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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
遠い世界
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三日後のある話

 初めての稽古3日間、ニアはただひたすらに回避の技術を鍛えていた。


 初めは視界に捉えることすらままならなかったエリシアの動きも、今では少しだけではあるが視界に捉えることができるようになっていた。


「一、縦の後は後ろ、ニ、縦のフェイントから斜め、三、四の後は下からの突き…」


 そして今、この瞬間も稽古をしているニアは、エリシアの動きの癖をわずかながらに理解し、その動きに対する最小の動きで躱せるようにまでなっていた。


「いいですね、その調子です」


 表情を変えることなく、いつも通りの表情でニアへそう伝えるエリシアは、日を追うごとに成長していくニアを、わずかながらに微笑ましく思っていた。




 この数日間ただひたすらに先輩の動きの癖を見続けてきた。

 そして一つわかったことがある。それは先輩は地面に着地した後の一瞬、わずかに動きにラグがあること。






 それはこの3日間、ただひたすらにエリシアの動きを見続けたニアだからこそ気付けたことであった。


 エリシアは宙で技を振るい、地面へと着地するその瞬間、ほんの一瞬ではあるが技と技の間のラグを誤魔化すように相手の方へとわずかに角度を調節する。ということだった。


 それはエリシアが見せる唯一の隙であり、ニアがエリシアの次の行動を予想することのできる唯一の時間だった。


 そうしてエリシアの攻撃をギリギリの箇所で躱したニアは再びエリシアの次の行動を見切ろうと瞬間的に意識を集中させる。


 瞬間、ニアはエリシアが動作へと移行するよりも先にエリシアが次に攻撃を繰り出そうとしている範囲から抜け出すように駆け出す。


「…ふーん?」


 だがあまりにもあからさまなニアの動きにエリシアもまた、自身の動きが見切られていることを理解するのにそう時間はかからなかった。


 そこでエリシアは興味本位と言わんばかりにニアがどうやって自身の動きを見切っているのかを確かめることにする。

 

「次は横…っ!?」


「どうやって私の動きを読んでいるのか少し気になりましたが、なるほどそう言うことですか」


 そしてそれはあっという間にエリシアの手により暴かれる。


 ニアの視線へと目を向けたエリシアは、その視点が一箇所、自身の足元へと集中していることを理解する。


 そうして試しに地面へと着地するその瞬間に膝を曲げ、あえて着地の時間を微かにずらしてみたのだ。


 すると先ほどまでになかった行動に見るも見事に釣られたニアは、次の瞬間には崩れた体勢のまま後方へと引き下がることを余儀なくされる。


 だが、エリシアがその絶好の隙を見逃すはずもない。


 体勢が崩れたことによりニアは回避すらが間に合わない窮地へと陥り、止めを指すようにそこへエリシアの一撃が差し込まれる。そして、


「はい、私の勝ちです」


 コツンと優しく額に当てられた木刀を持って、稽古は再び終わりを告げる。


「…いつから勝負になったんだ…?」


「戦いはいつでも勝ち負けの世界ですよ、なので今のところ私は73戦73勝ということになりますね」


「大人げない…」


「私は見ての通りごく普通の女の子なので大人はニアさんということになりますね」


 当たり前のようにこの三日間に稽古をした回数と、それと同じ数の自身の勝利数を伝えるエリシアへニアはなんだかやらせない気持ちを抱いてしまう。


 だが、今それを言ったところで仕返しと言わんばかりに次の稽古で返されるのが目に見えてしまっている。

 だからこそ、ニアは抱いたその言葉を本人へと伝えることなく、代わりに内へと秘めておくのだった。


「さて、今回の反省点は?ご自分でもわかっていると思いますが」


「…目線があからさますぎた」


「正解です。あれでは誰が見ても狙いが一目瞭然です。ですが着眼点はよかったですよ。着地の瞬間、それは誰にとっても隙になる一瞬で、そこを狙うというのは戦いにおいて大事なことになってきます」


