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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
遠い世界
23/105

状況は最悪へと

「…先輩?」


 世界を貫いた光の柱はやがてアングレインの世界を瓦解させ、その先に立つエリシアとの再会を叶わせる。


 そうして現れたニアの存在に気がついたエリシアは先ほどまでの涼しい表情から一変、焦ったような表情へと変わり、


「ニアさん!やっと見つけた…!ひどい怪我…治療…いや、まずは撤退を…すみません。私が油断していたばかりに」


 数分しか離れていないにも関わらずエリシアとの再会は一生と思えるほどに遠く、だがそれはエリシアも同じだったようで、その焦りが声や仕草に顕著に現れていた。


 だがその時、ニアは慌てふためくエリシアの背後に老人が横たわっていることに気がついた。


 状況から見るにこの老人もまた幻龍師団の者であり、辺りは激しい戦いがあったのか半径数十メートルは薙ぎ払われ、木々の一つすらが消え失せていた。


 だが不思議とエリシアの服装には傷の一つも見られず、その服装はニアと別れた当時の綺麗なままだった。


「大丈夫ですよ…それより」


 一刻も早くこの場から離脱しようとするエリシアへ、ニアは最後まで語ることなく、代わりに目を持ってエリシアは言葉を伝える。


「…そうですね。あとは任せてください」


 そうして向けられたエリシアの瞳には容赦のない敵意だけが含まれていた。


 だがアングレインはそんな瞳すらもを気に留めないように小さくため息をつくと、


「アララルエ…あれだけ大見得切ったくせに君もか…」


 エリシアの足元に横たわる老人へと目を向けると、ルエアと同じく落胆した様子で冷たくそう吐き捨てた。


「気をつけて、先輩…。そいつは何か…何かわからないけど不気味な——」


「心配しないでください。私はあなたの先輩ですから」


 ニアがアングレインの不気味さを言葉で伝えようと口を開いたその瞬間、遮るように、代わりにエリシアは安心付けるような優しい笑みを浮かべながらそう口にする。


 そうしてニアへ一歩後ろへと下がるよう合図を出し、ニアがその合図通りに一歩、後方へと引き下がった時、エリシアは小さな呼吸と共に柄へとその手をかける。


「待ってくれよ、僕は危害を食わせてなんて…」


「喋っていいと言った覚えはないですよ」


 何かを伝えようとアングレインが口を開いた瞬間、突如としてその全身に刻まれた切り傷がアングレインの声を遮った。


「何が…」


 瞬きすらしていないにも関わらずしたのではないかと思えるほどの刹那の出来事は、ニアへ余儀のない驚愕を強制する。


 だがその時、意識の隅に小さな音を立てて刀を鞘へと戻すエリシアの姿が映ったことにより、その疑問は瞬時に解決される。


 そうして全身から流れる血に目を向けたアングレインは、だが表情の一つも変えることなく再びエリシアへとその目を向けると、


「君ほどの実力があるなら…あぁ、君はよほどニア君を気に——」


「2回目です。次はありません」


 瞬間、冷たく放たれたその声と同時に、アングレインの体からは再び鮮血が飛び散った。


 瞬きすらもを置き去りにするほどの刹那の間に刻まれた傷に、アングレインは遂に小さな悲鳴と共に地面へと膝をつく。


「…はぁ」


 エリシアの言葉通り、一言話すだけでも切られるのだとこの時点にてようやく理解したアングレインは、代わりに視界の先に手伸びたままのルエアへと指を指す。

 

 そうして釣られるように、だが一切の油断をせずにルエアの存在を理解したエリシアは、再びアングレインへとその目を向け、


「ニアさん、この人は…」


「幻龍師団の一人。だけど今は気を失ってるから安全…なはずです」


 ニアの全身に刻まれた傷がルエアのせいなのだと理解したエリシアはわずかに驚いたようにその瞳を見開き、だがその時アングレインは不敵に笑ってみせると、

 

「違うさ。よく見てみなよ」


「次はないと言いましたよね」


 3度目。エリシアは刀へと手を伸ばし、今度こそ容赦なく切るための動作へと移行する。


 伸ばされた腕は柄へとかけられ、そのまま一切の容赦を含むことなく引き抜かれ———


「っ…!!」


「なにが…、いえ、これはまさか…」


 瞬間、突如として全身の身の毛が弥立つほどの不快感がその場を取り巻いた。


 全身を駆け巡ったあまりの不快感にニアは無意識のうちに小さな悲鳴をこぼし、全身の鳥肌を浮き立たせる。

 

