34.ある日の食卓
そうして、わたくしたちはまた以前と同じようにギルレムの町で暮らし始めた。ゾーラでの騒動など、まるでなかったかのように。
ただ少しだけ、変わったこともあった。
わたくしが氷の魔法を使えると知った町のみんなが、ちょくちょく雑用を頼んでくるようになったのだ。
「フィオちゃんに頼むのが一番早いわあ、屋根の雪下ろし。こんなに楽に片付くなんて……すごい魔法だね、ほんと」
「いつもながら見事だよねえ。はい、これ今日のお代。あたしの自慢のジャムだよ」
屋根やら道やらから雪をどかすのは、もうすっかりわたくしの仕事になってしまっていた。もっとも対価として、あっちこっちの家から色んな保存食を譲ってもらえているので、これはこれで悪くない。
たまに、凍った湖で釣りをしたいから、氷に穴を開けてくれなんて依頼もやってくるようになっていた。そういうときは決まって、釣れた魚のおすそ分けがやってくる。
「……最近、食事が豪華ですね。嬉しいな」
「そうだね。去年とは大違いだ」
温かな料理の並ぶ食卓を前に、二人は幸せそうに微笑んでいる。
最近ではルーセットの料理の腕もようやく上がってきたので、三人で手分けすることで色んな料理を用意できるようになった。
……といっても、なんとかシチューを焦がさなくなった、といった程度ではあるけれど。アリエスは魚のさばき方まで覚えたのにね。
笑顔で夕食を食べながら、みんなでのんびりとお喋りをする。もうすっかりおなじみの、温かなひととき。
「これもフィオのおかげだ。いつもありがとう」
「本当に……いくら感謝しても、し足りません」
二人はせっせと食べながら、その合間にそんな言葉を投げかけてくる。
焼いた魚を口に運びながら、ふるふると首を横に振ってみせる。二人にこうやってお礼を言われるのは、もう何度目かしら。
「あたくち、たいしたことはしてないわよ」
釣れてまもない冬の魚は、たっぷりと油がのっていておいしい。ルーセットが丁寧に小骨を取ってくれているので、そのままばくばくと食べられるのもありがたい。
なぜか料理だけは苦手なままの彼だけれど、こういう気遣いは得意だ。
「ほんのちょっとちからをつかっただけだもの。……らくらくこなしているのがばれないようにするのが、めんどうだけど」
その気になれば、この町に降り積もった雪くらい、ものの数分で全部片付けられる。でもそんなことをすれば、間違いなく町中が大混乱に陥る。
もっとも……これまでわたくしが必死に正体を隠していたのは、ゾーラの連中、特にスレインの追っ手を警戒してのことだった。でももう、そちらは心配しなくていい。
だから厳密には、思う存分魔法を使ってしまってもよかった。町の人たちに、わたくしがとびっきりの魔法の使い手なのだと知られても問題なかった。
でもあえて、子どものふりを続けることにした。ちょっとだけ魔法が得意な、そんな子どものふり。
わたくしの正体を知ってほしい人、ルーセットとアリエスには、もう全部明かすことができた。だから、それで十分。
そしてそれ以外の人間には、下手に騒がれたくない。それに、子どもとして可愛がられるのも、ちょっと気に入ってしまったし。
「ところで、そっちはどうだったの? しごと、おわった?」
ジャムを塗ったパンを一口かじってそう尋ねると、二人はなんとも言えない複雑な笑みを返してきた。どことなく、疲れた表情で。
本来ならば、この二人はのんびりできているはずだったのだ。
雪かきはわたくしがこなしているし、森の薬草はみんな土の下で眠っている。だからルーセットの便利屋としての仕事は、大幅に減っていた。たまに、害獣退治に駆り出されるくらいで。
それに、冬の畑はそこまで手がかからない。だからアリエスも、家にいることが多くなっていた。
秋の間にルーセットの尻を叩いてばんばん働かせたおかげで、貯えも十分すぎるくらいにある。だからなおのこと、あくせくと働く必要はなかった。それに、エーレストからもらったお金もまだまだ残っているし。
けれど二人とも、このところとても忙しくしていたのだった。……またしても、エーレストのせいで。ほんとあの人、わたくしたちの暮らしを引っかき回す天才ね。
彼はまたこの家にやってくると、こんなことを主張したのだ。「いつか、アリエスが貴族として生きたいと思う日が来るかもしれない。そのときのために、できる限りたくさんのことを学ばせておいたほうがいい」と。
