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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
遠い世界
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手に入れ、難題

「これが…刀…!」


 ニアは自身の手の上に乗せられた物体を見ながら、感動を噛み締めるようにそんな言葉を呟いていた。


 乗せられているのは木で出来た刀であり、僅かな重みがニアへその存在を更に知らしめていた。


「木刀ですよ、まだ真剣を渡すには早いです」


 ふるふると震えながら木刀を見つめるニアへ、エリシアは僅かに失笑を浮かべ、何処か嬉しそうな表情を浮かべながらそう伝える。


 だが、ニアのその過剰なまでの反応の理由も、エリシアはよくわかっていた。

 この数日間、ニアはいくら力をつけようともがいたとしても刀すら握ることが出来ない日常を過ごしていた。


 そんな体がようやく治り、刀を握ることが叶ったのだ。それがニアにとってどれほどの価値があったのかはエリシアにとっても語るまでもないことだった。


「では早速ですがまずは簡単な構えから学んでいきましょう」


「はい!」


 そうして瞬く間にいつもの稽古着へと着替えたエリシアは、ニアへと言葉をかけると早速指導を始めようとする。


「まずは手本です。この構えをしてみてください」


 エリシアは足を一歩前へと出し、握った木刀を体の前へと出すと構えを取って見せる。


 だがその構えは何の特色もないほどにシンプルな構えであり、刀に対してほとんど無知なニアであってもそれが何の変哲もない構えなのだと理解できた。


「そのくらいならすぐ出来ますよ」


 そうしてエリシアの真似をするように一歩前へと足を進ませたニアは、同じように刀を構えると余裕綽々と同じ体勢をとって見せる。


 だがエリシアはそんなニアの構えを見るや否や数は歩みを進ませると、その肩を軽くこづいてみせる。


「はい」


「っと…あれ…?」


 瞬間、軽くこずいただけにもかかわらずその体はいとも簡単に傾き、やがて地面へと倒れ込んだ。


 その表情には理解ができていないためか疑問符が浮かんでおり、立ち上がると今度こそと言わんばかりに再び構えてみせる。だが、


「はい」


「なんでだ…!」


 どれほど足に力を込めてその場に立とうと、その体勢は続けて加えられたエリシアのこずきによって呆気なく撃沈する。


 そうしてエリシアは幾度繰り返そうと一向に変化しないニアに隠しきれないため息をこぼし、


「はぁ…そうですか…」


「なんでだ…」


 ニアは性懲りも無く立ち上がると、自らの問題点を見つけるべく先ほどと同様の構えをとって見せる。


「…仕方ないですね」


 だがその時、それまで達観していたエリシアはこのまま続けていても埒が開かないと考えたのかついに構えを取るニアのそばへと歩み寄り、構える手の位置等を矯正し始める。


「脇、もっと引いてください。足はそのまま。刀の位置をもっと低く、真っ直ぐに持つ」


 その指摘は的確であり、同時にニアは自身の構えにそれほどまでに問題点があったのかと僅かに申し訳のない気持ちになる。


 そうして一通りの矯正が終えた頃、数歩離れてニアの構えが変でないことを確認したエリシアは再びその側へと歩み寄り、そして先ほど同様その体をこづいてみせた。——だが、


「あれ」


「はい、これがまず第一歩です。何が変わったのかご自分でわかりますか?」


 こずかれた体に訪れた結果は先ほどとはまるで違い、その体は崩れるどころかほとんど揺れることなく、まるで大地に根が張られたかのようにその場に立っていた。


 大きな矯正をしていないにもかかわらず訪れた大きな変化にニアはどういうわけかとその頭を捻り、同時にエリシアは何が変わったのかと考えるようニアへと促す。





構え?それしかないよな…でもそれでここまで変わるものなのか?

もし違うのだとすれば、他に何かが変わった…?





 構えを取りながらニアはそう思考し、同時に自身の今とっている構えを俯瞰し、何が変わったのかを模索する。だが、





ーーいや、構え以外何も変えてない…はず




 

