王番守人
「待て」
瞬間、何処からか聞こえてきたそんな声にその場にいた全員は動きを止める。
その声はたった一言であるにも関わらずその場の主導権の全てを奪い取るかのように空気を塗り替えた。
そしてそれは男に留まらず、エリシアもまた迎え撃つべく構えていたその体勢を解くと、ひらりと身を翻すことで男の一撃を難なく回避する。
その声の主は小さな足音と共にニア達の方へと接近し、その周囲に立つもの達は流れるようにニア達の元へと辿り着くための道を開く。
そうしてニア達の前に姿を現したのは、
…この人、只者じゃない…!!
白い鎧に身を包んだ兵士のような人物。
だがその佇まいは並の兵士とは訳が違い、状況を理解するべく向けられた瞳はニアとエリシアを見まわしたのちに、隣に立つ男を捉えたことで停止する。
瞬間、先ほどまで強気だった男は突然のその態度を変え、人混みを押し除けるようにして逃げて行く。
追いかけようと、微かに足を向けるエリシアだったが人混みが人混みであったこと、そして鎧に身を包む女性の存在から追跡を断念することを余儀なくされる。
だが女性は男が去ったことを理解すると、男へと目もくれることなくニア達の元へと歩みを寄せ、
「君たち、先ほどのあの男に何かされたか?すまないな、奴はこの辺りでも有名な賊なんだ」
そのため息混じりの口調から察するに、女は先ほどの男とは多少なりとも因縁があるのだろう。
だがそれは同時にニア達へ先ほどの行動が、男の日常的な行動なのだと理解させる。
「いえ、何かされたわけではなく、私たちがぶつかってしまっただけです」
「そうか、災難だったな。やつは気に入らない者がいるとすぐに手を出そうとする頭の足りないやつなんだ。今度またやつに絡まれたら迷わず私たちを呼ぶといい」
予想通りすぎる言葉にニアは湧いてくる嘲笑を必死に隠し、事態が解決したことを理解したからか何処かへと去ろうと背を向ける。
だがその時、女性は思い出したようにその動きをぴたりと止めると、続けてニア達の方へと振り返る。
「見ない顔だからな、念の為。私の名はアンセル・ルスクベルンだ。気軽にアンセルとでも呼んでくれ。この王都セレスティアにて王番守人をしている。もし今度何かあった際、私が近くにいれば手を貸してやれるのだが、もしいなかった場合私の仲間を頼るといい。目印はこの肩につけてある王都セレスティアの紋だ。みな頼り甲斐のやつ良い奴らだ」
肩につけた目印は、女…アンセルの言った王番守人という肩書きの者なのだろう。
そうして辺りへと目を向けたアンセルの視線を追うようにニアもまた周囲へと目を向ける。
みると、先ほどの騒ぎを聞きつけたのかニア達の周りには幾人かのアンセルと同じく肩にスカーフをつけた者達が立っていた。
「長話をしてしまったな、私はそろそろ失礼させてもらう。いい加減、私たちを見ている目線が不愉快になってきたころだしな」
アンセルは男の逃げて行った方向を見つめながら、不意にそう呟いた。
不思議に思ったニアがアンセルの視線を辿り、その先を見てみると先ほどの男が建物の角から顔だけを出し、こちらを覗いているのが見えた。
「はぁ…君たちは行くといい。あいつは今までも幾度となく私たちが捕まえているんだが懲りずに何度も同じことを繰り返す。そろそろ私も我慢の限界だからな、今度は本当に二度と同じことが出来ないくらいトラウマを植え付けてやる」
時間と共に湧いてくる苛立ちを隠すように、アンセルは「ふふ…」と恐ろしい笑みを浮かべ、未だ自らの存在がバレないることに気が付いていないのか、こちらを見つめ続ける男の元へと足を踏み出して行く。
そうしてアンセルが去り、一件が解決した頃、
「…とんだ災難でしたね。ですがあの人のおかげで何とか怪我人が出ずに済みました」
何処か安心したようにそう呟くエリシアだったが、先ほどの目つきから察するに口にした怪我人というのは、十中八九男の事なのだろう。
何気なくそう呟くエリシアにニアはほんの少しだけ怖いという感情を募らせ、だがそれよりも守られてしまった自分自身を恥じる気持ちに駆られてしまう。
だがニアの表情からその心情を理解したエリシアは、これ以上思い詰めないようにかわざとらしく笑って見せると、
「貸し一つ、ですね。余計なお世話だったかもしれませんが、あなたはようやく元気になったんですから何かあったら私が嫌だったんです」
「ありがとう、先輩。この借りはいつか返します。それと、俺なら大丈夫ですよ、ちゃんと自分の身は自分で守れます」
「ならよかったです、では次私に何かあった際はニアさんが助けてくれるって事ですね?」
「それは…まぁ、俺が助けられることなら。でも先輩が俺に助けを求めるところなんて想像出来ないです」
「そんな卑下しないでください。もし何かあれば遠慮せず頼らせてもらいますからね」