 エリシアはその場で軽く飛び上がりながら、着地までの時間を測っていた。


 そうして数回の試行ののち、額へと手を添えたエリシアはぶつぶつと呟くようにわずかに俯き、


「0.3…いや、2かな…うん。今更なんですがよくこれだけの時間で次の動作を見極めれますね」


「なんとなく次はこうなんだろうなってわかるんですよ、考えるよりも先に理解できてる感じ」


 その言葉にエリシアはわずかに驚愕の表情を浮かべた。


 それが何故なのかニアにはわからず、だが何処か大袈裟なその反応に首を捻ったその瞬間、


「それはつまり、後輩は『無意識に次の行動を予測してる』ということですか?」


「無意識かはわからないけど、多分」


「なるほど」


 瞬間、突然エリシアはその言葉を聞くや否や腰にかけた木刀を引き抜き、ニアへと向けて構え始めた。


 その突然の行動にニアは不意打ちが来るのではないかと身構えるが、次の瞬間にはそうではないことを理解する。


 その様子は何処か深い集中に陥っており、まるでエリシアの集中の箇所にニアが踏み入ったかのように、その瞳は無を捉えていた。


 だがそんな時、木の葉が一枚、エリシアの目の前を通過した。


 ひらひらと横切る木の葉はエリシアへその存在を見せびらかすように風に揺られる。


 瞬間、集中していたエリシアは何の動作も無しに目の前の木の葉へと技を振りかけた。


 そして同時に、先ほどまであった木の葉は木の葉でさえ気付かない間に四つへと切り隔てられ、それぞれがバラバラな方向へと散っていく。


 そうしてひと段落置いた頃、エリシアは集中から現実へと戻ってきたのか深いため息をついてみせる。

 そして続けてニアへとその目を向けると、


「今何をしたのか分かりましたか?」


「何を…って、木の葉を切った?」


 意図のわからない質問へニアは困ったように言葉を返してみせた。


 だが、対するエリシアはその反応が何処か予想外だったのか揶揄うように薄く笑って見せる。


「なるほど、ニアさんにはまだわかりませんか」


「じゃあ何したのか教えてくださいよ」


 変わらず意図のわからないその言葉にニアは変わらず頭の中に“?”を抱くことを余儀なくされる。


 そうして返された言葉に反応するようにエリシアは再び木刀を握り締めると先ほどと同じ構えを取り、そしてニアへと目を向けた。


「先ほど私が刀を構えた時、何もしていないように見えましたか?」


「見えましたか?って…実際何もしてなかったじゃないですか」


「そうですね、他の人から見ればそうかもしれません。ですが私はあの瞬間、無意識の中に身を投じていました」


「無意識…?」


 聞き覚えはあるものの、こんな場面で聞くとは思わなかったその言葉にニアはつい聞き返してしまう。


 そうして言葉通り未だ理解の出来ていないニアへさらに手助けするように、エリシアはニアへと簡潔な説明をしてみせる。


「物を持った時に熱ければ咄嗟に手を離す。体に物がぶつかって痛い時は咄嗟に痛いと声を出す。それらは無意識に私たちがしていることです。今私がしたのもそれと同じ。切りたいものが目の前へ来たから咄嗟に切った。それを私は無意識の動作と呼んでいます」


「なるほど…でもそれって本当に無意識にしてるとして、間違って人とか斬ったら大変なことにならない?」


「…昨日の件といい、ニアさんは私を何だと思ってるんですか。そんなヘマはしないですし、人を斬りたいと思ったこともないです」


 昨日から続く不躾な問いにエリシアはわずかに不機嫌な声色へと変化させ、だが必要なことはやり切ると言わんばかりに説明を終えてみせる。


 そして再びニアへとその目を向けると、


「結局何が言いたいのかと言うと、ニアさんは思考に頼りすぎて無意識の行動が欠けているんです。それは時には役に立つことですが、いざと言うときに思考が邪魔をして避けられるものを避けられなければ意味がありません」


「それは…まぁ確かに」


「なのでニアさんには今から何も考えずにただがむしゃらに避けてもらいます」


「わかった。けどそれじゃあ逆に避けられるものも避けられなくなるんじゃないですか?」


「そこは刀の出番です。避けられないなら弾けばいい。ですが今はまだ左腕が治っていないので関係ないことですね」


 当然の疑問を抱くニアへ、エリシアもまた当然の回答と言わんばかりに刀へと手を添え、そう口にする。


 そうしてニアは改めて思考し、そして理解する。


 エリシアのいう通り、これまでのニアの行動は思考が咄嗟に導き出した最善へと飛び込むような手段ばかりだった。

 だがそれは決して自身の思考を過剰なまでに信じているからではなく、反射的な行動を取って仕舞えば相手にとって状況を塗り替える転機になってしまうのではと考えたからだった。


「さて、ではひと段落したところでそろそろその腕を治しに行きましょうか。治すと言っても完治ではないと思いますが」


 エリシアは木刀を立てかけ、小屋へと向かいながらそう口にした。


 その口調から、『3日で治る』と言うのが完治ではないと言うことをエリシアも気付いていたのだろう。

 そして同時に、その事実を知って仕舞えば自分の後輩(ニア)が落ち込むだろうとわかっていたからこそ、今という瞬間まで伏せていたのだろう。


 何気ないそんな気遣いを理解したからこそニアは口に出しこそせずとも、心の中でわずかばかりな感謝の言葉を伝えてみせ、そうして歩いていくエリシアの背を追いかけるのだった。






