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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
遠い世界
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久遠の花

 ニアの目前へと姿を現したアルクヘラン。


 だがその姿はニアを蹂躙していた頃とは大きく異なり、右半身は失われ、黒い液体がドロドロと溢れ出していた。

 残った左半身も備えられていた3本の腕のうち2本は失われ、顔にかかった変わらないモヤのおかげでかろうじてアルクヘランと認識できるほどの重症だった。


「…お前がやったのか」


 瞬間、ニアは伏せた体勢のまま、短くアルクヘランへと問いかける。


 そうして問いを受け取ったアルクヘランもまたニアが重症だと理解しているからか、初めて遭遇した時のように力を行使することなく、代わりにゆっくりと歩みを進めていく。


『そうですね、その子のことを指しているのならワタシが——』


「お前がやったんだな」


 短な言葉は怒りを塗り替え、やがてそれは殺意へと変わり遂げる。


 そうして次の瞬間に起こったのは、アルクヘランにとって予想すらしていなかった、理解の及ばないことだった。


『…??』


 体に訪れた違和感に気付いたのは、それから間も無くのこと。

 当たり前のように自然に足元に訪れていた馴染みのない感覚にアルクヘランはわずかに反応を遅らせ、だが咄嗟にそれを見たからこそ小さく驚愕を浮かべる。


 何処からか生まれ落ちた白い光がアルクヘランの全身を包み、だが次の瞬間にそれは侵食するかのようにアルクヘランの体を飲み込み始めていた。


「お前たちはみんな大切なものを壊していく」


『これは…アナタは何を…?』


 飲み込まれた部位は塵となるようにゆっくりと崩れ落ちていき、その異常な現実にアルクヘランはわずかに沈黙を貫く。


 瞬間、突如としてアルクヘランはその場から姿を消滅させ、ながニアはその行方を追うこともなくただ淡々と言葉を連ねていく。


「お前たちはみんな人を誇りを振り払うように殺していく」


 図らずとも自らの体に起きている異常がニアのせいなのだと理解したからこそ、アルクヘランは再び突如としてニアの背後へと立ち、塵となっていく腕を伸ばしていく。

 ———だが、


『…届かない…??』


 伸ばされた腕はニアへと接する寸前にて見えない壁に阻まれるようにして停止する。

 そうして同時に伸ばされた腕はさらに侵食の速度を早め、ボロボロと地面へと崩れ落ちていく。


『…!!』


 瞬間、アルクヘランは再びその場から姿を消失させ、代わりにニアから距離を取るように数歩離れた箇所に突如として現れる。


 そうしてニアは痛む足を感じながらゆっくりと立ち上がり、湧き上がる悲鳴の代わりにアルクヘランへとその目を向けると、


「みんながどれだけ必死に生きても、お前たちは、それを当然の権利のように踏み躙る。お前たちは…そうだ。お前たちがいるからみんな恐怖に縛られる」


『これは…何が起きている…?』


 アルクヘランには理解ができなかった。


 対するはただ1人の少年。

 それも、つい先ほど相対した時には自身へ手も足も出なかったはずのちっぽけな存在。

 ——そんな存在が、この短期間で自らへと届き得るまでの力を得たその訳を。


 だがニアは知っていた。


 自身の行使するその力が、その正体が一体なんなのかを。


「———だから、お前たちは生きてちゃダメなんだ」


 それはかつてのニアにとってあること自体が当たり前だった力。

 長らくの時間を共にした、手足のようにすら思えるほどにその体に馴染んだ力。

 ———そして、負けてはいけない戦いに負けたがために失ったと思われていた力。


 昔の癖のようなもののせいか、ニアの中にはずっと深い怒りに直面した時にはそれを行使しようとする無意識が息を潜めていた。


 スキアに負けたあの日に力の9割以上は奪われ、だがわずかになかった粒子はスキアにとって奪うにすら値しないと判断されたために今尚残滓としてニアの中に残り続けていた。

 ———だが、それだけではなかった。


「…そうか、みんな。ありがとう」


『アナタは一体…!!』


起点(きてん)


 瞬間、アルクヘランの体には見えない何かがのしかかったかのような重力が訪れ、横たわった辺りの木々は重力の中心へと向かうかのようにアルクヘランへと向かい動き始め、同時にアルクヘランは脅威と化したニアへ小さな言葉をこぼす。


