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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
遠い世界
26/105

その身を貫くものは

 音のない世界へ伝わる振動。


 自らの背後から視界の片隅へと飛来した木の破片を捉えたことにより、ニアはこの地点にてようやく事態の異常さを理解する。


 ニアはただ、地面を転がっていたなんの変哲もない石へと、10秒程その意識を向けていただけ。

 ただそれだけだった。だが、



 


…なんでここに






 木片と同時に視界に映ったのはいつか見た黒い影のような腕だった。

 エリシアと戦っていたはずのそれはいつの間にかすぐ目前へと迫り来ており、ニアへと狙いを定めたように降り落ちてくる。


 




間に合わな…






 気づいた時には既に回避不可能なほどの至近距離へと迫られていた。

 

 迫り来る腕は突然の事態に思考をわずかに遅らせたニアへと直撃し———、


「…?」


 瞬間、ニアの体には謎の浮遊感が訪れ、同時にその瞳の中には白い髪が映り込む。


 それがエリシアのものなのであると理解するのにそう時間はかからなかった。

 パニブリカの攻撃よりも刹那早くニアの元へと辿り着いたエリシアが、ニアの体を抱き抱えたままその場から離脱したのだと。


 そうして咄嗟に状況を把握したニアが、ふと先ほどの石へと目を向けようと首を動かした瞬間、エリシアはその行動を遮るようにニアの目前へと手を当ててみせる。






…そうだ、パニブリカ…!!







 瞬間、”石“の場にパニブリカもが到着していることを改めて理解したニアは心の中でエリシアに感謝を告げる。


 そうしてニアの姿が消えたことにより標的を失ったパニブリカは、勢いを和らげること叶わずその先、ニアの注視していた“石”の元へと直撃し、辺りは土埃に覆われる。


 揺れる衝撃にわずかに体を痛ませながら、ニアは改めて自らを抱き抱える少女の元へとその目を向けると、


「…先輩?」


「話は後です。いいですか、考えうる最悪に、たった今なりました」


 何処か先ほどよりも焦った様子のエリシアにニアはわずかに疑問を浮かべ、だがその声色から次の瞬間にはそれが勘違いではなく本当に焦っているのだと理解する。


 何故この場にエリシアがいるのか。

 ふと頭の中にそんな疑問を浮かばせるニアだったが、その答えは図らずとも一つしか存在しない。

 

 つい先ほど味わったあの不快感が、エリシア達の元へも届いていたのだとすれば。

 瞬く間に解決した疑問にニアは改めて先ほどの“石”がなんなのかと思考を加速させ、何かを知っている様子のエリシアを見たからこそ、

 

「…先輩、あの“石”は一体…」


「…”石“ですか、なるほどやってくれましたね」


 舌を噛むようにして呟いたその言葉が、抱き抱えられるニアは向けられたものなのか、はたまた別の何かへと語った言葉なのか、それはニアにはわからなかった。


 だが、パニブリカの出現ですら見たことがないほどの慌てようだったエリシアの表情はさらに深刻なものとなっており、その額には薄い汗が滲んでいた。

 

 パニブリカの攻撃からニアを守るため、エリシアは反射的に“隠し石”とは反対の方向へと飛び下がってしまっていた。

 故に“隠し石”へと辿り着くためにはその道中にいるパニブリカを素通りするか、回り道をしてでも向かう以外の方法は残されていなかった。


 そうして事態の深刻さに対し今一つの理解を及ばせていないニアへ、何かを語ろうとエリシアが顔を向けたその瞬間、


「…っ!?」


「ちっ…!!」


 全身を駆け巡ったのは、いつかと同じ言葉にするにはあまりある不快感。


 突如として再び訪れた不快感にニアはまたしても顔を顰めることを余儀なくされる。

 だがその時、不意にエリシアの姿はニアの視界の何処からも消え失せていた。


 刹那と呼ぶにはあまりにも一瞬の出来事。

 だがニアは次の瞬間にはそれが、エリシアが消えたという前提自体が間違いであることを理解する。

 何故なら——、


「…は」


 あり得ない状況に脳が理解を遅らせる。


 体に落ちるその感覚は紛れもないほどに本物と同一であり、だからこそその状況が現実であると容認するにはあまりにも突然のことだった。


 ニアは落ちていた。

 地から底へと落ちるのではなく、空から地へと。


 優に数百メートルはあろうかというその地点から臓器の浮く感覚と共に、つい先ほどまで大地を踏みしめていたその体は突如としてすり抜ける空気と共に落下していた。






何が起きた、また幻覚?いや、パニブリカを視界に入れてない、まて、それより着地を…だめだ、間に合わない…!!






 自身の身に何が起きたのかと思考を加速させるニアは、やがてパニブリカを見ていないことから今なお落下するそれが現実であるという結論に辿り着く。


 思考する間も容赦なく地面へと急降下する胴体に、ニアは少しでも衝撃を和らげるべく出来る限りの最善を手繰り寄せようと模索する。

 だが、それでは間に合わない。


 突然の事態に呆気に取られた脳が状況を飲み込もうと時間を費やしてしまったがために、着地という結論へと辿り着いた時、その体は既に手遅れなほどまでに地面へと接近してしまっていた。


 地面へと叩きつけられて仕舞えばその体は間違えようもないほどに原型のない肉塊と化し、だからこそニアは死を覚悟したように強く目を閉じる。

 ——だが、ニアの体が地面へと衝突することはなかった。


 目を閉じたその瞬間、ニアの全身に訪れていた臓器の浮く感覚は一瞬にして消え去り、代わりに訪れたのは、


「あ…?ぐふっ…」


 血を吹くほどの全身を強打する痛みに、ニアは意識を覚醒させる。


 ニアの体は先ほどまでいた空中ではなく、代わりに何処か山の麓のようなところへと叩きつけられていた。


 地面へと墜落する直前にて再び切り替わった景色。

 それが何者かの力によるものなのだとしても、あのまま数百メートルの落下の末に地面に叩きつけられる衝撃に比べれば大したことはないと、朦朧とする意識であたりへと目を向ける。