 瞬間、エリシアはハッとしたように再びルエアの元へとその目を向け、そしてその事実を理解する。


「“再誕”だよ」


 横たわるルエアのいたはずの場所。

 そこには既にルエアの姿は何処にもなく、代わりにそこには先ほどまでなかったはずの黒い泥のようなものだけが残されていた。


 それは何かを形作るようにゆっくりと、だが確実と作り上げられていき——

 そうしてアングレインが意味深に言葉を呟いた瞬間、エリシアは血相を変えたように突然ニアの手を掴むと、


「逃げましょう、ニアさん!」


「でもあいつは…、…いない…?」


 焦るエリシアへ、ニアはアングレインの存在を伝えるべくその目を向ける。

 だが、そこにいたはずのアングレインはいつの間にかその姿を消滅させ、今なお形作られて行く“泥”だけがその場に残された。


 瞬間、このままでは間に合わないと察したのか、エリシアは不意にニアの腕を引くと、


「…っ、ニアさん、こっちへ!」


「!?」


 “泥”から距離を取るように、エリシアは一目散に駆けていく。


 エリシアはそれがなんなのかを知っているように、だからこそ未だ状況を飲み込めないニアへとその目を向けると、

 

「簡潔に言います。ライハの失踪は幻龍師団の者達の仕業でした。そして消えたライハは今、パニブリカ…あの泥のようなものを生成するための材料として使われました」


「パニブリカ…?あれが…ライハ達なのか…?」


「一体どれほどの魂を注ぎ込んで…。いいですか、私たちの目標は今、調査ではなく、生きてここから出ることに変わりました」


「生きて…って、あいつはまだあんな場所に」


「見ないで!」


 過去覚えのない名前にニアは眉を顰め、だがエリシアの、今までに見たことのないほどの焦りようから事態がそれほどまでに深刻なのだと理解する。


 だが、だからこそ“パニブリカ”と呼ばれた存在からの距離を測るべく、背後を振り向こうとしたその瞬間、エリシアは声を荒げるようにしてその行動を阻止する。


 2人の背後に積み上がるそれは、既に4メートルはあるかというほどに巨大な、首のない人のようまでにその形を成していた。


——そうして“それ”は、動き始める。


「ニアさん、いいですか、何があっても絶対に奴を…っ!?」


「なんだ…!?」


 釘を刺すように、エリシアが再びパニブリカへと目をやることの危険性を伝えようとしたその瞬間、空気は微かに震え始める。


 気持ち悪さは再びニア達の元へと躊躇うことなく侵食し、そうして一瞬にしてその場を塗り替えた不快感にニアは微かに表情を歪める。

 瞬間、エリシアは何かに気付いたようにニアへとその目を向け、


「ニアさ…」


 振り向いたエリシアが何を伝えていたのか、それはニアにはわからなかった。

 だが、状況と焦りようから察するに、「何かを見るな」と伝えようとしていたのだろうと、それだけは理解できた。

 

 だがそれは叶わない。

 何故なら——、


『ヲヲヲヲ!!!!』


 瞬間、駆けるニア達の足元は巨大な何かの影により覆い隠され、同時に聞いたことのないほどの絶叫が辺り一体をもれなく揺らす。


 ニアがその事実に気づいた時、パニブリカは既に光るその目でニアを見つめ、その一挙手一投足すらもに明確な殺意を宿していた。


「っ…!!」


 だがその時エリシアは再びニアの手を掴むと、パニブリカからさらに距離を取るべく先ほど以上の加速を持って大地を駆け始める。だが、


「…ニアさん?」


 引かれたその手に力はなく、連鎖するようにニアの体もまた呆気なく地面へと倒れ込んでしまう。


 そうしてニアの身に起きたことを瞬間的に理解してしまったエリシアは目を見開き、同時に悔やむような声を漏らす。


 頭上へとパニブリカが迫り来ていたその瞬間、ニアはその視界の片隅に、パニブリカの一片を捉えてしまっていた。















「ここは…?」


 暗い森の中で、ニアの意識は覚醒した。


 駆けていたはずの景色は一変し、視界の中からはエリシアの姿も、先ほどまで目前へと迫っていたはずのパニブリカの姿も消え失せていた。


 辺りは無造作に倒された木々に囲まれており、何処か見覚えのあるその景色に、ニアはそこが先ほどまでいた極夜の何処かであることを理解する。


「またアングレインの力…?…いや、それよりも先輩は…」


 燃える木々の匂いは変わらずニアの鼻腔をつんざき、ニアへと明確な違和感を伝えるのは消えてしまったエリシアの存在だけとなっていた。


 瞬間的に脳裏を駆け巡ったのは、つい先ほども体験したアングレインの天啓である可能性だった。

 

