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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
遠い世界
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激戦の果てに

 騒がしい足音の中で、ニアは目を覚ました。


 意識を取り戻したことにより瞼はゆっくりと開かれ、瞬間、辺りを照らす光が躊躇いなくその視界へと舞い込んでくる。


「…知らない天井」


 そうして見えた景色は、ニアの知るどの景色とも違うものだった。


 白い壁に、白い天井。

 視界の端でカーテンが微かに風に揺られ、ゆらゆらと靡いていた。

 ここが死後の世界だと言われても、状況次第ではそんな可能性もあり得るだろうと思ってしまうような、そんな空間だった。


 だが、意識を取り戻した瞬間から絶え間なく聞こえてくる足音がニアはまだ生きているのだということを理解させる。


「ここは…」


 見覚えのない部屋の正体を探るべく、ニアは無気力にその瞳だけを辺りへと向けていく。

 見ると、ニアは白いベットの上に横たわっており、柔らかい感覚がニアの体へ不要な負担をかけることなく受け止めていた。


 だがその時、不意にニアから少しした場所に何かが落ちるような音が聞こえた。


 それは鉄の板が落ちたかのような甲高い音であり、突然の騒音にニアがわずかに体を硬直させた次の瞬間、


「せ、先生!!先生ー!!」


 同じくニアから少しした場所から聞こえてきたそんな声は慌てた様子で何処かへと遠ざかって行き、やがて聞こえなくなってしまった。


 状況すら碌に理解できないままに起こったそれに、遂にニアが体を起こそうと力を込めたその時、


「いっ…!!」


 瞬間、力を込めた部位には鋭い痛みが走り、ニアは小さな悲鳴と共に再び力無く横たわってしまう。


 そうして咄嗟に痛みのした部位へと目を向けたニアは、やがてその瞳に映ったものに驚愕する。


「…なんだこれ」


 手足に刺さった幾本もの長い管に、全身をくまなく覆った包帯。

 見覚えのない自身のその現状にニアは目を見開き、やがて自身の体に刺さる正体不明の管を抜こうと微かに痛むその腕を伸ばして行く。


 そうして遂に管へと手を届かせた時、その声は聞こえてきた。


「気分はどうだ?」


 瞬間、咄嗟にニアは声のした方へと顔を向ける。

 そこにはニアを見下ろすようにして老人が一人立っていた。


 だが、次の瞬間にはニアはその老人に微かではない見覚えがあることを思い出す。


「あなたは…」


「君はつくづくワシの患者になる運が高いようだの」


 その老人は、いつかの粉々にまで砕けたニアの腕を治してくれた老人だった。


 老人は目が覚めたニアへ何処か安堵したように優しく笑いかけると、未だ状況が飲み込めていないニアの元へゆっくりと歩み寄る。


「あの…ここは?」


「ほっほっ、安心せい、ここは安全な場所じゃ」


 ニアの言葉に老人は再び笑ってみせ、同時にニアの横たわるベットに備えられた椅子に腰掛ける。


「君がここにきた時はえらく重症でな、アンセルが君を連れてくるのがあと少し遅ければ君が今ここでワシとこうして会話できることもなかっただろう。まぁ、そこはあとでアンセルに礼でもいうんだな」


「アンセルさんが…そうだ。先輩…もう1人、ここに連れてこられた女の子はいませんでしたか?」


「もちろん彼女もここで適切に治療をしている。だが、彼女は君よりも深刻での。正直、怪我の数なら君の方が深刻なんだが、彼女は不思議な事に一つ一つの怪我が死に直結するほどの重症になっている」


「そんな…」


 ニアの問いに老人はわずかに目を伏せ、だがいずれ伝えなければいけない真実だからと、次の瞬間にはニアの目を見つめながらそう伝えてみせる。


 瞬間、伝えられた言葉にニアは絶望したようにその目を見開き、だが老人はそんなニアへ「だが」と言葉を区切ることなく続けると、


「だが、命の心配はない、君は知らないかもしれんが、君らがここに運ばれてから二週間が経ってある。その間ワシらがただ死にかけている少女を気休めの治療で済ませていたと思うかね?」


