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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
遠い世界
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予兆

「はぁ…はぁ…はぁ」


 ニアは走っていた。


 体は悲鳴を上げるべく絶えることのない痛みをニアへと伝え、一歩を踏み出すたびに表情を歪ませるほどの激痛が全身を駆け巡ってもなお、止まることなく駆けていた。


 それは寸前のエリシアとの約束を果たすためであり、それのみがニアの体を動かす要因となり得ていた。





隠し石はこの先のはず…着いたら先輩を呼んで、2人ですぐさま脱出…、無事でいてくださいね、先輩…!!





 エリシアの体にわずかに生じていた傷は、考えようもないほどにニアを助けるために生じた傷であった。


 ニアは、自身が足手纏いであることをとっくの昔に気づいていた。

 あのまま残っていても、きっと返ってエリシアの戦いの邪魔になったのだろうと。


 だが、だからこそ考えてしまう。


——なら一体、この一月は何のためにあったのだろう。と。


「…考えるな」


 痛みからわずかにでも意識を逸らすためか、脳は無意識のうちに余計な情報ばかりを思考へと落とし込み、ニアの思考を染めていく。





また、また逃げるのか俺は…






 大切な人を失ったあの日、ニアは強くなる事を自らに誓った。


 だが今、手を伸ばそうとも決して叶うことのない強敵が現れた時、立ち向かうことすら烏滸がましいほどの力なさを知った時、ニアは何故刀を握ることなく駆けているのだろうか。

 何故、恩人を残してしまったのだろうか。


 とめどなく溢れてくるその感情はニアの思考を自然と塗りつぶし、少しずつ染めていく。


 だがその思考は、次の瞬間にニアの元へと訪れた事象により振り払われる。


「今度は何が…」


 突如として訪れた強風はニアを含めた周囲一帯を漏れなく揺らし、突然の強風に抵抗すらする間もなくニアの体は地面へと押し倒されてしまう。


 そうして何事かと風の押し寄せた方へとその目を向けた瞬間、


『ヲヲヲヲ…ヲヲヲヲ!!!』


 響き渡ったその咆哮が、一体何から発されたものなのか。それはニアにとって考えるまでもないことだった。


 気持ち悪さを連想させる咆哮はニアの背後、即ちエリシアがいる方向から聞こえてきたものだった。

 そうして同時に、振り向いたその目を映ったのは——


「———腕」


 上空へと舞い上がった、幾本もの黒い巨大な、影のような腕。

 それらはその全てがまるで目標へと狙いを定めたかのように一箇所へと収束し、同時に地を揺らすほどの轟音が鳴り響く。


 降り立った腕。それが何に狙いを定めていたのか、その答えはニアの思考よりも先に声として零れ落ちる。


「———先輩…」


 その声は不安に染まっていた。それはたった今目に映ったそれのせいであり、同時に自身が体験したパニブリカの力のせいでもあった。


 いつの間にか信頼よりも上に立ってしまっていた心配にニアは気付かず、やがてエリシアの元へと駆け巡るべくその体は方向を転換し始める。


 だが、そんなニアの心配はニアが駆け出すよりも早くに振り払われる。


「っ…!」


 甲高く、そしてか細い金属の音。

 それがニアの耳へと届いたその瞬間、地面へと降り落ちていた黒い腕はその全てを一瞬にして消失させ、同時につい先ほどニアを押し倒したのと同等の強風が辺りを駆け抜ける。


 瞬間、ニアは意を決したようにその目を固く瞑り、そうして小さな呼吸と共にその瞳を開くと、


「…いこう」


 吹き抜ける風に微かに身体を揺られながら、ニアは“隠し石”へと、止まってしまっていたその足を進め始める。


 聞こえた音は一度や2度に止まることはなく、その度に強風がニアへと襲いかかる。

 だが、例えそれがエリシアが戦っているからなのだと分かっていても、ニアの中にはもはや微塵の心配も存在しなかった。





大丈夫だ、先輩はあいつになんか負けない





 確証はなかった。ただ一振りの景色をその瞳に捉えただけであり、パニブリカとの力関係さえニアが知ることはない。


 それでも、目に映ったその一振りさえあれば、ニアがエリシアを信じるきっかけとなるには十分すぎる要因だった。


『…ヲヲヲヲ!』


 時間と共にわずかに小さなものとなっていく咆哮を背後に、ニアはボロボロになった体を動かしていく。


 無我夢中で駆けるニアの中にはもはや自身の怪我のことなど何処にもなく、肉体はただニアの意思に付き従っていた。

 そうしてそれから少しした頃——、


「…やっと、見えた」


 駆けたニアの視界の先には、いつか見た大きな石が映り込んでいた。


 それはニアが無事に隠し石の元へと帰還したことを意味し、そのことを理解したニアもまた、一刻も早くエリシアへとその事実を伝えるべく更なる一歩を踏み締める。

 ——だが、その瞬間に違和感は起こった。


「…っ、今度はなんだ」


 踏み出した一歩が大地を踏み締めた瞬間、ニアの全身には言葉に表せられないほどの不快感が駆け巡った。

 怒り、嫉妬、楽愛、慟哭。

 言葉にすればキリのないほどの感覚が詰め込まれたようなそれは、ニアへ無意識のうちに顔を顰めさせる。


 そうしてニアは咄嗟に新たな敵襲かと足を止め、周囲へと目を向ける。

 だが、辺りにあったのは人気の含まない風と、今なお鳴り響く残響音だけだった。


 原因のわからない不快感にニアは脳内に疑問を浮かばせることを余儀なくされるが、今のニアには例えそれが身の毛の弥立つほどの不快感であったとしても気にしている余裕はなかった。


