セレスティアへ
「そういえば、以前はお伝えし忘れてましたが、門の前にあるこの橋は”真月大橋”と言って、セレスティアが誇る橋です」
「真月大橋…確かに言われてみれば橋か…」
腕を治しにエリシアと共に出かけた現在。
歩くニアの足元には巨大な岩がいくつも連なっており、その先にはセレスティアの入り口である門が立ち聳えていた。
セレスティアへと訪れる際は決まって巨真岩壁へと意識を吸い寄せられてしまっていたがために、ニアはあまり足元へと意識をやることはなかった。
だが言われてみれば確かに橋に見えるそれに、ニアは静かに何処か今更な感動を味わっていた。
「さて、ではまずは腕を治してしまいましょうか。もし何か嫌なことがあっても王都を回っているうちにきっと忘れてしまうはずです」
「そうですね、じゃあ先に行きましょうか」
おしゃれな子に連れられるは砂埃の跡がついた服を着た冴えない男…なんだかほんとに横にいていいのか不安になってきた。
ふと自らの服装を見たニアは、不意にそんな不安を抱いてしまう。
歩くニアの装いは先ほどの稽古のせいもあってか微かに土埃を身に纏っており、気づいた瞬間に次々と払い落としていく。
だが、いくら払い落とそうとニアの身に清潔感はやってこなかった。
何故なら隣を歩くエリシアの服装が、清廉潔白を体現したかのような服装だったがために、ニアの汚れがいっそう際立ってしまっていたからだ。
「…よし、こんな感じで回れば暗くなるまでには…うん、これでよし」
だが対するエリシアはそんなことを一切気にしていないのか、手に持った地図を見ながら小さく何かを呟いていた。
そうして2人が門の足元へと辿り着いた頃、エリシアは考えが纏まったのか「よし」と小さな言葉を残して地図を懐にしまう。
そうしてようやく隣を歩くニアの、何処か気まずそうな表情に気がついた。
「…?どうしたんですか?」
「…いや、なんもないですよ、行きましょう」
楽しそうなエリシアの気分を害さないためにニアはあえて何も言わないという判断を下したニアは、今尚気になってしまう服の汚れから目を背けるように前へと意識を向ける。
そうして2人は、最優先事項であるニアの腕を治すためにナースゴートへと向かうのだった。
「着きましたね。それじゃあ入りましょうか」
「…あぁ」
目の前に広がるナースゴートに、ニアは何処か不安げに息を呑んでいた。
その理由は至って単純、きっと今日もまだ治らないだろうと理解していたからだった。
そうそう治る怪我ではないということを自覚しつつも、改めて未だにスタート地点から動けていないことを理解したからこそ、その瞳は踏み入ることを微かにためらっているように見えた。
「大丈夫。私がついています」
そうしてニアの意を理解したのか、対するエリシアはニアの右腕を掴むと安心付けるように小さく笑ってみせる。
その様子を見たニアは情けないためらいを捨てるようにその場で幾度か深呼吸を繰り返し、
「…行こう」
そうして2人は、ナースゴートの中へと足を踏み入れるのだった。
もはや常連になりつつあるニアは、ナースゴートの中でいつも通り老人に腕を見てもらっていた。
「うーん…これは」
「な、なにかありましたか…」
ニアの腕を見た老人は何やら深刻な表情を浮かべ、しばらくの間沈黙する。
そのただならぬ態度にニアは抱えていた不安をさらに増大させ、エリシアもまたわずかに息を呑む。
だが、数秒後ようやく顔を上げた老人から伝えられたのは、そんな不安とは相容れない言葉だった。
「驚いた。異常なほどの速度で骨が治っていってる。ほんとなら今日でようやく骨の形が元通りになるだけで、完全に治るには後2回は来て欲しいって伝えるつもりだったんだけど…これならもう問題ないね」
「…!、本当ですか…!」
「ほんとだよ。てかどうやったんじゃ?あんなかろうじて原型保ってるだけの状態からこんな完璧に治すなんて、わしでも数週間はかかるのに…。痛くないか?これは?こうしたら?」
おそらく長いであろう老人の医師人生の中でも類を見ない事例なのだろう。
落ち着きなくニアの腕を触る老人の動きは何処か忙しなく、それほどまでに珍しいことが起きているのだとニアもまた理解する。