「2週間も…でも、じゃあ、先輩は大丈夫なんですね…?」


「身体の負傷はすでにほとんど完治させている。安心するといい」


「よかった…」


 その言葉に安心したのか、ニアは少しふらつくようにして再びベッドの上へと倒れ込む。


 だがその時老人は安心した様子のニアへ、何かを思い出したような表情を浮かべると、


「それと、君が眠ってからの2週間、毎日アンセルが話を聞きに訪れておる。まだ来ておらんが、今日もおそらく来るだろう。何やら聞きたいことがあるらしい」


「アンセルさんが…。わかりました、ありがとうございます」


 遅いながらにこの場へと運んでくれたアンセルへニアは内心で尋常ではない感謝を伝えてみせる。


 改めて目を向けた周囲の風景に見えた白い壁に白い天井は、言われてみれば確かに病院の一室として納得の内装だった。

 そうしてようやく自身のいる場所が何処なのかをニアが理解したのと同時に、老人は腰掛けていた椅子から重い腰を持ち上げると、


「では、ワシは君の彼女さんの様子を見てくる」


「…あの」


 立ち上がる老人のその言葉に、ニアは無意識に声を漏らしていた。


 そうして自らへと目を向ける老人に、ニアは自らが重症であることなど忘れたかのようにその目を見つめ返すと、


「俺も、着いていっていいですか」


 断られることなく百も承知のその願いは、たとえ断られる可能性が限りなく100%に近いとしても、ニアにとっては何よりも縋り付く価値があるものだった。


 だが老人はそんなニアへ深いため息と共に何処か躊躇いながらその口を開くと、


「ダメだ、君はまだ動ける状態じゃない」


「先輩は、俺のせいで重傷を負ったんです。なのに俺が先輩の見舞いもせずに休んでおくなんて、そんなことできないです」


 数秒の沈黙が場を包んだ。


 互いに譲れない点があるように、両者が目を逸らすことなくその瞳を見つめ続けた。


 だが数秒後、老人はそんなニアの目に根負けしたように目を逸らし、深く頭を悩ませる様子を見せると、


「…わかった。だが、君の体はまだ動くから状態には程遠い。ワシが手を貸してやれればよかったんだが、あいにくこの老骨では力不足でな。せめて誰か力のある人が近くにいてくれるなら…」


「なら、私が同行しても構いませんか」


 老人の言葉に割って入るようにしてそんな声が聞こえた瞬間、ニアは声のした方へと咄嗟に顔を向けていた。


 その声はニアの横たわる部屋の入り口から聞こえてき、その姿はコツコツという足音と共にニア達の視界に映す。


 肩につけた紋章が特徴的な、赤い髪をした凛々しい風貌の女性。

 その姿を見た瞬間、ニアは思わずその名を呼んでしまっていた。

 