エリシアの意図を理解したのか、同じく笑って見せたニアへエリシアは小さく微笑みかける。
そうして改めて地図を持ち出すと、これから向かう地点を確認し、
「私たちの目的地はこの先にあります。予定より時間がかかってしまいましたが、その分残った時間を有意義に使いましょう」
何処か足早に歩き始めながらエリシアはそう口にし、置いていかれないようニアもまたその後を追って行く。
そうしてしばらく歩いた頃、2人の目前にはある建物が聳えていた。
「先輩、ここは?」
「先ほど問題に正解したのでプレゼントです。好きな服を選んでください」
2人は服屋の前に立っていた。
ガラスから見えた建物の中には男物から女物まで様々な服が揃えられており、その間にも入り口からは忙しなく人々が出入りしていた。
そうしてエリシアに連れられるままに中へと足を踏み入れたニアは、その中の光景に隠しきれない驚きを覚える。
「これは…」
中へ入った時、ニアの目前に広がっていたのは膨大な空間だった。
外から見た時はごく普通の一軒家ほどの大きさだったその内情は、どういうわけか中へと踏み入った瞬間に軽くその5倍程へと拡張されていた。
「驚きましたか?ここには特殊なミラディアが使われていて、外から見えた景色は今見えている景色のごく僅かなんです」
その間にもニアは見慣れない服装の数々に視線を絶え間なく右往左往させ、落ち着きのない様子を見せていた。
「…本当にいいんですか?俺が好きなの選んで」
「はい。これはプレゼントですから、遠慮せず欲しいものを持ってきてください」
念の為と確認をするニアへ、エリシアは再び同じ言葉を伝えてみせる。
その言葉にニアは喜びを露わにし、同時に理解する。
クイズに正解したからこそエリシアはニアをここへと連れてきたと言っていたが、クイズを出すよりも早く念入りにここの地点を確認していた。
それはつまりニアがクイズに正解するかは関係なく、初めからここへと連れてくるつもりだったということを意味していた。
そんなエリシアの不器用な優しさにニアは思わず小さな笑みをこぼし、だからこそ遠慮しては失礼かと欲しいものを見つけるべくその足を再び進めて行く。
「先輩、これでいいですか?」
数分後、戻ってきたニアの手にはいくつかの服がかけられていた。
黒いシンプルな服に灰色のズボン。そしてエリシアは灰庵と同じ羽織り。
見るからにエリシアや灰庵をリスペクトしているその服の選択にエリシアは湧いてくる喜びを隠しきれないでいた。
そうして続けてニアへと手を伸ばすと、
「わかりました。ではこちらへ」
服を受け取ったエリシアは上機嫌な笑みのまま足を進めていき、そうしてやがて2人は店を後にした。
店から出てきた時、ニアの手には大きく膨れ上がった袋がかけられていた。
「…もしかして、このために連れてきてくれたんですか?」
既に日は暮れ、小麦色の空が2人の1日の終わりを告げていた。
それは同時にエリシアの立てていた計画が終わりを迎えたことを意味しており、だからこそニアは服屋へと足を踏み入れてからずっと考えていた言葉を問いかける。
「バレてましたか、後輩なんて長いこといなかったですから、少し気分が舞い上がってしまいました。迷惑でしたか?」
「とんでもない、むしろ本当に俺なんかのためにありがとうございますって感謝したいくらいですよ」
瞬間、何処か不安げに見つめていたエリシアは安堵したように小さく息を吐き、僅かに口元を緩めると、ニアの手を引き歩き始める。
「先輩?」
「ならよかったです、安心しました」
突然の行動に不思議がるニアだったが、エリシアはニアへと顔を向けることなく、代わりに声だけを以て返事を返す。
だがその声は何処か明るく、喜んでいるようだった。
だからこそニアもまたそんなエリシアに小さく笑みを浮かべてみせる。
「では、目的も果たしたことですしそろそろ帰りましょうか」
「ですね、俺もはやくさっきの服を着て稽古したくてうずうずしてるんです」
「稽古の時に着るつもりですか?せっかくなら何か…そうだ、ニアさんがある程度実力を身につけたら一緒に行きたい場所があるんです。その時に着ていきましょう」
「行きたい場所?」
「と言っても、そんな明るい雰囲気の場所ではないです。むしろ逆の危険な場所。だからこそ、あの服を真面目な時に着る服として置いておいて欲しいんです」
「わかりました。じゃあはやくこの服を着られるように力をつけないと」
セレスティアを抜け、小屋へと戻る最中、2人はそんな小さな約束を交わした。
エリシアのいう通り、ニアはまだこの世界においても強者の域とは程遠い地点に立っている。
どれほど努力すればニアの望む地点へと上り詰められるのかも定かではない。
ただ、そんな不鮮明で不明瞭な状態だからこそ、ニアは歩み出した一歩を止めることなく、さらに先へと進む決心をするのだった。




