刀の名
「…制圧完了。サングリッド、何か手がかりはあったか?」
「一体…なにが…」
世界が目を覚ます頃、舞い上がった土埃の中心ではそんな声が聞こえていた。
辺りはそこで起きた戦いの余波を示すように地面が抉れ、軽い跡が残っている。
だがその中で、当たり前のように周囲へと警戒をしながら問いかける者——アンセルは、その身体に一切のかすり傷もを生じさせていなかった。
地面へと倒れ込むのは他でもない幻龍師団のメンバーであり、だが目前で起きたことを理解できないのか、その表情には少しどころではない困惑が紛れていた。
「まぁ待て、今探して…ん?」
「どうかしたか」
瓦礫まみれの足元を慎重に歩いていくサングリッドは、アンセルの言葉に短い返答を返しながら、やがてある地点へと辿り着く。
幻龍師団のアジト、その端に無造作に捨てられた一枚の紙。
それがなんて事のない紙であると偽装するための物なのか、だがサングリッドは妙に違和感を覚えたことにより、その紙は拾い上げられる。
「アンセル、これを見てみろ」
「それは…!ぐっ…!」
「黙っていろ。私は今君と話しているつもりはない」
瞬間、その内容を解読したサングリッドは驚愕の表情を浮かべ、やがて男の悲鳴をよそにアンセルもまたその内容へと目を向ける。
「これは…」
「あぁ、これはかなり有益な情報だぞ。こいつらが既に探した場所、そしてその中で特にめぼしい場所の記録だ」
「返せ…!」
押さえつけられてもなお紙を奪い返そうともがく男。
だが次の瞬間にサングリッドはそんな男へ憐れみを向けるように目を向けると、
「君たちの目的は分かっている。封印の発見と厄災の解放。だが残念だったな、阻止させてもらう。大人しく諦めるといい」
「なんでそれを…」
「思考がダダ漏れだぞ、君たちみたいな精神汚染をする者がいるのなら、私みたいに思考を読む事を得意とする者がいることも考慮した方がいい」
「くそ…!」
「終わりだ。アンセル、後処理は任せておけ」
瞬間、男は小さな声と共に足掻く事の無意味さを理解したのか、ついに抵抗をやめて地面へと倒れ込む。
そうしてサングリッドの言葉にアンセルは小さく頷き、
「では頼んだ。私は彼らが記した場の確認に行く」
駆け出すアンセルは、やがてサングリッド達から見えないほどまでに距離を離していく。
だがその様子は何処か焦っているようであり、だがその焦りは間違えようのないものであった。
まさか本当に…?
だとすれば尚更、あの男の目的は一体…?
思考する脳はやがてアンセル達へと幻龍師団の、そして厄災についての情報を渡した男を思い浮かべていた。
白い髪に茶色い目をした、灰色の薄汚れたマントを身につけた青年。
不意にアンセル達の元へと現れ、情報を渡したかと思えば音もなく消えたその者を、アンセルはその目を持ってしても捉えることが出来なかった。
だが、
いいや、どちらにせよまずは確認が先だ。
雑念を抱いていたことを自覚したアンセルは、その念を振り払うように更に速度を上げ、目的の場へと駆けていくのだった。
その日は月が綺麗なようだった。
「…の時、君はこれまでで1番の絶望に———だが———ってはいけない、きっと、———」
誰だろう。
聞き覚えのない声が聞こえていた。
何処か不鮮明なその声は、ニアが曖昧な意識の中で捉えようと意識しても、すり抜けるようにして遠ざかっていく。
その声は聞き覚えのない声であるにもかかわらず、何故か懐かしさを感じる声だった。
「必ず——————、——!!」
そうして声はやがて雑音としか捉えられないほどまでに小さなものとなっていき、やがて霧散する。
だがその声は何か伝えようとしているようにも、何かを説得しようとしているようにも聞こえた。
意識は声と離れていくと同時に比例するように現実へと浮上し、やがて意識は朦朧さを加速させていく。
——そしてニアは目を覚ました。
「…朝か」
目が覚めて初めに見えたのは見慣れた天井、そして外を歩く人々の微かな声だった。
「…何だっけ」
朧げな記憶のまま、ニアの1日が始まった。
ニアがエリシアの家に住むことになってから一月が過ぎた。
未だ灰庵は帰ってきておらず、だがエリシアが言うにはよくある事のようで、同時に灰庵が帰ってくるまでと出した条件は、未だ叶う事なく継続されていた。
そうして目覚めると同時に何かを忘れたような感覚にニアはわずかに首を傾げる。