「アンセル…さん?」


「アンセルでいい。久しぶりだな、ニア。調子はどうだ?」


 現れた女性、もといアンセルは目覚めたニアの姿をその瞳に捉えるや否や何処か嬉しそうに笑みを浮かべ、変わらないフレンドリーな態度でニアの元へと歩み寄ってくる。


 そうしてニアの元へと辿り着いた頃、アンセルは先ほどのニアと老人の会話が聞こえてきたからこそ、


「君に聞きたいことがいくつかあるが、それはまた今度にしよう。君もエリシアのところに行くんだろ?」


「お願いできますか」


「お願いだなんて下手に出なくていい。私は君と対等に接しているつもりだ。敬語もなくていい」


「そう…か、わかった。ありがとう」


 ニアの言葉にアンセルは躊躇うそぶりすら見せずに快諾の意を返し、感謝を告げるニアに笑みで返事を返してみせる。


 そうして話がひと段落した頃、アンセルは声を発することなく2人の短い会話を聞いていた老人へとその目を向ける。


「と、言うことです。問題はないですね?」


「…わかった。だが静かにするんだよ、命に別状はなくとも重症である事に変わりはないんだから」


 アンセルの言葉に対する少しの沈黙が、未だ怪我人であるニアを連れて行くことへの老人なりの気遣いの形であることを、ニアは理解していた。


 だが、それでもニアが老人に伝えた言葉にもまた嘘はなく、そうして慎重にベットから踏み出された足はやがて地面へと接触する。


「いっ…!!」


 瞬間、足にわずかに体重をかけると同時に踏み出したニアの足には鋭い痛みが駆け巡り、ニアは小さな悲鳴と共に崩れるようにしてその体をベットの外へと放り投げてしまう。

 だが、本来であれば地面へと叩きつけられていたであろうその体は横から差し出されたアンセルの腕によって支えられる。


 そうしてなんとか踏みとどまったニアへ、老人は安堵したようにその視線を外すと、


「慎重に動きなさい。君の体はこの前と同じで異常なくらいの回復速度だけど、流石に今回は怪我が怪我だからの。まだ全快とは程遠い」


 同じ期間を病院で過ごしたにも関わらずニアの怪我はまだ完治していない。

 それはニアがエリシアよりも更に重症であったことの証明であり、それほどまでに自身の体に無理をさせてしまっていたのだとニアは改めて理解する。


 そうして何処か目を伏せるニアへ、アンセルは支える腕を持ち上げ、ニアをその場にゆっくりと立たせると、


「歩けるか?ニア」


「ありがとう。ただ、このまま支えててくれると助かる」


「あぁ、任せてくれ。そのくらいならお安い御用さ」


 ニアの言葉にアンセルは再び躊躇うそぶりすらなく言葉を返してみせる。


 そうしてその様子を見た老人はゆっくりとその場を後にするように歩き始め、ニア達もまた遅れないようにとゆっくりと歩き始める。

 踏み出された足はアンセルが歩調を合わせるようにして余計な負担をかけない必要最低限の力のみを込めていたため、微かな痛みだけをニアへと伝えていた。


 一歩、一歩と慎重に地面を踏みしめて行くその体は、やがてアンセルがだんだんと感覚を掴み始めたことにより痛みを伴わなくなっていく。


 そうしてやがてニア達は目前に現れた扉を3つ、4つと通過していく。

 流れるようにして10つめの扉が現れた頃、老人はふと足を止め、ニアへと振り返ると短く告げる。


「ついたよ。ここだ」


 何処か重苦しく言葉を放った老人は、やがてニアへ道を譲るように横へと回る。


 その表情は何処か暗く、まるで知らせるつもりのなかった現実を突きつけてしまうことを悔いているかのようだった。


「いこう、ニア」


「…あぁ」


 アンセルの言葉にニアは短く言葉を返し、踏み出した足を扉のそばへと進ませて行く。

 その足取りは何処か重く、一歩を踏み出すたびに崩れ落ちそうなほどの重圧がニアの身にのしかかった。

 

 それはまるでその先に広がる光景をニアへ見せまいとしているかのようであった。


 だが、それでも勇気を出した一歩が扉の元へと辿り着いた時、アンセルはゆっくりと閉ざされた扉を開いて行く。

 ガラガラと鳴り響く音がニアの鼓膜に反響し、その先の景色をその瞳に映し取る。


「…」


——部屋の中にはベットが一つだけ備えられていた。


 余計な刺激を避けるためか部屋の窓は完全に閉ざされており、部屋の中は暗闇が覆い尽くしていた。

 そうして光の差さない部屋に備えられたベッドの上に、その少女は横たわっていた。


「これが今の現状だよ。彼女は生きているが、君と違い目覚める予兆すらない」


「そんな…」


「容態は安定している。怪我も全て完治したと言って相違ない。だが、彼女は魂が抜けてしまったかのように深い眠りについてしまった」


 その体はいくもの管に繋がれ、呼吸と同時に微かに揺れるメーターだけが静かな部屋の中に音を放っていた。


 瞬間、ニアの体は地面へと倒れこむようにふらりとその体勢を崩してしまう。

 その体はやがてアンセルにとって受け止められ、そうして再び地面の上へと着地する。


 だがアンセルもまたニアの気をわずかにでも理解しているのか、その瞳はニアを捉えることなく微かに逸らされていた。

 それでもこの場にニアが来ることに対し協力してくれたのは、きっと放っておいては今みたいに崩れ落ちてしまうと、アンセルなりの優しさなのだろうとニアは今にも崩れ落ちそうなその内心で微かに感謝を告げる。


「いつかは目覚めるだろう。だが、おそらくこの調子だと数年は目を覚さない可能性が高い」


「…それでも、いつかは目覚めるんですね」


「あぁ、だが『おそらく』だ。可能性にして30…いや、20%がいいところだろう」


「わかりました。ありがとうございます」


 老人の言葉にニアはわずかに笑みを浮かべながら言葉を返す。

 その様子をアンセルは心配気に見つめていた。


 そのことに気づいたニアは、わずかに躊躇いながら、だが決心を決めたようにアンセルの目を見つめ返すと、


「大丈夫だよ。先輩はきっと目覚める。だから俺は、それまでに先輩が驚くぐらい強くなってやる」


 それはいつかの灰庵の願いと、同じ意味を持つ言葉。

 この世界へと落ちてから、常にニアを取り巻いていた要因そのもの。


 だが、今のニアにとってそれは無理をして放たれた言葉ではなかった。

 ニアはこの世界に来てから数えきれないほどエリシアという少女に助けられ、数え切れないほどの返さなければいけない恩を抱えてしまった。

 そうして今回もまた、エリシアのおかげでニアはこうして生きていた。


 だからこそ、ニアは痛む拳を握りしめるとゆっくりとエリシアへとその目を向けると、

 

「俺は、あなたを守れるくらい強くなってみせる」


 それは決意であり、誓いであり、自分自身のこれからへの戒めの言葉。


 この世界に落ちてきてからの数え切れない恩を経たからこそ、ニアはこの瞬間にして初めて、自分の意思でこの世界の誰かのために強くなることを誓ったのだった。


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