その主張自体は、どうしようもなく正論だった。実際、アリエスならそういう未来もあり得ると、わたくしもルーセットも感じてはいた。今でこそアリエスは父の元を離れないと宣言しているけれど、十年もすれば気が変わるかもしれないし。
そうしてわたくしたちが彼の意見に同調したとみるや、エーレストは嬉々として書類仕事をこちらに押しつけてきた。アリエスでも理解できるよう、比較的簡単なものばかり。とはいえ、そこそこの量を。
そんなわけで、二人はこのところ、書類仕事に追われているのだった。
「はい、なんとかこなせてはいます……」
「まったく、妙なことを思いつくね、エーレストも」
基礎の教養こそ身につけているけれど、アリエスは当然ながら書類仕事は初めてだった。なのでルーセットがつきっきりになって、アリエスにあれこれと教えているのだった。
すっかり忘れていたけれど、もともとルーセットはメルエシアの跡継ぎなのだった。どういうわけか、エーレストに追い出されてはいるけれど。
「……エーレストって、よくわからないひとね。ルーセットをおいだしたかとおもえば、こんどはアリエスにしゅうちゃくしてるし。あきらめたかとおもったら、こまごまとせわをやいてくるし」
ふとつぶやくと、ルーセットはちょっぴり切なげな笑みを返してきた。
「彼は彼なりに、メルエシアのことを思っていたんだよ。……まあ、個人的に私のことが好きではない、というのもあるだろうけど」
「でも、アリエスのことはきにいっているのよねえ、あのひと……」
「それはほら、アリエスはこのとおり、私にはもったいないくらいに素晴らしい子だから」
「なるほど、たしかにそのとおりだわ」
「……私とは違って、アリエスなら当主としても立派にやっていけると思うんだよ」
「そうねえ、かれならりっぱなとうしゅになるでしょうね。そのてん、あなたはちょっとふわふわしてるから」
「ははっ、手厳しいね。もっとも、その自覚はあるよ」
そうして談笑していたら、アリエスの恥ずかしそうな声が割り込んできた。
「あの、お父様、フィオ……そのくらいで……」
何気なくそちらを見たら、アリエスは面白いくらいに真っ赤になってうつむいていた。あら、照れてるのね、可愛い。
彼はもじもじと指を動かしていたけれど、やがてぴたりと動きを止めた。気のせいか、ちょっと様子がおかしいような。
じっと見守っていたら、彼は肩を落としてつぶやいた。
「……それに、ぼくはずっと、お父様と一緒にいるんですから。……フィオも」
その真剣な口調に、わたくしとルーセットが同時に身を乗り出す。
「こうやって勉強しているのは、将来何かの役に立つかもしれないと思ったからです。でもそれとは別に、ぼくはこうやって三人で、笑って暮らしていたいんです」
ちょっぴり泣きそうな声で、アリエスは続ける。ああ、ちょっと今の話題は、配慮に欠けていたわね。反省。母親を亡くした彼に、独り立ちの話はまだまだ辛いでしょうね。
「だから、ぼくが当主になるって話は、しないでほしいんです……」
彼はそうやってぎゅっと唇をかみしめていたけれど、ふと何かに気づいたように身を震わせた。
「あの、でも、フィオが元のところに戻りたいって考えてるのなら、止めません……」
そうしてまた、彼は黙り込んでしまう。
驚きにぱちぱちと数回まばたきして、ルーセットに目をやる。彼はどことなく切なげな目で、黙ってわたくしを見つめていた。
「そんなさきのこと、まだきにしなくてもいいのよ」
椅子から下りて、アリエスの隣に立つ。
「あなたは、まだろくさいなんだから」
わたくしがここにいられるのは、せいぜい十数年。そのころには、たぶんあちこちぼろが出てきてしまうだろうし。
けれど普通の子どもにとって、十数年の月日はとても長い。
だから、そんな先のことを考えて暗くなってほしくなかった。今が幸せだというのなら、その幸せを目いっぱいかみしめてほしかった。
そんな思いを込めて、小さな頭をよしよしとなでる。彼はやはりうつむいたまま、こくりとうなずいていた。
これでいったん完結です。
時間に余裕があれば続きを書いてみたい、とも思っています。
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