共生
「では一緒に暮らしましょう」
「は?」
それは稽古を終え、小屋へと帰る途中の出来事。
予想だにしなかったその言葉に、ニアは返事とも呼べない声を漏らしていた。
「いや、いやいや、まだ知り合って3日ですよ?そんな人間を…それに小屋に住まわせて貰うよう先生に掛け合ってもらった方が先輩的にも得があるんじゃ…」
「一応言いますが、私はあなたと初めて会った時、傷付きながらも命をかけて戦っているのを見た時からやましいことをするような人ではないと信用しています。それと、先生は今出かけているのでいつ帰ってくるのかわかりません」
「だからって…」
「野宿の方が困ります」
遠慮の言葉を両断したエリシアは、尚も困ったような反応を示すニアへ深いため息をこぼす。
その様子には本当に疑いは見られず、エリシアのいう通り信用とニアがこの先も野宿のするということに対する絶対的な否定の意思だけがあった。
何故それほどまでに信用してくれているのかと僅かに疑問を抱くニアだったが、対するエリシアの譲る気のない姿勢についには折れ、
「…わかりました。ですがもし先生が帰ってきたら小屋に住まわせてもらうよう掛け合ってもらえますか?」
「いいですよ、ですが明日かはわかりませんからね」
ニアの言葉に安堵したのか、エリシアは再び止まっていたその歩みを進ませて行く。
「何故かすごく時間がかかってしまった気がしますが、とりあえずここで待っててください」
そうして小屋へと辿り着いた頃、エリシアはニアへとそう伝えると小屋の中へと姿をくらませる。
待つこと数分後、再び開かれた扉からはいつかの時と同じ可憐な服装を見に纏ったエリシアが姿を現した。
そしてニアへと目を向けると、続けてセレスティアの方向へと歩いて行く。
それが「ついてきて」という意思なのだと理解したニアもまた、未だ僅かに体に付きまとう抵抗感を払い除けるようにエリシアの元へと駆けて行く。
「さて、私の家はここから少しあるのでまた何か話しましょうか。何が知りたいですか?」
「…本当に行くんですか?」
「何が知りたいですか?」
もはやニアの言葉に聞く耳を持たないエリシアは、呟かれたその言葉をあえて無視し、その足を進めて行く。
言い終わるよりも先に食い気味に被せられたことにより僅かに気まずさが場を覆った。
だがその時、ニアはずっと気になっていたことを思い出した。
「じゃあ、今日会ったアンセルさんですけど、王…番…えーっと…」
「王番守人ですね、それがどうかしましたか?」
「そう、それです。それで疑問なんですけど、王番守人ってなんなんですか?」
おそらくはこの世界の人たちの中では聞き慣れた用語なのだろう。
だがニアにとってその常識は例外であり、街中を鎧を着て歩き回っていたにもかかわらず人々が気にも留めていなかった、その理由が気になったのだ。
そうしてニアが王番守人を知らないことを改めて理解したエリシアは、考えるように数秒間沈黙を貫く。そして、
「王番守人。民を守り国を守り命を守る人たち…簡単にいえばセレスティアという王都を守る番人の様なものです」
「なるほど…」
「その中でも今日私たちが出会ったアンセルさん。王番守人の方は皆実力のある方達ばかりですが、その中でもあの人は飛び抜けて実力があると言われています」
「やっぱりそうですよね。あの人だけ雰囲気が別というか、只者じゃない雰囲気だと思ったんです」
実物を目の前にしたからこそわかる雰囲気。
灰庵の時のような圧すらもが感じられないほどの次元の違いこそないが、それでもニアはアンセルから十分すぎるほどの圧を感じていた。