 

 だが何よりも問題であったのは、切り替わった視界のその寸前にて起こった事象を、ニアは何一つとして記憶していなかったことだった。


 現実であれば間違いなくあり得ない事象の数々。

 再び今いるこの空間自体がパニブリカの虚空であるのではないかと、ニアの脳内に微かにそんな可能性が浮かんできた瞬間、


「ぶ…」






何が起きて…







 ニアの意識は再び全身を貫く衝撃に覚醒し、いつの間にか目にかかった血流と共に、その景色もまた突然と切り替わる。


 朦朧とする意識はやがて時間と共に現実へと浮上し、だからこそニアは目の前に立つ“それ”の存在を理解してしまう。


「…なんだ、お前は…」


 細く痩せ上がった胴についた6本の腕に、頭部、下半身全体に渡り生じる黒いモヤのようなもの。

 認識を阻害する類のものなのか、そのモヤが頭部へ頭部以上の詳細を理解させることなくモヤとして脳へと認識させ、下半身もまた同じく不鮮明に黒いドレスのように仕立て上げる。


 瞬間、ニアの全身が死の気配を感じ、そして戦慄する。


 ニアは理解してしまった。

 目の前に立つ“それ”がパニブリカと同等の、否、比べることすら烏滸がましいほどの存在なのであると。


『…』


 声を発することなく沈黙を貫く“それ”は、まるでニアの反応を試すかのように数刻、ニアへ自身の存在を理解させ———、


「かはっ…なに…が…」


 瞬間、ニアはまたしても全身を貫く衝撃によりその意識を覚醒させる。


 痛みがまたしてもそれが現実であることを伝え、同時に今度は森の中に倒れていることを理解させる。


 そうしてニアは理解する。

 微かに開いた瞼の先で、ニアの倒れる方へと幾本もの木が薙ぎ倒されていることに。

 その全てに赤いシミが生じており、それが自身の体からこぼれ落ちたものであることを。


 そうして同時に、ニアはこの時にしてようやく先ほどから訪れていた違和感の存在に気がつく。






パニブリカは…?






 先ほどまで空気を揺らすほどまでに聞こえていたパニブリカの咆哮は、ニアが今尚訪れる異常に接近した瞬間からその息を潜めていた。


 それが何故なのか、何を意味するのか。

 ニアはぼやける脳で少しずつ、だが着実に自身の記憶の限りのヒントをかき集めていく。






あいつは最後、何かを止めようとしていた…?俺のいた場にあった何かを止めようと…

…待て、あいつは何かを恐れていたんだとすれば…、もしあれほどの脅威が恐れるものがあるなら、それはまさか———






「お前が…アルクヘランか」


『…』


 かけられた言葉に、対する者(???)は何の反応も示さない。


 直前のアングレインの言葉、そして突然態度を変え、襲いかかってきた厄災(パニブリカ)の存在。

 チグハグなピースにより導き出された結論はそんな笑ってしまうほどにあり得ない仮説だった。


 だが、その沈黙こそがニアの仮定を確信へと置き換えるための何よりの証明であり、だからこそニアは浅い息を慎重に整えながら再び思考を働かせていく。





こいつの力はなんだ、考えろ…考えろ…





 先ほどから訪れている異常は間違いなくアルクヘランの手により引き起こされている事象であり、ニアは鮮明になってきた視界と共にその力の正体を探ろうと意識したその瞬間、


「…なにが…」





何をされた、落ち着け落ち着け落ち着…






 全身を貫く衝撃はまたしてもニアへ小さな悲鳴をこぼすことだけを許し、だがその瞬間不意に再び視界に映る景色は切り替わり、同時に再び衝撃が体を貫いていく。


 度重なる衝撃にニアの口元にはいつの間にか大量の血が付いており、それでもニアは意識を手放さない。

 否、ニアは確かに意識を手放すことのないように気を張っていた。だが、ニアが意識を保っていた決定的な要因は他にあった。

 そしてその要因とは———、


「…っ…」


 度重なる衝撃にニアの意識は現実から逃避するために試行錯誤し、だがその全てが逃避するよりも早くに訪れる衝撃により覚醒する。


 何度も、何度も何度も何度も何度も、何度も途絶えかける糸を無理矢理に繋ぎ止めるように、逃すことのないように衝撃はニアの体を貫き、そして強制的にその意識を覚醒させる。


「ぁ…は…」


 全身の感覚はすでに失われ、その身を取り巻くのは果てしないほどの冷たさだけだった。

 ———だが、それでも地獄は終わらない。


 衝撃が訪れる度、霞む視界は無理矢理に開かれ、わずか1秒にも満たない間に周囲に散乱する赤い何かだけを捉える。


 幾秒、或は幾十、幾百の衝撃がその身を訪れた。

 そしてその結果として残されたのは———、


 意識が覚醒した頃、ニアは力の入らない足のせいで躊躇うことなく地面へと倒れ込む。

 死んでいないこと自体が奇跡にも近いそれはようやく終わりを迎え、代わりにニアの意識はだんだんと遠のいていく。


 




——————…






 思考すらがなんの理解も示さないほどの重症にニアはついにその瞳を閉じ、だが、それほどの限界が為にニアはその事実に気づいたとしてもどうすることも出来なかった。


 瞳を閉じるその寸前、こちらへと何かを叫び、手を伸ばす少女がいたことにすら。

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