「平気ですよ。それよりも、さっきの言葉はもう腕を使っても問題ないってことですか?」
「そうだの。今軽く見てみたけどヒビの一つも残ってない。完全に治ったと見て間違いない」
「ようやく…ようやく前に進めるんだ…!」
老人の言葉を以って改めて腕の完全回復を告げられたニアは歓喜のあまりか治ったばかりの左腕を握り締め、同時に喜びの声を露わにする。
だが次の瞬間にはハッとしたようにわずかに恥じらいながら声を潜ませ、その様子を、エリシアは小さく微笑みながら見守っていた。
「よかったですね、ニアさん」
「本当に…ようやくスタート地点に立てる…」
「では今日は刀の構えを教えてあげましょうか?」
「是非お願いします!」
老人にとってはありふれた光景なのかもしれない。
だがニアにとってそれは人生の分かれ道と言ってもいいほどに重要な事柄であった。
だからこそ、喜ぶニアを老人もまたかすかに微笑みながら見守るのだった。
「では行きましょうか。早速の稽古もいいですが今は王都を見て回る時間ですからね」
ニアと共にナースゴートを後にしたエリシアは、これから向かう方向を確認するようにセレスティアの図を眺めていた。
そうして辺りをくるりと一周見まわし、目的の方向へと指を指すと、
「ではまずこっちの方に行きましょうか」
歩き出したエリシアは先ほどの一件のためか何処か上機嫌であり、連れられるニアもまた喜びのせいかいつもよりもセレスティアの光景に胸を躍らせていた。
「やっぱり何回見てもすごいな、流石王都…」
「ですね。私も少なからずここへは来たことがあるのですが、毎度ながらそう思います」
呟くニアの視界の先には、鏡のようなものが立てかけられていた。
無造作に立てかけられた鏡は何者かの接触を待つかのように沈黙を貫く。
だが次の瞬間、その鏡面がかすかに揺れたかと思うと、その中からは人の姿が現れた。
「あれが気になりますか?」
慣れたように鏡から現れる者達、そして反対に慣れたように鏡へとその姿をくらませる者達。
ニアの目線がその一点に釘付けになっていることに気づいたエリシアは、今こそ出番と言わんばかりに小さく咳払いをしてみせる。
「あれはミラディアと言って、その名称は見た通りの鏡のような見た目から来ています。そしてミラディアはある決められた区間と繋がっており、あの中へと踏み入ることにより実質的な転移を可能としています。では突然ですが、せっかくなのでここでクイズを出したいと思います。」
「クイズ?」
「今から私は3択の問題を出します。その3択のうちから、見事正解を選ぶことができればニアさんへあるプレゼントを差し上げます」
「…なるほど、なら絶対当てます」
突然始まったクイズ大会。
だがニアは案外乗り気であり、その態度にエリシアは安堵したように小さく笑みを浮かべる。
「答えてもらうのは「どうやってミラディアの転移先の箇所を固定しているのか」です。では早速いきます。一つ目、『あの鏡に特殊な水滴を垂らし、行きたい場所に置かれたミラディアにも同じ水滴を垂らすことにより二つの空間を繋げている』。二つ目、『特殊な音の周波を利用することで行きたい場所へと繋げている』。そして三つ目、『行き先は固定されておらず、踏み入る人の行きたい場所と繋がるようになっている』」
「一つ目…いや、だったら同じ国にいくつも置いていたら出る場所がランダムになってしまうから違う。そして三つ目はあり得なくはないが大量にあの鏡があるとして、その中からこの国の人達が行きたい場所を完全に理解し設置するってのもほぼ不可能に近い…なら消去的に、二つ目!」
「…」
自信満々にエリシアへと指を2本差し出したニアは、その反応を伺うようにエリシアの表情を見つめていた。
だが数秒経ってもなんの反応も示さないエリシアに、ニアは段々と間違っているのではないかと不安に駆られ始め、その表情からは自信が失われて行く。
だがその時、ニアの反応を見たエリシアは満足そうに小さく笑うと、
「ふふ、正解です、では約束通り後でプレゼントをあげたいと思います。楽しみにしておいてくださいね」
何をニアへと送るつもりなのかはまだ伏せたいらしく、だが何処か楽しげに笑うエリシアにニアもまた密かに微笑みを浮かべる。
