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遠い世界の君から  作者: 凍った雫
遠い世界
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辿るべき道標

 これから行われる、エリシアと灰庵の稽古。 


 エリシアは手に握った木刀を腰へとかかると灰庵へ礼をし、続く灰庵もそれに対し礼を返す。


 そうしていくつかの作法のようなものを終えた頃、エリシアは腰から木刀を引き抜き、そして構えた。


 その立ち仕草は一切の隙を許さない研鑽され尽くした構えであり、万全なその構えにニアはつい見入ってしまう。


 対する灰庵もまたエリシアが構えた事を確認すると木刀を引き抜き、構える。


 その立ち振る舞いはエリシアとは正反対に、往々とした威圧感があり、同時に2人の間には一触即発のような間合いが生じる。


 そうして見つめていた次の瞬間、不意に何処からか木と木のぶつかるような音が響き、同時に訪れた風圧がニアの体を地面へと押し倒していた。


 ニアは慌てて2人の元へとその目を向けるが、その場にいたのは灰庵だけでありエリシアの姿は何処にもない。


「どこに…」


「すみません。もう少し離れててくれると助かります」


 状況が理解できずに辺りを見まわしていたその時、不意にそんな声がニア目掛けて投げかけられた。


 その声は紛れもなくエリシアのものであり、だが辺りへと目をやろうとそこにエリシアの姿はない。

 その場に残されるのは辺りへと響く足音のようなものと、揺れる草木の軽い音だけ。


 そんな状況に息を呑んでいた時、再び木と木のぶつかるような音が響き渡った。


 見ると、目の前の灰庵は何かに吹き飛ばされたように後ろへと退いており、地面には足の擦った跡が残っていた。

——だがまたしてもそこにエリシアの姿はない。


 だがこの時、ようやくニアは自身の目の前で何が起きているのかを理解する。




…先輩が攻撃したんだ。見えないほどの速度で移動して、音すらもも置き去りにして。やっぱり先輩はすごい…でも——




 と、ニアは続けて灰庵の元へと視線を移す。


 エリシアと対する灰庵はそんな音速の攻撃を何の気なしに受け流し、更にはニアへと目をやり、小さく笑う余裕さえ残していた。


「右、上下、上…うん、いいね、前よりよくなってる」


 当たり前のようにニアには見えないエリシアの挙動を分析すると、灰庵はその間も油断する事なく攻撃の手を緩めないエリシアへ賞賛の言葉を送る。


 絶えず響く足跡がそれほどまでの速度で移動しているのだとニアは理解させ、だがその時——、 


「もしかしてだけど、後輩が見てるから張り切ってたりする?」


「…うるさい」


 からかうようにそう問いかける灰庵に、エリシアは変わらず姿を見せる事なく声だけで返答を返す。


 だがその声はぶっきらぼうな言い方とは裏腹に、怒っているようには聞こえなかった。


「ごめんごめん、でも一つ言うと、ニア君の方ばっか気にしてちゃだめだよ」


 瞬間、木々の隙間から現れたエリシアはタイミングを測ったように灰庵の元へと飛来する。


 見ると、いつかのニアと同じくそれは瞬きをする瞬間に狙いを定められた奇襲。振り抜かれた一撃は目の前に迫るそれを認識すらできていない灰庵へと襲いかかる。だが——、


 不意に灰庵は一歩を踏み出し、地面を踏みしめた。

 瞬間、灰庵を中心とした周囲一体は重力が捻じれたかのように重苦しくなり、同時に全身を衝撃が痺れさせる。


「なんだ…これ…!」


 一瞬にして張り詰めた空気へと様変わりした。

 それはまるでニアの生き物としての本能がそこにいることの危険性を伝えようとしているかのようであった。


 そしてその影響を受けたのは、ニアだけにとどまらない。


 狙いを澄まし刀を振り抜いていたエリシアの体もまた灰庵の一歩により全身を衝撃が取り囲み、そのせいか目に見えなかった速度は一瞬ではある者のニアにも捉えられるほどまでに減速する。


 瞬間、灰庵は目の前が見えていないにも関わらず唐突に身を捻り、見えているのではないかと錯覚するほどまでにスレスレの地点でエリシアの攻撃を躱してみせた。


 そうして続けて空白となった地点に誘い込まれるようにして飛び込んだエリシアの腕を灰庵は躊躇う事なく掴み、そのままエリシアの勢いを利用することで投げ倒すように地面へと押し倒してみせる。


「はい、僕の勝ちー」


「っ…はぁ、私の負けです」


 抵抗するががっちりと押さえ込まれ、完全に動きを封じられたことで遂にエリシアは深いため息と共に敗北を認める。


 至高へと辿り着いた凡人同士の稽古。それは見るも完膚なきまでな灰庵の勝利で終えてしまった。


「いやあー、油断も隙もありありだったねー」


「…余計なことばかり言わなくていいです、早く退いてください」


 動けないのをいいことに揶揄うように言葉を残す灰庵へエリシアは悔しそうに言葉を返し、その反応に満足したのか灰庵は笑顔でエリシアの身を解放する。


 遅れて立ち上がったエリシアは全身に纏った土埃を慣れた手つきで払い落とし、だがその最中不意に自身を見つめるニアと目があった。

 

 その瞳には稽古前と変わらない尊敬の意が込められており、それを知ったからこそエリシアは地に落ちた木刀を拾い上げるとそそくさと何処かへと去っていく。


「どう?僕もなかなかにすごかったでしょ」


 去っていくエリシアの背を見つめるニアへ、背後からそんな声がかかった。


 その声の正体は灰庵であり、振り向いたニアの隣へ、庵は返事を伺うかのようにその腰を下ろす。


 この様子は何処か褒められる事を確信しているかのようであった。

 だが事実貶すことなど不可能な程の力量だったがために、ニアは戦いの中を通じて何よりも感じた言葉を伝えてみせる。


「はい、それに先輩も。凄すぎてなんだか俺が本当にあれくらい強くなれるのか自信がなくなってしまいそうなくらいです」


 本心から答えたニアの言葉に満足したのか、灰庵はどこか誇らしげに笑みを返すと、さらに深くその場に腰を下ろし、ニアへと言葉を続ける。


 そんな灰庵の服装は、あれほどの戦いを得てなおその服は汚れの一つも寄せ付けていなかった。


「あの子はすごいんだよ。本当に、今回は油断だらけだったから勝つことができたけど、次また模擬戦する時はきっと僕の動きに対策を練ってくる。僕もいつかは追い越されちゃうかもね」


 愉快そうにそう笑う灰庵は、どこかその日を待ち遠しく思っているようにも、楽しく思っているように見えた。


「まぁ、どちらにせよ君の目標はあの子の足元に追いつくことだよ。並大抵の努力じゃ一生かけても追いつけないだろうけど、君ならきっと大丈夫」


 その発言がニアは期待の意味を込めて言っているのか、はたまた別の何かを根拠として言ったのか、それはニアにはわからなかった。

 だが先ほどの戦いを優に繰り広げられる人が、大丈夫と言ってくれたのだ。


「…はい!」




…強くなるんだ。ここから、あいつ(スキア)を倒せるくらい。先輩と肩を並べられるくらい。





 外へ出すことなく、静かに内で誓ったその言葉は誰の耳に届くこともなく溶けていく。

 だがそれでよかった。ニアの意思はこの時確固たるものとして確立された。


 そして灰庵もまた、そんなニアを見ると何処か楽しげに笑うのだった。

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