 ニアは理解していた。

 戦いに負け、力を行使するのにすら不十分な粒子だけを宿したこの体が、今もなお全盛期と同じ規模の力を行使できているその理由を。


 そうしてニアは理解していた。

 

 残された粒子はあと一度でも力を使えば完全にニアの中から消滅し、——そうして正真正銘、みんなとの別れになるのだと。だが、






…だけど俺は、これ以上大切な人を失いたくないんだ





 自らへと誓うようにニアは自らへとそう言葉を残し、そうして空へと腕を伸ばす。


 痛む腕はわずかにでも気を抜けば崩れ落ちそうなほどの激痛をもたらし、比例するようにニアの中からは何かが抜け落ちていく感覚が訪れる。


 遠のいていく感覚は大切なものたちとの別れをニアへ叩きつけ、その瞳にわずかな雫をたぎらせる。

 だが、それでもニアは力の行使をやめない。


 スキアにより死んでしまったものたちは今、ニアが力を使うための足りないピースを互いに補完し、そうして埋め合わせる。

 

 迷うニアの心を導くように、ニアの人生の中で最も長い時間を共にした者達は、元来そこに存在し得なかった第三の選択肢を完成させた。


「…さようなら、みんな」


『アナタは…まさか…』


 ニアは小さく別れの言葉を呟き、そして天へと伸ばした腕を強く握りしめる。


 それはここにいないみんなへの手向けの言葉。

 少しでも安らかに。そんなささやかな願いを乗せた、最後にして絶対不変の一撃。


「…久遠の花(くおんのはな)


 瞬間、何処からか鐘の音が鳴り響き、同時に空からは一筋の光が舞い降りた。


 辺りは変わらず雨が降り落ち、だが明らかな違和感として生まれたその光は躊躇うことなくニアの前面へと着地する。


 そうして降り落ちた光をアルクヘランもがまた理解した瞬間、


「開花」


 ———再び鐘の音が鳴り響き、白い花びらが一枚、ニアの頬を掠めた。


 それは燃え続ける極夜に存在しないはずの、生きとし生ける者の証明。

 何処からか飛んできたそれはやがて宙へと舞い上がり、差し込む光の元へと吸い込まれるようにして飛び立つ。

 ———そうして、


『———』


 飛び去った花びらへと目を向けていたニアは小さな呼吸と共にその目線を地面へと下ろしていく。

 だが、そうして目線を向けた先にアルクヘランの姿は何処にもなく、代わりにその場には何かが崩れ落ちたかのように細切れになった塊だけが横たわっていた。


 瞬間、辺りは沈黙に包まれ、降り落ちる雨の音だけが再びニアの鼓膜を支配する。そして、


「…はぁ、はぁ、ぐっ…」


 ニアは胸へと手を当て、荒い呼吸と共にその場に崩れ落ちる。


 それはニアの体から完全に失われた力の、保管しても尚足りなかった部分を無理矢理に行使した代償。


 拍動と共に心臓を貫く痛みは全身の痛みが可愛く思えるほどにその呼吸を荒くさせ、ニアは眩暈と共にその場に腕を立て、だが次の瞬間には倒れ込んでしまう。


 ———勝負は決した。


 アルクヘランだったものはもはや動くことも話すこともない塊と化し、代わりに血だらけになり、木へと伏せる少女だけをその場に残す。


 掠れた呼吸を繰り返すニアはやがてその場に止まる時間を惜しむように無理矢理に地面へと手をつき、そうして地面を這うようにしてエリシアの元へと寄っていく。


 本来であれば動くことすらが不可能なはずの重症。

 だがそんな痛みに囚われる余裕があるほど、今のニアには、エリシアには時間が残されていなかった。


「はやく…はやく連れて行かないと」


 辿り着いた少女は呼吸とも呼べないほどに浅い呼吸を繰り返していた。

 いつ途絶えるかもわからない状態にニアは再び刀を地面へと突き、あと数歩の先にいるエリシアの元へと、感覚のない足を擦りながら歩き始める。

 だが、


「はや…く…?」


 絶え間のない痛みのせいか、ニアはその異常にわずかに反応を遅らせる。


 それはつい先ほどまでは存在しなかった異常。

 力の代償とはまた別の、臓器の大事な部分を貫かれているかのような、言葉に表すことすらができない鋭い痛み。

 