その時、ニアの部屋の扉はゆっくりと音を立てて開き、
「あ、起きましたか。朝食は丁度今出来ましたので、顔を洗ってきてください」
かけられた声にニアはぼーっとする頭のまま視線を向ける。
そうして向けられた視線の先にはエリシアが立っていた。
整え、手入れされた髪はニアへ今さっき起きたわけではないことを理解させる。
身にはエプロンを巻き付けており、その手に握られたお玉は何故だかとても様になっていた。
「あ…先輩。おはようございます」
通常ならば動揺を隠せない事態なのだろう。
事実、この家に住むことになってから数日の間はニアもまたわずかな動揺を余儀なくされていた。
だがそれはあくまで見慣れない光景であったがためのものであり、一月も見て仕舞えば自然とニアの中には慣れが生まれ始めていた。
「はい。おはようございます。いよいよ今日、極夜へ出かける日ですね。私は下にいます、寝坊しないように気をつけてくださいね」
「…極夜?」
「そうですよ。一月前、ある程度実力が身に付いたら行こうって言ってたじゃないですか」
忘れていた様子はニアへ、エリシアはわずかにどこか残念そうな反応を示して見せる。
だがすぐに気を取り直すと、わざとらしく咳払いをして見せ、その反応を見てニアはエリシアの言っている極夜が何を意味するのかを理解する。
「…そうだった」
「では私は先に下で待ってますね。支度が出来次第下へいらしてください。また寝たりなんてしたら、また起こしにきますからね」
母のような口調でそう伝え、エリシアは小さな扉を閉めると下の階へと降りていく。
エリシアのいう通り、今日は一月前に伝えられていた「少し危険な場所」へと訪れる日。
だが始めは何よりの目標として掲げていたその予定も、この一月の間にあった紆余曲折によってニアの頭の中からはすっかり姿をくらませていた。
…一月…もうそんなに経ったのか
改めて過ぎた時間に驚きを覚えながらも、ニアは体を起こすと朝の支度をし始める。
立ち上がったその体格は一月と言う短い期間に目に見えるほどの変貌は遂げていないものの、腕や足についた筋肉がニアがこの一月、どれほど真摯に研鑽に努めていたのかを物語っていた。
そうして瞬く間に支度を終わらせたニアは何処か意識を他所に階段を降り、やがてエリシアの待つリビングへと足を運ぶ。
だがその時、鼻腔を突き抜けるいい匂いと共に並べられた豪勢な料理がその目に映り、
「ほんと、よく毎日こんなの作りますね」
「毎日の日課のようなものですよ。それよりも温かいうちに早く食べましょう」
朝ご飯としてはいかんせん多すぎる気もするその料理は、まだできたばかりのようで微かな湯気を放っていた。
そうして再び慣れた手つきで椅子へと腰掛けたニアとエリシアは互いに顔の前で手を合わせ、
「「いただきます」」
「…それで、先輩。改めて極夜って場所の説明を聞きたいんですけど」
食べ終わった皿を洗いながら、ニアは改めてエリシアへと訪れる予定のその場所の説明を求める。
大量だった料理は綺麗さっぱりに平らげられており、ニアとエリシアは満足感に身を包まれていた。
そうして問いかけるニアもまた、明確な意思があってエリシアへと問いかけていた。
それもそのはず、今まで“少し危険な場所”確か聞いていなかったが、当日のその認識のまま挑むのはいささか危ないと思ったからだった。
「そうですね、私としたことがすっかり忘れていました」
そうして未だ説明していなかったことを思い出したエリシアは小さく咳払いをし、続けてニアの隣に立つと、同じく皿を洗いながら説明をし始める。
「この前も軽く説明しましたが、それも踏まえて…。本日私たちが行くのは極夜という、セレスティアの中に存在する、こことは別の世界です。そこには昔、大きな王国がありました。ですがそこに住んでいた人たちはあることをきっかけに命を落としてしまったのです。その際、亡くなった方達の無念な思いは怨霊となり今なお彷徨映り亡霊となった。私たちはそれをライハと呼んでおり、それ故に危険と言われています。そして空は黒い煙に覆われ、陽が当たることはない。故に極夜と呼ばれています」
「なるほど…それで、俺たちの目的は?」
「はい。通常なら私たちの目的は亡霊であるライハの成仏、またはその手助けです。ですが今回は違います」
「じゃあ一体?」