「そうです。最近では『無敗の守り手』とまで言われ、小さな子達の間でも知らぬものはいないほど有名です。ですがどんな力を持っているのか、知っている者は誰もおらず、ただ評価だけがついて回っているという怪しい点もあります。実力があるにしろないにしろ、機会があればぜひ一度手合わせしてみたいですね」
「なるほど、では機会があればこちらからも頼むよ」
呟かれたその言葉に返事を返したのは、ニアの声ではなかった。
「!?」
「…っ!?」
瞬間、エリシアはニアを引き連れて後方へと引き下がり、同時に臨戦態勢へと移行する。
だが、映ったその視界の先にいたのは敵ではなく、つい先ほどニアたちが噂をしていた人物その人だった。
「あー…その、すまない、驚かせたか?」
エリシア達の予想以上の反応にそこに立つ女…アンセルはどこか申し訳なさそうにしながら苦笑いを浮かべる。
その様子にエリシアもまた臨戦態勢を解き、ニアを守るために伸ばしていた腕を自らの元へと引き戻す。だが、
「…どうやって気配を消してここまで?」
「…?私は何もしてないが」
不思議そうに問いかけるエリシアへ、アンセルもまた意図がわからないというように首を傾げてみせる。
「王番守人って声が聞こえたから来てみたんだが…いない方がよかったか?」
「いえ、すみません。久しぶりの事だったのでつい咄嗟に…」
「ならよかった。それと、さっき私と今度手合わせをしてみたいと言っていたな?」
「えっと、そうですね。まさか聞かれていたとは思わず、すみません」
「いいんだ。それより君、名前は?」
「エリシアです」
「そうか、エリシア、君とんでもなく強いだろ。私には分かる。今まで私が手合わせをした者の中で、君が群を抜いて強い。私としても、是非そんな君と手合わせをして見たいんだが…あいにくここ数日立て込んでてな、すまないが、その機会は当分先になりそうだ」
瞬間、当然のように伝えられたその言葉に、エリシアは僅かに目を見開いた。
エリシアとの戦いを何処か楽しみにしているのか、小さく笑みを浮かべたアンセルは続けてその隣へと目を向け、
「それと、君だ」
声をかけられると思っていなかったのか、アンセルの言葉にニアは僅かに動揺しながらも辺りに人がいないことを確認する。そして、
「…俺?」
「そうだ、君の名前も聞かせてくれ」
「セルニア…ニアって呼んでください」
ニアの名前を聞いたアンセルは考え込むようにその顎へと手を添え、再び不思議そうにその首を傾げた。
「君、強いけど弱い…?どういうことだ?…いや、だが間違いない」
「…?」
その言葉の意味をニアは理解できなかった。
だがアンセルは自身の中で納得したのか、改めてニアへとその目を向けると、
「私は昔から常人には見えないものが見えてな。強い者には大きな光が、弱き者には小さな光の粒子が見える。エリシアには大きな光がくっきりと見える、それも今までに見たことがないほどの光が。それは紛れもない強者である証だ。…だが君はちがう。君にはエリシアと同等の大きな光と、もう一つ、小さな光の粒子が見える」
瞬間、ニアは理解してしまった。
アンセルの言う大きな光というものが、力を失う前の、ルイストを持っていた時の自身のことなのだと。
そして、だとするならば伝えられた小さな光は———
「…」
「…すまない。聞かれたくない事だったのであれば申し訳ないことをした。私の興味本位に君の意を傷つけてしまったのは完全な私の落ち度だ」
視線を落とし黙るニアへ、アンセルは図らずともニアにとって嫌なことを伝えてしまったのだと理解する。
だが、アンセルの言った言葉をニアもまた理解していた。
今のニアにかつて姫を守っていた際のニアとしての面影がないことを。
そして、その地点へと再び返り咲くことがどれほどまで無謀なことなのかということを。