 いくら考えようと先ほどとの違いはエリシアの矯正一つであり、それ以外の変化が見つからないことからニアはそれを一時的な結論としてエリシアへと伝える。


「構えを矯正してもらったから?」


「…なるほど、わかりました。では力を抜き、軽くその場で飛んでみてください。できたら再び構えを」


 瞬間、ニアは全身から脱力し、言われた通りにその場で飛ぶと再び先ほどと構えをとってみせる。


「よし、こうだな」


 感覚は残っていた。再び取られた構えは先ほどの構えとほとんど同一であり、ニアの予想通りであれば先ほどと同じくその体は揺れることなく大地へと立っているだろう。


 だが、訪れた結果はそんな予想とは大それたものだった。


「…んん??」


「真似するだけで上達するほど簡単ではありませんよ」


 情けない声を漏らすのは他でもないニアであり、先ほどと同一の構えだと自信満々に取っていたその構えは、次の瞬間にはその体ごと地面へと押し倒されてしまっていた。


 いよいよ先ほどと何が違うのかわからなくなったニアは小さな困惑と共にその思考をショートさせてしまう。


「先ほども言った通り、まずは一歩目です。どうすれば体に力を加えられた際に体勢が崩れないようになるか、それを考えてみてください」


「わ、わかりました」


「では理解できたら呼んでください。私は近くでのんびりとしてますので」


 ニアへとそう伝えたエリシアはそのまま近くの木の影の元へと腰を下ろし、静かに目を瞑った。





なにが違う…?何がダメなんだ…?

教えられた構えは出来てた…はず。だとすれば構えは関係ない…?





 思考するニアはその可能性を一つ一つ潰して行くように様々な構えを試して行く。

 

 だが、思いつく限りの構えをいくら繰り返そうとも先ほどのエリシアに教わった時のような安定感が訪れることはなかった。





…いや、構えは関係ない。きっと先輩はさっきの構えを通して俺に何かをさせたんだ。

何か…、何だ…それさえわかれば…





 エリシアが休憩を始めてから二時間が経とうとした頃、ニアはやがてそんな結論へと辿り着いた。

 

 既にニアの頭の中に試していない可能性はなく、その思考の片隅には無駄に終わった構えや動きの塊だけが残っていた。


 そうしてニアが次に考えたのは、数時間前のあの瞬間、エリシアが『何をさせたのか』ということだった。




思い出せ、あの時俺は何をした。何をさせられた??

先輩が姿勢を正してくれて、刀の位置を変えた。力を込めずとも構えられる様にして———!!





 瞬間、何かを思いついたようにニアは大きく息を吸い、同時にその場に立って見せる。


 その構えは先ほどまで試していた形とも、エリシアが教えた形とも違う、別の構え。


 だがこの瞬間、ニアはなぜか確信を持っていた。

 




数時間前のあの瞬間、俺は何をしたのかばかりをずっと考えてた。

でもきっと違う。答えはその真逆。

何もしていないことであの構えが完成していたのだとすれば———、





「先輩。いいですか」


 そうしてニアは変わらず近くの木の元で休息を取るエリシアへと声をかけた。


 瞬間、声をかけられたエリシアは数時間ぶりにその瞳を開き、だがすっかり疲れが溜まっていたのか、開いたその瞳は数秒の間ぼーっと虚空を見つめていた。

 

 だが数秒後、改めて意識を覚醒させたエリシアは続けてその視界の端で刀を握るニアの存在を理解する。


「おはようございます…すみません、すっかり寝てしまって…それで、わかりましたか…?」


 眠気の振り払えていない声でそう伝えるエリシアは続けてその場で伸びをし、改めてニアへとその目を向けると、


「うーん…もう少し気楽に、まだ力が入りすぎてます」


「気楽…」


 瞬く間に訂正の箇所を伝えるエリシアは、目覚めたばかりにもかかわらずニアが伝えようとしていたことに自力で辿り着いたことを理解していた。


 そうしてニアの足へと指を指したエリシアはそのままゆっくりと立ち上がると、


「初めは難しいかもしれませんけど、今こうして立っているのと同じように、自然に出来るようになれば完璧です」


 よそよそと、エリシアは自身の隣に立てかけられた木刀を手に拾うとその場で再び軽く構え、それをニアへと見せてみせた。


 数時間前のニアならきっと、この光景を見ても何も思わなかったのだろう。

 だが成そうとしていることの難しさを理解した今、ニアは何気なくエリシアの成しているその構えに僅かに息を呑んでいた。





自然…地面に立つように、意識せず…





「…」


 瞬間、ニアは再び大きく深呼吸を繰り返し、同時にその瞳を閉ざすとその心を鎮める。


 数回の深呼吸ののち、再び刀を構えたニアはエリシアの言った通りその心の中を可能な限り空にし、少しずつ全身の力を抜いて行く。だが、







「だめだ…」


「そうすぐに身につけては私の顔がないです」


 地面へと横たわるニアは額に僅かな汗をにじませながらそう口にし、同時にエリシアは当たり前と言わんばかりにそんな言葉を返してみせていた。


 時は更に過ぎて30分後、ニアは一度つかんだ感触を忘れることなく次へと生かそうと奮闘し、同時に34回の失敗を得て地面へと倒れ込んでいた。


 だがその全てが一切の変化をもたらさなかったわけではなかった。

 失敗の中でニアは一瞬の間ではあるもののその意識を無にするコツを掴むことができていた。

 だがそれは幾度となく繰り返された無理矢理な集中のためか脳の疲労を巻き起こし、遂にその体には軽い眩暈が渦巻いていた。

 