「そういえば、今更なんですがニアさんって呼ばれるの嫌じゃないですか?」


 小屋へと戻る道中、エリシアは不意にニアはそんな言葉を投げかけていた。


 見ると、エリシアは何処か不安げにその視点を右往左往させ、だが次の瞬間にはニアとその目を合わせる。

 その態度からおそらくはかなり前から考えてはいたものの、今日という瞬間まで問いかける勇気が出なかったのだろうとニアは理解する。


「全然。みんなそう呼んでたし、俺にとってはもうその呼び名の方が身近にすら感じてますから、気にしなくていいですよ。…なんで急に?」


「いえ、ただ距離感が近いと思われていないか不安になっただけです」


「そんなふうに思ったことないですよ?」


 当たり前と言わんばかりに告げるニアへ、エリシアはわずかに安堵しように息をつく。


 そして、だからこそ改めてニアへとその目を向けると、


「…そうですか?ならよかったです。では改めて、ニアさん、よろしくお願いします」


「よろしくお願いします、先輩」


 何処か照れくさそうに改まった挨拶を終えた2人はやがて小屋の元へと辿り着いた。


 だがその時、エリシアは不意に「少し待っててください」とだけ伝えると部屋の中へと姿をくらませてしまう。


 返事も聞かずにパタリと閉まった扉にニアは首を傾げることを余儀なくされ、数分後、再び微かな音を立てて扉は開かれる。

 

 そうして外へと出てきたのは、


「どうしたんですか?その格好」


「私だって一応女なんですから、たまには街に出かける時くらいおしゃれしたいんです」


 問いかけるニアの視線の先にはエリシアがいた。


 だがその服装はこれまでニアの見てきた稽古着のようなものではなく、白を基準とした可愛らしい装いだった。


 ヒラヒラと長いスカートはエリシアが一歩を踏み出すたびにその存在をアピールするかのように揺れていた。

 

 その立ち振る舞いや着こなしは年端もいかない少女とは思えないほどに可憐であり、世間一般で言うところの“綺麗”に分類されるのだろう。


「出かけるっていってもただこの腕を直しに行くだけなんだけど…」


「そうですね、今日は晴れてその腕がある程度は元に戻る日です。ですがいつも同じ稽古ばかりを繰り返す日々では、次第に苦痛とも感じてきてしまうと思うんです。そこで、せっかくなら一緒に王都を見てまわりませんか?」


「王都を?」


「そうです、以前の反応を見る限りあまりこのセレスティアについてご存知ないと思ったので、そこら辺の説明も兼ねてどうですか?」


 一応の問いかけのような雰囲気ではあるものの、ニアを見つめるエリシアの瞳にはニアが断ることなど微塵も考えていないようであった。

 そしてそれは着飾った服装からも容易に理解でき、


「そういうことならこちらから頼みたいくらいですよ」


 ニア自身、この世界についてまだ知らないことがほとんどだった。

 なればこそこの提案はニアにとっても願ってもいないことであり、同時にニアの返答を聞いたエリシアは満足げに小さく笑ってみせる。


「さて、では行きましょうか。前も言いましたが王都は広いので迷ってもすぐに見つけてあげられないですからね?」


「もう既に3回も行ってるし迷わないよ、それに俺一応先輩より3つ4つくらい年上だと思うし、心配される歳でもないんですけど」


 善は急げと言うようにエリシアは迷うことなく次の瞬間にはニアと共にセレスティアへと歩き始める。


 何処か子供扱いされることにニアは言葉で表せないやるせない気持ちを抱いてしまう。


 だがその時、隣を歩くエリシアは不意に浮かんできた疑問をぶつけるようにニアの方へと振り向くと、


「そういえば、ニアさんっておいくつなのか聞いてもいいですか?」


 何処か今更なその質問に、ニアは「言ってなかったっけ」と同じく今更な真実に気づく。


 だが、だからと言って年齢自体はこれと言って隠す理由もないため、ニアはエリシアの方へとその目を向けると、


「一応今は18ですよ。この世界ではどう言う計算方法なのかはわからないですけど、俺の世界ではあと4月経てば19です。そういう先輩は?」


「女性に年齢を聞くのは禁句ですよ、ニアさん」


 予想以上に若かったのか、エリシアは18歳と聞くや否や何処か驚いたような表情を浮かべる。


 だが、続けられた問いに対しては事前に準備しておいたと言わんばかりに流れるように言葉を返し、同時にその反応にニアは苦笑する。


「それにしても18歳ですか、前々から若いとは思ってましたがまさか二十歳も行っていないとは驚きました」


「先輩だって俺の目が正しければ15歳…いや、16歳くらいで俺より若いと思うんですけど」


「さて、正解は闇の中へ、ですよ。答えはご想像にお任せします」


 瞬間、エリシアの足取りは何処か軽くなり、まるで子供が遊び場へ向かうかのように元気に見えた。


 歩くエリシアの態度は、何処か上機嫌だった。

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