「…では、私はここらへんで失礼させてもらう。気に障ったのならすまない。今は急用があって叶わないが、また今度顔を合わせた際は何か詫びさせて欲しい」
「いや、いいんだ。気にしないでくれ」
「そうか、わかった。では二人とも、達者でな」
立ち去って行くアンセルの背中を見つめながら、ニアはアンセルの言葉を思い返していた。
受け入れたつもりだった。ニアにとって力はもう過去のものであり、願いのために再び歩き始めることになんの躊躇いもなかった。
だが、見上げて仕舞えばそれは先が見えないほどの遙か上空の地点であり、理解していたとはいえ、他者から改めて伝えられて仕舞えばその絶望は再び心へと襲いかかる。
「下を向く暇があるのなら研鑽を重ねる」
「…?」
下を向くニアへ、エリシアはただ一言、そう伝えた。
顔を上げて見えたエリシアは空を見つめ、だがやがてニアへとその目を向けると、
「かつて私の師が言った言葉です。私にも遠い先の目標を見て今のニアさんのように気分が落ち込んだことがありました。今でもたまにあります。ですがそんな時私の師は必ず今の言葉を言うんです。なぜだかわからないですが、その言葉を聞くと落ち込んでる自分が馬鹿馬鹿しくなって前を向けるんです」
「先輩も?」
その言葉に、ニアはエリシアのような人でさえ、足元を見ることがあるのかと純粋に疑問に思ってしまった。
だが、それがなんらおかしいことではないのだと理解するのにそう時間は要さなかった。
そうして失礼なことを聞いたと慌てて取り消そうとするニアへ、エリシアは笑うことも怒ることもせず、代わりに真剣に向き合うように、その目を向けると、
「はい。私だって人間です。気持ちが沈むのは一度や二度ではありません。ですが、そんな時だからこそ下を向くのではなく、前を向き、強くなろうと必死になるんです」
「…!」
そんな言葉に、何故だかニアの心は少しだけ軽くなっだような気がした。
深い絶望を味わったエリシアが、今や手を届かないほどの目標にまで成長したのだ。
ならば、ニアにもまた下を向いている時間はなく、強くなるために必死に足掻かなければいけなかった。
下を向いている暇があれば研鑽を…か。
そうだ、まだまだ先は長い。かつての俺と同じ場所に辿り着ける確証もない。でも、だからって諦める理由にはならない。諦めちゃダメなんだ。
無理矢理に心を奮い立たせたニアは、挫折しかけていた自身の心の弱さを振り払うようにその目を前へと向ける。
そうしてそのまま一度、大きな深呼吸をしてみせると、
負けない。今度こそ絶対に勝つ
その目を握りしめ、再び止まってしまっていたその歩みを進ませるのだった。
そうしてしばらく歩いた時、
「着きました。ここです」
そう口にするエリシアの目前には大きな家が一つ、立ち聳えていた。
白く塗装された、大きな家。
当たり前のように立ち並んでいる家のせいでニアは忘れてしまっていたが、セレスティアに立ち並ぶ家はどれもが家というにはあまりにも大きなものばかりであった。
「でか…」
「そうですか?他の方の家と大差ないと思いますが」
「いえ、なんというか…知人と他人だと驚きのレベルが違うというか…」
「なるほど、そういうことでしたか。ですが今日からはニアさんの家でもあるのでどうぞ遠慮せずに入ってください」
驚くニアを他所にエリシアは慣れた手つきで扉を開けると、ニアを中へと誘う。
「なんか…本当に入っていいんですか?親御様は…」
「いませんよ、今ここに住んでいるのは私だけです。なのでどうぞお気になさらず」
「じゃあ…はい、お邪魔します…」
何処かよそよそしく歩みを進ませるニアはやがてその家の中への一歩を踏み入れ、同時に驚愕を余儀なくされる。
ひっろ…!!
