王都セレスティア
目覚めと同時に容赦なく視界に映り込む光が、ニアへ1日の始まりを伝える。
「おはようございます先生」
「お、さっそく先生呼びとは見どころがあるね」
2日目の朝。目覚めたニアは迷うことなく小屋へと重い足を運び、中へと踏み入る。
1日が過ぎたからか、重症かと思っていた足はかろうじて歩けるほどまでに回復していた。
小屋の中には、ニアよりもはやくその椅子に座っている灰庵が待っており、あの後エリシアから聞いた話だと灰庵はこの家に住んでいるのだそう。
先生呼び名悪い気がしないのか、灰庵は何処か嬉しげに自らを『先生』と呼ぶニアに笑顔で返事を返していた。
だが同時に、ニアは部屋の中にいると思っていた人物が見当たらないことにわずかな驚愕を覚える。
その人物はニアの先輩にあたる人物であり、言ってはなんだがニアは灰庵よりもその人物がいることを期待していた。
「エリシア先輩はまだ来てないですか?」
「ん?そうだね。あの子が遅れる事ってあるんだね〜」
何気なくそう呟く灰庵の言葉から察するに、やはり勘違いではなくまだいないのだと、ニアはわずかに残念な気持ちを抱いてしまう。
灰庵の実力に不満があるわけではなかった。ただ、昨日の1日だけでもニアは十分すぎるほどに灰庵の適当さを理解し、同時に一から歩み始めるにはレベルが違いが故に参考にならないと考えたのだ。
だがその時、ちょうど部屋の扉は何者かによって開かれ、微かな風と共に1人の人物が中へと足を踏み入れる。
「おはようございます。先生」
足を踏み入れた人物。
その人物こそ他でもないニアの待っていた人物であり、だが見えたその装いはニアの予想していたものとは違った。
白いひらひらとしたスカートを身につけ、大きなハットを被ったその姿はまるで今から何処かへと出かけるかのようであった。
「珍しいね、君が最後なんて」
「今までは先生が遅すぎただけです。それと、私にも多少の事情はあるんです」
少女、エリシアは小屋の中へと入ってくるや否や、部屋の中を見まわし、そして自分が1番最後だと気づくや否や、かけられた言葉に対しバツの悪そうな表情を浮かべる。
よほど最後だったのが悔しかったのか、エリシアはバツの悪そうな表情のまま、自らの機嫌を自らで取るようにニアへと歩み寄ると、
「おはようございます、ニアさん。突然ですが、今日は暇ですか?」
「おはよう、先輩。暇だが、どうかしたのか?」
返された言葉にエリシアは何処か安心したように笑みを浮かべ、同時に痛まないように軽くその手を握ると、
「では、本日は医療所へと行きましょうか。その腕を治すのも早い方がいいかと思いまして」
その言葉にニアはハッとした表情を浮かべる。
言われてみれば確かに、どんな世界であれ怪我という事象が存在する以上それを治す場所もまた存在していなければおかしいと、ニアはこの時にしてようやく理解する。だが、
「…いいのか?俺は見ての通り一銭も持ってないんだが…」
「問題ないですよ、そちらの事情は大まかではありますが把握していますし、そんな人にいちいち金銭を求めるような生き方もしてませんから」
ニアを安心付けるようにエリシアはそう言い、同時に小さく笑って見せる。
「さて、ではいつ頃行きましょうか?私はいつでもいいですが、ニアさんに何かすることがあるのなら気にせず終わらせてきてください」
「あぁ、ありがとう。けど何もないよ。今すぐでも問題ない」
幸いなことにニアはこの世界へ落ちてきて二日目であり、故にやるべきこともやり残したこともまだ何一つもして存在していなかった。
そうしてニアの言葉を聞いたエリシアは「では」という短い言葉と共に扉の元へと歩み寄っていく。
そして取手へと手をかけた時、思い出したようにニアの方へと振り返ると、
「早速ですが、行きましょうか。それと、くれぐれも勝手な行動はしないでくださいね。王都は広いので一度迷えばそうすぐには合流できないと思いますので」
「心配しないでくれ、自慢じゃないが、生まれてこの方迷った覚えはないんだ」
自慢げに伝えるニアにエリシアは何処か不安そうな表情を浮かべ、念のためと言わんばかりに忠告する。
その言い方はまるで過去に迷った人がいるかのような言い草であった。
「もしかして過去に誰か…」
「言わずとも後輩ならわかると思います」
「あぁ、やっぱり…」