 そうしてその異常の元へとニアが目を向けた時、ニアは理解する。


「…血…?」


 いつの間にか自らの口から血が溢れ、それが地面に赤いシミを残していること。

 そうしてそれが、自らの体を貫いている一本の槍のようなもののせいなのだということに。


 瞬間、貫いていた槍は引き抜かれ、溢れ出す血と共にニアはいとも簡単にその場へと倒れ込む。


 そうして倒れ込んだことにより見えた視界の先にいたのは——、


「なんで…まだ生きて…」


 そこにいたのは、つい先ほどみんなの力を代償に、ようやく倒すことが叶ったはずのアルクヘランだった。


 その立ち姿は先ほどニアと対していた姿よりも回復を果たしていた。

 だがその体は左側に備えられた3本の腕のうち真ん中や右足の失われた姿であり、心なしかその体格も先ほどよりも小さく見えた。


『…危なかった…まさかワタシに、運が味方をする日が来ようとは』


「ぶ…ぐふ…」


 見た目ほど回復は果たしていないのか、肩で息をするアルクヘランはそう呟くと、倒れ込んだまま動くことのできないニアへとモヤのかかったその顔を向ける。


 そうして同時に、ニアはこの時にしてようやく理解する。

 自らの体がとうに限界を迎えており、今まで動くことができたことすらが奇跡に近しいことなのだと。


『…アナタはワタシの生きてきた中で2人目の、ワタシを倒せる力を持った者。故にワタシはアナタを殺さない。ワタシが手を下すのは、そう、そこの少女だけとしましょう』


 瞬間、アルクヘランはゆっくりと顔をあげ、その終着点に伏せるエリシアの元へと動き始める。





立て、立て…!立ってくれ…





 向かい行く歩みを阻止するべくその全身に力を込めようと、帰ってくるのは激痛という名の否定だけであり、絶望がニアの目から光を奪っていく。


 ———肉体は休息を、眠りを求めていた。


 だがそれは決して目覚めることのない、ついてしまえば約束も何もかもを投げ打ってしまう深い海のような眠り。


 どれほど目覚めを願おうが迎えるのは激痛と、これから行われる悲痛な現実だけであり、現実から逃避するように、限界を迎えた意識は最悪の瞬間に肉体から手を離してしまう。


 そうして力の尽きた肉体の瞳が閉ざされるその瞬間、





代償『—』つ目、『—————————』こと。






 落ちていく感覚の中で、何処からかそんな声が聞こえた。

 幻聴のようなそれはニアの意識が限界なためかその大半がノイズに包まれ、やがて意識の片隅に溶けていく。



 


——…誰だ…?






 だがニアは失われる寸前の微かな意識で、かろうじて聞こえたその部分に返答を返してみせる。


 もはや鼓膜は雨の音さえ届かないほどに強い耳鳴りに支配され、現実の音は何一つとしてその脳へと届くことはない。

 

 ———だが、それでよかった。






『——————』、さすれば、俺がキミを助けよう

キミの助けたい者を助けよう







 何処か聞き覚えのあるその声は、消えていくニアの意識に不鮮明な交換条件を突きつける。


 走馬灯のようなものなのか、あるいは目の前の絶望から逃げるための幻聴か。

 消えかかっていた意識は気を抜けば飛んでしまうほどのギリギリで持ち堪え、何者かとの会話を許していた。

 

 だが、それも長くは続かない。

 無意識のうちにその意識は眠りへとつくために無理矢理な急降下を始め、そうして眠りへとつくその瞬間、

 




…先輩を、助けてくれるのか?


あぁ、それが俺とキミの、約束だ


…そうか…なら、任せた……俺は少し…疲れた






 そうしてニアの意識は眠りを迎えた。


 無理を続けた体は見るに耐えないほどの重症だけを残し、そうして代わりにその体に宿ったのは、


「…あぁ、任された」


 ———何者かがそう言葉を発した。


 その声は聞き慣れた、あるいは誰かにとっては常に聞いていたであろう声。


 ニアとアルクヘラン、そしてエリシアを除いた誰もいないはずのその空間に響いた声は、その誰とも違う軽快な声色で、そして次の瞬間にはその正体を露わにする。


『…!!』


 突如として自らの背後に現れた、先ほどまでとはまた違う不穏な気配にアルクヘランは咄嗟にその場へと目を向ける。そしてその場にいたのは、


『…何故立てて…いや、違う』


 振り向いたその視界に映ったのは、先ほど同様胸に空いた傷口から血を流しながらも、何ともないと言わんばかりに悠々と立ち上がるニアだった。

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