踏み入れた先の部屋は、いつかの服屋と同じ原理なのか外から見たよりも更に広い内装となっていた。
丁寧に整理整頓された部屋の内装はそれだけでエリシアの性格を理解できるほどであり、その様子を見たエリシアはどこか面白そうに笑って見せる。
ごく普通の日常の一欠片。
だが、閉められた扉の中で、ニアの新たな生活は始まった。
ニアとエリシアが家へとたどり着くよりもほんの少し前。
道を歩くアンセルは、先ほど見た光景を思い出し、どこか楽しげに笑みを浮かべていた。
「アンセル、25秒の遅刻だぞ。…なんだ、何かいいことでもあったかのような顔だな」
セレスティアの複雑な角をいくつも曲がった先、その場所にその者たちはいた。
肩に目印であるスカーフを飾った、アンセルと同じ王番守人の者達。
その全員が到着したアンセルへと目を向け、だがその中から一人が冷たい声を放ちながらアンセルの元へと歩み寄っていた。
「いいや、何もないさ。ただ不思議な子達と出会っただけだ。それよりサングリッド、今回の目標は?」
サングリッドと呼ばれた者はつけたメガネを軽く掛け直し、懐から地図を持ち出すとアンセルの前へと差し出した。
その地図にはセレスティア周辺の図が描かれており、その中心部には小さな赤いばつ印が記されていた。
「幻龍師団。名前は一丁前だが中身は大したことはない。最近極夜で不穏な動きを見せている者がいるのは知っているな?その者がここに属しているという情報を耳にした。拠点は既に突き止めてある。今回はその確認と、このグループの殲滅だ」
「了解。それと、例の封印の場所は突き止められたのか?」
「いいや、まだだ。私達が捜査を始めてから43日と16時間。一度たりとも手を抜いたことはないが、未だ見つかったという報告はない」
よろこぶ情報ではない。
だがその言葉に、アンセルはどこか安心したようにほっと一息つく。
「なら安心だ。君がまだ見つけられていないと言うことは、奴らもまだ見つけられていないと言うことだ。もし見つけているのなら奴らが封印を解かない理由がないからな」
「そうだな。だが本当にそんなものあるのか?大体あの男が嘘をついている可能性もある。私はとてもじゃないが信じられないな。数千年前、この世界から突如消えた厄災が極夜に封印されてるだなんて」
「——『永遠の厄災』アルクヘラン。別名『無限の悪夢』。嘘でも真でも、もし本当に幻龍師団の者達があの厄災の封印を解こうと企んでいる可能性があるなら、我々はこの国の守り手として、黙って見ているわけにもいかない」
アンセルの言葉に、周囲に並ぶ王番守人達も賛同の意を返すように頷いてみせる。
そうしてアンセルは再び差し出された地図へと目を移し、
「では諸君。改めて、目標はここより南に2キロ先、極夜にて封印を解こうと目論んでいると思われる者達の制圧と殲滅。では———行くぞ」
「「了!!」」
瞬間、動き始めたアンセルの背を王番守人達が後を追うようにして動き始める。
目標は地図に記された地点。
だが、そうして駆け出すアンセルの頭の中には不意に先ほどの光景が蘇っていた。
不思議な者達だったな
アンセルの目に映るものは常人には決して見える事のない情報。
だが、だからこそアンセルは密かに先ほどの2人のことを見るや否や、避けようのないほどの“興味”を抱いていた。
何故なら——
年不相応の実力を持つ少女と、弱く、そして同時に強くある少年…か
心の中に呟かれたその言葉にさえ、アンセルは信じられないものを思い出したかのように小さく笑みをこぼしてしまう。
何故ならアンセルにとって二つの光が見えることなど今という瞬間まで一度たりとも存在せず、アンセル自身もそんなことが起こり得るとは微塵も思っていなかったからだ。
そしてそれは、通常であれば当然の摂理であった。
何故なら、アンセルの目に映るのは過去でも未来でもない、“今の当人の実力”を示すものだったから。
そうして改めて自身がこれから成すことではない、他のことを考えてしまっていたことに気づいたアンセルは不意に再び小さく笑い、
…今度会った時は、菓子折りでも届けてみようか
再び会うその時を、待ち遠しく思うのだった。