ちらりと寄越した視線から逃げるように当人は目を逸らし、同時に下手な誤魔化し方をして見せる。
そして大きなため息をついたエリシアは、手をかけたその扉をゆっくりと開いていくと、
「では行きましょうか。目指すは医療所、『ナースゴート』です」
ナースゴート。目的地として語られたからにはおそらく医療所の名称なのだろうとニアは静かに納得し、同時に自らを待つエリシアの元へと歩いていく。
そして扉を開け、再びかすかな風が小屋の中へと舞い入った時、背後から灰庵の声が聞こえてきた。
「行ってらっしゃーい」
その声は相変わらず気の抜けた声で、だが二人を送り出すことを喜ばしく思っているかのように思える声色だった。
ここからまた始まるんだ。俺の道が。
踏み出したニアの一歩が大地を踏み締めた瞬間、吹き抜けた風がニアの肌を撫でる。
それはまるで、ニアの新しい門出を祝っているかのようだった。
「改めて、これが拠真岩壁です。近くで見るとまた壮観ですよね」
「ほんとに、予想以上の大きさだな…」
小屋を出て、しばらく歩いたニアは初めて巨真岩壁の近くへと辿り着いていた。
巨真岩壁へは備えられた長い石の橋を渡ることでたどり着くことができ、だが本当に石かと疑問を抱くほどに揃えられた橋に、ニアはさすがは王都だと思わず関心してしまう。
そうして溢れ出す興味を隠すことなく子供のようにはしゃぐニアへエリシアは微笑み、同時に同じく目の前の巨真岩壁を見上げると、
「私も初めて見た時は同じ反応をしました。何せこの壁は世界の中で最も巨大な壁と呼ばれていますから。でも慣れてしまえば大きい壁という以外に感想が出てこなくなるものです」
「それはそうだが…なんというか、想像以上に大きくて驚いてるんだ」
「そうですね、では存分に驚いてください」
笑顔でそう伝えるエリシアは何処か嬉しそうだった。
そうして数分後、ようやく興奮の落ち着いたニアと共にエリシアは門を抜け、ついに王都の中へと足を踏み入れていた。
門の中は、流石は王都と言うだけはあり、そこらじゅうに洋風な家が聳えていた。
それは奥に進むにつれてさらに規模を増大させており、比例するように王都と言う名称が似合うものへとなっていく。
「さて、改めてここが王都セレスティアです。『王都』と言うだけあって、すごい街並みですよね」
「本当に、凄すぎて言葉も出ない…」
圧巻の光景にニアは言葉を失い、その瞳は定まることなく視界の中のあらゆる場所を点々としていた。
だが、それはこの世界に落ちてきたばかりのニアには仕方のないことだった。
何故ならそこには、ニアの見たことのない景色が広がっていたからだ。
門ではなく鏡を通って街を出入りする人々。見たことのない果物。
そして何よりニアの興味を引いたのは視界の先の果物屋の方が何気なく用いていた、ルイストのような力を身につけた果物ナイフなどの料理器具。
そのどれもが力を使えて当たり前の世界に生きてきたニアにとっては想像もしなかった目新しい光景であり、興味を抱かずにはいられないものだった。
「気に入っていただけたようで私も嬉しいです。ですが今回は観光目的出来たわけではありません。ニアさんのその腕を治しにきたんですよ、わかってますか?」
「え?あ、あぁ、もちろんわかってる」
…危ない、あやくう好奇心に負けるところだった。
エリシアの言葉によりハッとしたように本来の目的を思い出したニアは、見てまわりたい気持ちを押し殺すように視線を一箇所に押し留め、前を歩くエリシアの後を追いかける。
医療所、ナースゴートは存外近い場所に聳えていた。
「着きました。ここです」
門を抜けてから左へと歩き、二つ目の角を右に、その後の突き当たりに立った建物。
大きな建物は医療所という名称に遜色のないものであり、今尚外へと出てくる者達がその建物の繁盛さを物語っていた。
「ここが…大きいな…」
「おそらくここで合っていると思います。私も来たことがないので地図に頼りっきりで少し不安なのですが」
エリシアは手に持った地図を眺めながら現在地と比較し、そうして改めて場所の違いがないことを確認するとニアへと見せる。
地図はセレスティアの案内書のようなものであり、その中の、おそらく今ニアたちがいる地点には大きく印がつけられていた。
そうして改めて一の違いがないことを確認した2人は互いに小さく頷き、ナースゴートの元へとその足を踏み出すのだった。