 辺りへと目を向けるニアは、やがてその視界の何処にもアングレインの姿が見えないことによりその可能性にわずかな欺瞞を抱き、他の可能性がないかと焦る思考を回転させる。


 だがその時、鼓膜の片隅には何か、巨大な何かが落下してくるかのような音が聞こえ——、


「っ…!」


 考えるよりも先にニアは足を踏み出し、やがて落下してくるそれから離れるべく大地を駆け始める。


 だが、そうして一歩目が大地を踏みしめた瞬間、ニアの背後にそれは墜落する。

 全身に鳥肌を浮き立たせ、絶えることのない不快感を躊躇うことなく味わわせる存在。


 舞い上がった土埃はニアへとその存在を躊躇うことなく知らしめ、やがてあたりへと飛び散った“泥”によりそれがなんなのかをニアへと理解させる。


「…パニブリカ」


 そうしてやがて土埃が晴れた頃、見えたその景色の中には落下の衝撃からか無造作に飛び散った黒い泥だけが残されていた。


 原型すら取り留めていないその集合体にニアは逃げることすらを忘れるほどに呆気に取られ、だが次の瞬間、飛び散っていた泥は元の一つに戻るかのように小さく震え、そして動き始める。





先輩はこいつを見るなって言ってた。

でも、今起きてる事象から考えるに俺はこいつを見てしまったと考えて間違いはないはず…

だとすれば、こいつの力は自身と対象の転移…?距離はわからないが、少なくともその予想が正しければまだこの極夜の何処かに先輩がいるはず…

転移の力…俺と先輩を分担するためにそれを使ったんなら、今こいつを見たとしても下手な転移は出来ない…!!





 焦る思考は、焦っているからこそ的確な道筋を辿り、やがてそんな結論へと辿り着く。


 転移の力…エリシアの発言から発動条件が“パニブリカを見ること”であることは容易に想像でき、だからこそニアは再びエリシアと合流するべく、パニブリカが姿を取り戻す前にその場から離れるべく背を向ける。

 

 だが、その思考の中にはある決定的な矛盾が含まれていた。

 それがなんなのか、それをニアは理解しない。

——否、出来なかった。


 



考えろ、今俺がするべき最優先はこの場からの離脱。話はそれからだ…、なら!!





 目的を明確にしたからこそ、ニアはその場からの離脱を図るためにパニブリカの一挙手一投足へと意識を研ぎ澄ます。


 目的を明確にし、目の前のパニブリカへと警戒をしつつ、タイミングを図り駆け出そうと模索するニア。

 

 そうして時が来た時、ニアは遂に一歩を踏み出し、パニブリカから距離を取るために動き出す。だが、


「…?」


 踏み出したはずのニアの体は不思議と大地を踏みしめることなく地面へと倒れ込んでいた。


 パニブリカは何もしておらず、今もなお自身の体を再生するようにゆっくりと、だが着実に姿を取り戻していた。


 だが、だとすれば理由はなんなのか。

 不思議がったニアは遂に自身の足元へと目を向け、そして自身の身に起きているそれを理解する。


「…は?」


 目に映ったのは、膝から先が消え失せたニア自身の足の姿だった。

 赤い水滴が躊躇うことなく溢れ出るその姿に、ニアはこの時にしてようやく状況を理解し、理解したからこそ、


「あぁぁぁ!!!!」


 想像を優に絶する痛みはニアへ悲痛な叫びを余儀なくされ、片足を失ったニアは涙に目を濡らしながらも微かな思考を手放すことなく稼働させる。

 

 


何が、何で…何をされた…?痛い、痛い痛い痛い———




 痛みのあまり思考は思考とも呼べないほどに痛みに塗り替えられ、ニアは咄嗟に溢れ出る血を止めるためにその手を伸ばして行く。だが、


「…は」

 

 瞬間、伸ばした腕は消し飛ぶようにして消滅し、代わりにニアの顔には赤い血の跡が残される。


「っ…あぁぁ!!!!!」


 かろうじて働いていた思考は、腕が消え失せたことへの理解のための一瞬を境に完全にその思考を放棄し、やがてその脳内には“痛み”以外の全てが消え失せる。


「なにが…なんで…!!」


 痛みを誤魔化すために絶叫し、ニアは塗り染まった思考を無理矢理に働かせようと模索する。


 だが、パニブリカを前にその行動はなんの意味もなさない。


 瞬間、残っていたもう片方の足は突如として消滅し、ニアの思考を妨げるようにして続けて残ったもう片腕もが消滅する。

 

 赤い血溜まりの中に横たわるニアは浅い呼吸の中で、遠ざかって行く意識を無理矢理に掴むように霞んだ瞳で目の前へと目を向ける。

 

 そして、そんな状況だからこそやけに冷静に、ニアの思考は先ほどまで気付くことのできなかった矛盾の存在を理解する。




…ちがう、これは…今いるここは…


 



 ルエアとの戦闘によりニアの全身に刻まれたはずの傷の数々。

 

 それはいつの間にかニアの全身から姿をくらませており、それを以てニアはようやく、今自身がいるこの場所の正体へと辿り着く。だが、


「…ぁ」


 瞬間、ニアの視界はぐるりと回転しながら宙を舞っていく。

 

 全身の感覚は失われ、小さな声だけを残してその瞳からはだんだんと光が失われて行く。

 そうして舞った頭部は、地面へと接触する感覚だけを脳へと理解させる。


 そのニアの瞳に、光はなかった。


 ニアの命は、静かに終わりを告げた。

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