一歩とニアの元へと歩みを進めてくる。





まぁ、仕方ないか

どうせこのまま見て見ぬ振りってのも出来ないしな




 


 自らの不手際を認めるように、ニアは男達に聞こえないほど小さな声でため息をついてみせる。

 そうしてゆっくりと立ち上がると、やがて茂みの中から男達の前へとその姿を露わにする。


「ガキ1人…だけか、なんだ、驚かせやがって」


 警戒していた対象が齢20にも満たない男だと理解するや否や、4人の中で一回り体の大きな男は堪えきれない笑みと共にそんな言葉を吐き捨てる。


 そうしてニアの元へと寄ってきていた男を後ろへと下がらせ、代わりに出てきたその巨漢はニアへと煽り文句のように指を指すと、


「何処で情報をかぎつけてきたか知らねえが、このガキは渡さねえぞ」


「…なるほどな」


 その言葉により改めて事態を把握したニアは男から目を外すと、再び近くに立つ男達と、変わらず座り続ける眼帯の男へとその目を向ける。


 瞬間、それ以上の言葉は不要と判断したニアは小さく息を吐き出すと同時に柄へと手をかけ、臨戦態勢へと移行する。


「やる気か?ははっ、おい、お前ら」


「わかってるぜ?」


「もちろんさ」


 その姿を見た巨漢は嘲笑うような声で他の2人へと声をかける。

 瞬間、声をかけられた男達は慣れたように左右に別れて歩き始め、やがてニアを取り囲むようにして停止する。


 尚も眼帯の男は動くそぶりを見せず、微かに持ち上げた瞳は品定めするようにニアを静かに見据えていた。

 その手に握られた鎖に繋がれた少女は今尚助けを求めており、ニアもまた自体が深刻化していることを理解していた。


 




3人、それも慣れた動きで死角へと回った。

この男が正面で戦い、油断した一瞬のうちに死角から襲うのがこいつらのやりかたなんだろうな






 ニアの正面に立つ巨漢の手には、いつの間にか鋭利なナイフが握られており、その容姿も相まって接近戦が主な役割なのだと一目で理解することができた。


 だがニアが真に警戒していたのはそんな巨漢ではなく、今尚自らの背後で一瞬の隙を伺い続ける2人の方だった。


「さて、いくぞお前ら」


 静かな号令と共に、巨漢はゆっくりとニアの元へと歩き始める。

 その表情には堪えきれない笑みが溢れており、慢心が隠しきれていなかった。


 巨大な足に踏み潰された地面は沈み、踏まれた花は静かにその終わりを告げる。



 



こいつに捕まることなく後ろの2人にも注意して、なおかつ勝利する、か…

今更だが、病み上がりには中々に厳しい難題だな






 半歩足を後ろへとずらすと、ニアは抜刀の構えをとってみせる。


 静かな夜の戦いの火蓋は、切って落とされた。

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