 そうして目前に見えた隠し足の元へと駆け寄るべく、再びその足を振り上げた瞬間、ニアはある違和感に気がつく。


 いつの間にかニアの視界からは隠し石が消え失せており、代わりにその瞳の中央にはあるものが映り込んでいた。





…なんだ、何か変だ






 それはどこにでもある、意識する価値すらないほどのごく普通の石だった。

 多少の大きさこそあれどそれ以外に気に止める要素のない石。


 だがニアの視線は無意識に、まるで吸い寄せられるようにしてその石の元へと向けられていた。

 瞬間、ニアは気味の悪さを自覚したからこそその場から離れようと足を踏み出し、同時に更なる違和感を理解する。

 




音がない…??






 石の辺り、否、ニアを含んだ周囲一帯からは、音という音の全てが消え失せていた。


 ニアがその事実に気が付いたのは他でもない、先ほどまで聞こえていた轟音が一切として息を潜めたからであった。

 静寂が取り巻くその空間の中でニアはどうしようもない不安にその心臓を加速させ、だがやがてその異常すらもを見てみぬふりをして先を急ぐ決断を下す。


 そうして再び止まってしまった足を踏み出すニアであったが、音がないからこそ、意識を吸い寄せるその石があるからこそニアは気付かない。


「離れて、ニアさん!!!」


 エリシアと戦っていたはずの厄災が、オリジナルの復活を阻止するべくエリシアとの戦いすらもを放棄して襲いかかってきていることに。


 焦る少女が、声を荒げながらその名を呼んでいることさえも。



















 




 数刻前の、ある地点にて——、


『ヲヲヲヲ!!』


 幾千もの攻防を得て尚、エリシアは厄災の一角であるパニブリカを圧倒していた。


 怨念の塊であるパニブリカに『死』という概念はなく、時間を追うに連れ劣勢へと至るのはエリシア——そのはずだった。


 全方位より襲いかかる無数の黒い影は、その全てが瞬きするよりも早く切り伏せられ、やがて塵と化していく。

 パニブリカへと向く赤い瞳は冷徹さだけを含んだ眼差しであり、本来であれば見ることで発動する、パニブリカの能力の中で最も厄介なその力は、何事も起こすことなく静寂を貫く。

 

 そうしてそのままエリシアは戦いを終わらせるべく、刀へとかけた腕に微かに力を込める。


 一閃。殺すことは不可能でもしばらく再生に時間を費やさなければいけないほどの重傷を与えることは可能だと。

 だからこそエリシアがその刀を引き抜き、かすかな金属音が生じたと同時に——、






っ!!これは…、でも一体何処から…?!






 全身を迸った不快感にエリシアはかすかに眉を顰め、同時に何かに気づいたように動作を中断すると、周囲へと意識を向ける。


 だがあまりに一瞬だったその不快感は位置を特定するにはあまりにも刹那であり、そうして何処か嫌な予感を感じながらも、エリシアは再びパニブリカへとその目を向ける。


『ヲヲヲ…ヲヲヲヲヲヲヲヲ!!』


 瞬間、先ほどまでエリシアへと狙いを定めていたパニブリカは唐突に咆哮を上げ、揺れる木々からは軋む音が鳴り響く。


 そうして同時にエリシアは理解する。

 上げられたその咆哮が、先ほどまで自身へと向けていた敵意の籠ったものではなく、何か、恐れるものを阻止しようとしているようであることを。






何を…いや、何かを恐れている…?…まさか






 思考と同時に何かに気づいたようにエリシアはかすかに目を見開き、息を呑む。

 勘違いであって欲しいとかすかに願いを抱いたエリシア。

 だが、それはパニブリカが起こした行動により間違いようのない最悪として決定される。


『ヲヲ…ヲヲァァァ!!!』

 

 エリシアと同じく先ほどの不快感を感じたパニブリカは、突如としてその方向を転換する。


 その眼中にはもはやエリシアという存在は映っておらず、何か具体的な対象へと向かい一直線に突き進んでいるかのようであった。


 そうして、だからこそエリシアもまた理解する。

 たった今極夜の中を訪れており、自らと真逆の方向にいる存在という二つの条件が重なる人物がもはや一人しかいないということに。


「っ、ニアさん…!」


『ヲヲヲヲァァァ!!』


 呟くエリシアの声は何処か焦っており、そうしてパニブリカとエリシアは図らずとも互いが互いに構い合っている余裕はないと理解する。

 

 そうして瞬間、2人の姿はその場から消滅する。


 遅れて巻き上がった風が2人が同じ地点へと狙いを定めて動き始めたことを理解させ、地面を離れる足音すらが遅れて聞こえ渡る。


 だが、動き出したパニブリカの動きは先ほどまでの様子ともかけ離れており、エリシアの予想通りまるで何かに恐れをなしているようだった。






急げ、私…!!






 それがなんなのかを知っているのか、否、知っているからこそエリシアもまた胸の内に浮かんだ焦りを隠せずに、パニブリカと横並びになる形でニアの元へと駆けて行く。


——パニブリカとの戦闘を中断する。


 それがこれから起こる惨劇の元凶となるとも知らずに。

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