だがその時、目の前からは巨漢の男が歩み寄っており、2人は会話に集中しているからこそその存在に気付かない。
「ごめんなさい。お怪我は?」
瞬間、接触し、体勢を崩しながらもエリシアはすぐさま振り向き、謝罪の言葉を口にする。
だが対する男はそんな言葉は睨み返すように振り返ると、相手が年端にも満たない者達だとわかるや否や威圧的な態度で歩み寄る。
「人とぶつかっておいてそんな言葉でいいと思ってんのか?あぁ?」
「すみません。こちらの不注意でした、以後気をつけます」
「以後じゃなくて今の話をしてんだよ俺ぁ、わかってんのかガキィ!」
段々とエスカレートする男の口調にニアは自分達が子供だからと日頃の鬱憤をぶつけているのだと理解し、比例するように段々と苛立ちを湧き上がらせる。
だがエリシアが荒事にしないようにと落ち着いて対応していたために余計な事はせずに黙りこくっていた。
だが男はエリシアが涼しい態度を崩さないことに苛立ったのか、ついにその拳を振り上げ、
「おい」
瞬間、ニアは男の動きを停止させるように静かに声をかける。
そうして振りかぶった体勢のまま男はニアの元へと目を移し、同時に自らを睨むニアの目線に気づく。
「おいっつったか?俺ぁオメエより年上なんだが、最近のガキは礼儀ってのがなってねえようだなぁ!ガキがそんな舐めた口聞いていいとでも思ってんのか!」
エリシアと同じく、威圧的な態度を気に求めないニアのその態度に男は更なる怒りを露わにし、同時に握り締められた拳はニアの元へと振り下ろされる。
刀に対しては素人であっても、ニアはルイストという遠距離主体の力の関係上肉弾戦も数多く経験し、それなりにはこなせるようになっていた。
そんなニアに対し振り下ろされる素人当然の男の拳はもはや目を瞑っていてもいなせるほどになんの意味もなさない一撃であった。
そうして両腕が治ったからこそ自らに向けられる一撃を迎え撃つべくニアはかすかに構えへと移行する。
「…!」
だが、振り下ろされたその拳がニアの元へと辿り着く事はなかった。
何故なら振り下ろされたその拳は、間に入ったエリシアにより代わりに捌き、地面へと行き先を狂わされていたからだ。
確かに振り下ろしたはずの拳が自身ですら気付かぬ間に行き先を狂わされていた事に男は驚愕の表情を浮かべる。
「テメェ…今何しやがった…!?」
「せっかく治ったんですから、その腕をこんな事に使わないでください」
動揺も束の間、男はエリシアが追撃を仕掛けてこないことをいい事に再び拳を振り上げ、性懲りも無く再び、今度はエリシアへと狙いを定めて振り下ろす。だが、
「刀を使う者が、刀以外の技術を磨かない…そんなこと、あるはずがないでしょう?」
瞬間、振り下ろされた拳は再び突如として進路を狂わせ、同時に地面へと衝突する。
そして同時にニアはこの時にして初めて理解する。
ニアと同じく、或いは手に握る物を主体で戦う以上、それが手元から離れて仕舞えば残されるのは無力な物でしかない。
日頃から研鑽を怠らないエリシアが、そんな逆転の芽を積むような隙を放っておくはずがないのだと。
つまるところ、男が対しているのはニア以上に肉弾戦に対し技術を磨いた者であり、
当たれば並の人間ではケガでは済まないであろう一撃は幾たび繰り返されようと変わらない結果を迎える。
「わかった、テメェがそんなに大怪我したいってんなら真面目にやってやるよ」
これまで経験したことのない現実に息を切らす男は苛立ちを隠すように大きく息を吸い、大きく振りかぶられた腕は変わらず、だが先ほどよりも早くエリシアの元へと振り下ろされる。
「…なんだ、真面目にやってもその程度ですか」
小さく呟かれたその拳はエリシアの苛立ちを体現したように虚空へと吸い込まれ、凍えるその瞳は男の元へと、先ほどとは違う意志を持って向けられる。
瞬間、男の背筋には凍るような感覚が訪れる。
それがエリシアの目線からくるものなのだと男が理解したのは間も無くのことだった。
だがその時にはもう遅い。
振り下ろされた拳はすでにエリシアの射程圏内へと踏み入っており、先ほどとは違い、迎え撃つように構えられたエリシアにより、叩き伏せられ——、
「待て」
瞬間、何処からかそんな声が聞こえてきた。




