小さな世界の最終決戦
ニアは目の前に映る光景に目を疑った。
そこにはいるはずのない。否、いて欲しくないと心から願った存在がいたからだ。
突如として現れ、大切な存在を壊した全ての元凶。
それが今、目の前に現れたのだ。
「なんで…何でお前がここにいるんだよ!!!」
冷静ではなかった。先程まで頭の中にあった事の全てが消え去り、どうしようもない怒りのままニアは”何か”へ叫ぶ。
「…」
だが“何か”はニアの叫びに返事をすることなく、ただ何かを探しているかのように静かに辺りを見回していた。
自らを意にも止めていないその様子にニアは抑えようのない苛立ちを露わにするように痛む拳を握りしめると、
「こっちを見ろ!!」
ニアは”何か”へ再び声を荒げると、先ほどの言葉が聞こえていなかったかのようにニアへとその目を向ける。そして同時に気味の悪い笑みを浮かべ、ニアへと微笑みかけた。
「…?अए…」
ニアの叫びに応えるように、“何か”は不意に音を漏らす。
その音は冗談でも言葉とは言えないほどの不鮮明な音であり、だが“何か”はその音の意味がニアに伝わっていないことを理解したのか、次の瞬間には自らの喉元を貫き、そして掻き回していく。
鳴り響く歪な音は意図せずとも聞こえたものの表情を歪ませるほどに不快感を付き従わせるような音であり、だが数秒の後、“何か”は再びニアへとその目を向けると、
「アー…、これ、で、聞こえル?」
瞬間、全身の鳥肌が一斉に逆立ち、ニアは“何か”に今まで以上の嫌悪感を抱くことを余儀なくされる。
言葉。だが違う、言葉として不完全な、まるで人ではない何かが人の真似をしているだけのような、そんな声だった。
「ふざけるな。俺達の、人間の言葉をお前ごときが喋るんじゃねえ」
不愉快だ、早く黙らせないと。一刻も早く生まれてきたことを後悔させてやらないと。でないと…でないと俺はみんなに顔向けできない。
怒りを隠すことなくニアはそう”何か”へ吐き捨てる。そして自らの心中に渦巻く激情を抑制することなく、ニアは片手を”何か”へとかざすと、
「豪鳴」
短くそう呟いた瞬間、何処からか現れた黒い雲がニアの遥か上空を包み、同時に雨と、豪雷の如き雷が響き始める。
まるで天変地異のようなその事象の全ては、たった今ニアの力により現れたものであり、ニアはその全てを支配することができた。
その力の名をルイスト。
ニアのいた世界では誰しもが持ち得た超常の力であり、自身の中に眠るエネルギーと引き換えに空想を現実へと顕現させることのできる力。
だが、ニアのルイストはそんな力の中でも、他の者達とは一線を画していた。
その力に際限はなく、内に眠るエネルギーもまた常人を遥かに凌ぐ、十数、或いは数十倍までに及んでいた。そして、
「こレは…?」
「冥葬」
降り注ぐ雨を初めていたと言わんばかりに興味を示す“何か”を置き、ニアは静かに言霊を呟き、そして自らの上空に立つ”何か”を握り潰すように握り込んだ。
次の瞬間、空を覆い尽していた黒い雲は白い雲へ、激しく降り注いでいた雨や雷は一宇の音をも生じさせないほどにピタリと静寂を宣告する。
そして同時に、“何か”の頭上には巨大な一つの影が姿を現す。
一瞬の間に雨が止んだこと、そして突如として照らし始めた日差しににより吸い寄せられるように空を見上げたことで“何か”はその時にしてようやく自らの頭上に浮かぶ『それ』の存在を理解する。
空を覆い尽くす白い雲。“何か”のさらに上空の雲には巨大な穴が空いており、同時にそこには空いた巨大な穴を埋め尽くすほどの巨大な槍の形をした雷があった。
自身の生じさせた雷雨の全てを一箇所に集め、そして任意のタイミングにて解き放つ技。その名は——
「…!!」
「雷墜」
瞬間、“何か”は防御の体勢へと映るべく体を捻るが、それでは遅い。
雷の槍は音よりも早く”何か”へ直撃し、次の瞬間、周囲一体の音の全てを染め上げるほどの轟音が鳴り響く。
“何か”のいた場所からは黒い煙だけが立ち上り、その余波で灰燼と化した木々のせいか、何かが燃える匂いだけがニアの近くを覆い包んだ。
勝負は終わったように思えた。雷墜は直撃せずとも近づくだけで灼熱に身を焼かれる火力特化のルイストであり、故に生きている可能性は限りなくゼロに近い。
だがニアは一切の手を抜くことをせず、姿の見えない”何か”へと追撃を始める。
「暗き夜」
足で地を踏み締めたニアは、続けてそう小さく呟いた。
瞬間、瞬きをするよりも早く、雷が落ちたことにより焼け野原になったそこには空を覆い尽くすほどの巨大な影が生じた。
果てに見える壁と同じ、或いはそれ以上のサイズの影は飲み込まれただけでその存在が崩壊するほどの膨大なエネルギーを秘めていた。
幾度として使用した、ニアにとって使い慣れた数少ないルイストのうちの一つ。幾度として使用した記憶の中に、それが直撃して生きていた存在の姿など何処にもない。
「…まだだ」
ニアは自らの前面へと突き出した腕を力の限り握り締め、姿の一片すら残っているかどうか不明な“何か”へ、手を休めることなくその力を続けて行使する。
「不知火」
無から焔が湧き上がり、埋め尽くす。
影を囲うようにして現れた焔は瞬く間に数キロはあるかという影の全てを覆い尽くし、同時にその内情を数千度の地獄へと作り変える。
垂れ落ちた一片が地面へと接触すると同時に、接した部分は激しく燃え上がり、しばらくの燃焼ののちに沈黙する。