「そういえば、先輩はどのくらいで出来るようになったんですか?」


 突然の問いに隣に座っていたエリシアは僅かな驚きの表情を浮かべる。


 だが同時にいつかは聞かれると思っていたのか、次の瞬間には迷うそぶりすらなくニアへとその目を向けると、


「3日です。でも私は他の人とは違ってちょっとしんどい方法だったので、普通は1週間で出来ればいい方だと思います」


「3日…先輩でもそんなにかかったのか」


「ゼロを1にするまでに3日しかかからないと考えれば安いものですよ」


「3日か…」


 3日という期間が早いのかどうかはニアにはわからなかった。


 ただ、今や最も身近な目標となったエリシアですらそれだけの日数がかかったのなら、自身が習得するまでには一体どれほどの日数を要するのかと僅かな不安に駆られていたのだ。


 そうして謙遜のためか僅かに笑みを浮かべたエリシアは思い出したようにハッとした表情を浮かべると、


「そうだ。もしある程度身に付いたら、前に言っていた少し危険な場所にでも行きましょうか。技術を身につけるには実践が何よりの近道ですから」


「そうですね、ある程度実力がついた時はお願いします。でも俺が無事に帰ってこられるかは少し心配です」


「なにも全部ニアさん一人でどうにかしろって言っているわけではありません。もしニアさんに危険が及ばそうになった際は必ず私が助けますので安心してください」


 瞬間、ニアは向けられた笑顔に僅かにその目を見開いていた。


 辺りは既に日の光が姿をくらませており、目の前のエリシアをいつも以上に飾り立てるものなど何もなかった。


 ただその瞬間、自信満々に笑って見せるエリシアへ、ニアは僅かに心が軽くなったような気がした。


「さて、では日も暮れてきましたし、今日はこの辺りでおしまいにしましょうか」


 そうして辺りへと目を向けたエリシアは木刀を近くの木の元へと立てかけると、ニアの動きを待つようにその目を向ける。


「もうこんな時間か…」


 辺りの木々の隙間から漏れ出す微かな光は、ニアのこの日1日の努力を讃えているようであった。

 そうして遅れて立ち上がったニアは同じように近くの木の元へと木刀を立てかける。


「明日も付き合ってあげます、少しずつ身につけていきましょう。急ぎ過ぎてもかえって逆効果になってしまいます、焦らず着実に、ですよ」


「…はい!」


 そうして歩き始めたエリシアの後を追うニアは、やがて背中を押す微かな風に体を涼めながら、共に小屋へとその足を向かわせるのだった。


 




 


 小屋へ戻る道中、今度はエリシアがニアへと前々から気になっていたと言わんばかりに疑問を投げかけた。


「そういえばニアさんっていつも何処で寝てるんですか?」


「住む場所もないし、小屋の近くで適当に野宿してますよ」


「え」


 当たり前と言わんばかりに返されたニアの言葉にエリシアは短く絶句し、同時にその歩みはその地点にて停止する。


 だがニアの言葉もまた嘘ではなかった。


 元々護衛という名目の元さまざまな場所へと駆り出されていたニアの野宿のスキルはもはや一級品と言っても遜色のないほどまでに磨かれていた。


 幸いなことに少し歩いた場所に人気のない川があり、そこで体も洗えていた。

 

 だがエリシアはそんなことお構いなしと石のように固まったため体を動かすと、聞き間違いの可能性を信じるように恐る恐るその口を開き、再び問いかける。


「…どこって?」


「野宿、適当な場所で」


「…はぁ…」


 そうして改めて聞き間違いではなかったことを確認したエリシアは躊躇うことなく大きなため息を一つついてみせた。


 そうしてそのまま躊躇うことなくニアへと指を指すと、


「わかりました。では今日から私と一緒の家で暮らしましょう」


「…は?」


 突然伝えられたその言葉に、ニアは間の抜けた声を漏らすのだった。

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