「最近、極夜にて見つかるライハが異様に少ないと噂になっています。これまでも数多くの方が調査をするために極夜へ潜りましたが、発見されたのは一月で7体ほどと極端に減っています。そこで今回は、他の方達と同じくライハが減った原因の調査と、もし万一何かを企んでいる人を見つけた場合はその場の鎮圧、その2つです」
「鎮圧…戦うってことですよね。できるか少し心配です」
「大丈夫です。ニアさんはこの1ヶ月で見違えるほど強くなりました。並大抵の人になら負ける事はないと私が保証します。それに、もし勝てない場合は私がいます。一人で全て解決しようとする必要はないです」
安心させるためか、そう伝えるエリシアにニアはわずかに肩の荷が降りたような気がした。
そうしてわずかに安堵するニアを見たとき、エリシアは不意に何かを思い出したようにハッとした表情を浮かべると、
「そういえば、この前買った服ですが、着ないんですか?」
「服…あ、そうだった…すっかり忘れてました。すみません、少し待っててください」
エリシアの言葉が何を意味するのかを瞬時に理解したニアは、同じくハッとした表情を浮かべると急いだ様子で階段を駆け上がっていく。
「もう…そんな急がなくてもいいのに」
慌ただしい朝を迎えたニアへ微笑みかけるのも束の間、二階からはドタドタと言う音が聞こえてきた。
そうしてしばらくして静かになったとき、何者かが微かな足音と共に一回へと姿を現し、
「どうでしょうか、先輩」
何処か反応を伺うように腕を広げるニアは、一月前に買ったものと同じ、黒い服に灰色のズボン、そして黒い羽織を身につけた、今までよりもさらに大人というイメージを見に纏ったような装いだった。
「似合っていますよ。大切にしてくださいね?」
「もちろん」
ようやく着ることが出来たからか、落ち着きのない様子のニアへエリシアは小さくはにかんでみせる。
そうして改めて事前にするべきことはあらかた済んだのだと確認したエリシアは、再び、最後の忠告と言わんばかりにニアへとその目を向ける。
「では、これから極夜へと向かいますが、決して無茶はしないでくださいね」
「わかりました」
身を引き締めながら返事をするニア。
だが不意に先導していたエリシアは小屋を出るよりも早くその足を止めると、
「それと、ニアさん。少し目を瞑ってください」
「…?はい」
わずかな疑問を抱きながらも言われた通りニアは目を瞑った。
瞬間、意識の片隅では何やらガサガサという音が響き、だが疑問を抱く間も無く数秒後にはその音は静まり返る。
そして軽い足跡が数歩ニアの元へと歩みを進めたかと思ったその時、
「手を出してください」
「こうですか?」
言われた通り差し出されたニアの手のひらには、次の瞬間には重い何かがのしかかる感覚と、同時に微かな金属の音が聞こえた。
「これでよし…では、目を開けてください」
「…先輩…これって…!」
手のひらに乗せられていたのは、一本の刀だった。
全身をニアと同じく黒で装飾されたその刀は、鞘に収まってはいるもののその鞘すらもがよく手入れされており、それほどまでに大事にされてきた代物であることが一目で理解できた。
「新品ではなくてすみません。ニアさんの世界ではわかりませんが、この世界では剣はともかく、刀はあまり存在しておらず…、ですが、この刀が何を意味するかはニアさんも理解してくださっていると思います」
刀には所々に使い古された傷のようなものが存在していた。
柄に巻かれた布には何度も巻き直した跡があり、その跡から以前この刀を使っていた者が、どれほどの人生を共にしたのかが語らずとも理解できた。
「その刀の名は『桜月』。ニアさんはもう一ヶ月前の下を向いていたニアさんではありません。あなたはもう十分強く、そしてまだまだ成長の余地が大いにあります。これからは、どうかこの桜月と共に強くなってください」
「…ありがとう、先輩」
「はい、どういたしまして」
「桜月…俺の刀…!」
「ふふ…、では早速ですが、行きましょうか。今回その刀の出番があるかはわかりませんが、成長祝いはいつ渡してもいいですからね」
少し前から計画を立てていたのだろう。
ニアは刀を渡し終えたエリシアはどこか安堵したようにほっと一息をついた。
そうして続けて近くの椅子にかけられた羽織を手に持つと、扉のそばへと歩みを進め、ニアを待つかのように振り返る。
…よし、行こう
湧き出す喜びを噛み締めながらニアは桜形を腰へとかけ、エリシアと共に家を後にするのだった。