「はぁ…はぁ…どうだ…!!」
ニアが使える最大の技。自らの内に溢れるほどに残っていた力の残滓の全ては、“何か”を倒すために行使され、その姿を消滅させた。
全てを出し尽くした今のニアにはもうルイストを使うことは叶わず、同時に無理な連続使用をしたせいか、その脳には耐えがたい激痛が訪れる。
だが、そんなことは今のニアには紡ぐ言葉を妨げる要因にはなり得ない。そうして息も絶え絶えになりながら、姿を見るまでもないと勝利を確信した時、
「スキア…?なるほド、いいね」
「…っ!?」
それはニアの前方、今尚湧き上がり続ける不知火の中から聞こえてきた。
聞こえるはずのない声に勝利を確信していたニアは瞬間的に形だけの警戒体制を向ける。
同時だった。ニアが警戒体制を露わにするのと同時に、触れることすら許されないはずの不知火はまるで薄い膜を破るかのように真っ二つに切り隔てられ、それは再びニアの前へと姿を現す。
先ほどまでの姿の面影など何処にもない、焼け爛れたために今尚沸騰する肌に、欠損した左腕。その様子から、確実に不知火は“何か”へと致命傷になり得るほどの威力を誇っていた。
「なんだ、そっちの方が化け物のお前にはお似合いじゃねえか」
「ただの変化だ、大したことはなイ。それよりもスキア…スキア。アぁ、いい響きだ。ちょうどソロソロナマエが欲しいと思っテいたところだったんだ」
威勢だけの虚勢に、“何か”は怪我のことなど眼中にないかのように淡々と、感情の一つも感じられない声で言葉を返す。
何故あの一撃を喰らって、しかも致命傷になり得るほどのダメージを負ったなおその存在を確立できているのか。
瞬間的にニアの脳内にはいくつもの可能性が湧き上がってくるが、この瞬間においては結果以外の全ては考えるに値することではない。
「決めタ。人の子よ、今から私のことはスキアと呼んでください」
わずかに歪む声も次第に馴染み、ほとんど人間と遜色のないほどまでに言語の階段を駆け上った“何か”…もといスキアはニアへとそう語りかける。
「そうか。なら覚えておいてやるよ。慢心をしたが故に無様に死んだ奴の名前としてな」
沸騰するスキアの腕は次第に平穏を取り戻し、失われた左腕もまたゆっくりではあるものの湧き上がるようにして再生を始めていた。
対するニアにはもう使えるルイストは残されておらず、だがニアはタイミングを測るようにゆっくりと呼吸をし、その息を整える。
無謀な挑発。だが、蛮勇ではなかった。何故ならこの瞬間、ニアの中には先ほどの力よりも更に強大な、まさしく必殺と呼ぶべき切り札が残されていたからだ。
「君に私が殺せると本気で思うのですか?」
「できないと思うか?」
「なら、なぜ君の国は滅んだのですか?」
瞬間、ニアは襲い来る怒りに身を震わせ、だがそれは爆発することなく間一髪のところで押さえ込まれる。
問いかけられたその言葉にはいつも間にか気味の悪いほどの感情が込められており、だからこそニアは理解したのだ。
『この問いは、煽りでも何でもなく、ただのスキアにとっての疑問』なのだと。
「…そうだな、どうやら俺にはお前を殺す力なんてなかったみたいだ。…けど今は違う。これはお前が殺したみんなの力だ。お前が殺した、たった一人の少女の力だ。」
「…??」
「その力でお前を殺すんだ」
ニアはゆっくりとスキアの元へと歩き出し、その突然の行動にスキアもまた理解ができないとわずかに首を傾げる。
だが、向かいくる存在をみすみす近寄らせるほど、スキアもまた慢心していない。
歩みくるニアを迎え撃つべく、あるいは先手を打つべくスキアもまたタイミングを測ったようにニアの元へと駆け出したその瞬間、
「「クロノス」」
瞬間、あたり一体。
否、世界の全てが色を変えた。
吹いていた風はその存在を瞬間的に消滅させ、駆けるスキアは飛び上がった体勢のまま地に落ちることなく完全な静止を告げられる。
この瞬間、この世界に生きるすべての静は止へ。有は無へと傾いたのだ。
「…これが命をかけてくれたみんなへの手向だ」
一歩、また一歩と。だがその一歩に途方もないほどに思いを馳せながら、ニアはスキアの元へと再び歩み始める。
ニアのいた国の、全ての者達の残した力の集合体。いわばこの力そのものが亡きみんなから託された願いであり希望。
であれば、踏み締める一歩にどれほどの想いが込められているのかなど、当人であるニア以外に知り得ることはない。
だがニアはその悲しみすらもを受け入れるように大地を歩み、そうしてやがてスキアの目の前へと辿り着く。
「これで終わらせる。お前が殺した全ての人たちの思いを知れ」
止まったままのスキアは笑ってしまうほどにちっぽけであり、だがニアは油断することなく戦いを終わらせるべく拳を握りしめる。
止まった世界はいわば“無”である。この世界でニアが攻撃を行えば、その全てが無限の威力を得、時間が動き出すと同時にあらゆる防御をも貫く一撃となる。
だが、ニアが大きく腕を振り絞り、スキアへと振り下ろしたその瞬間、異常は起こってしまった。
「これは…死んでいる?いや、止まっているのですか」
「なっ…!?」
止まっていたスキアの体はノイズがかかったかのようにわずかに歪み、同時に聞こえるはずのない声が静止した世界の中へと介入する。
そしてスキアは、ニアへとその目を向けた。




