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30.華麗なる逆襲

 スレインの号令のもと、ローブの人間たちがわたくしたちに呪いをかけ始めた。黒い煙が、どんどん濃さを増していく。


「く……」


「ううっ……」


 ルーセットとアリエスは床にうずくまると、そのままかすかにうめいている。身動きが取れないのか、とても苦しそうだ。


 小さな手をいっぱいに伸ばし、二人の頭をまとめて抱き寄せる。


 前回は油断していて、あいつらに動きを封じられてしまった。けれど今回は、自由に動くことができた。たぶん、一度あの呪いを受けたからだろう。それに、さっきからずっと警戒を解かなかったのも幸いしているのだと思う。


 そんなわたくしを見て、スレインがほんの少し動揺したようだった。けれど今は、それどころではない。


 人を赤子にしてしまうこの呪いについて、わたくしはずっと分析を続けてきた。


 この呪いは、一人につき一回しか効果がない。それは確かだ。だからわたくしは、もうこの呪いの影響を受けない。


 それに一度呪いを受けたことで、呪いの構造についてもぼんやりとではあるけれど理解できている。


「ふたりとも、しっかりして……」


 そのわずかな知識をもとに、まとわりつく呪いをさらに分析し、即座に打ち消していく。そうやって、二人を呪いから守り続ける。ただひたすらに、そんなことの繰り返し。一瞬たりとも気は抜けない。


「あたくちが、たすけるから……」


 あのとき、小さくされてよかった。その経験がなかったら、こんなふうに二人を守ることができなかったかもしれないから。


 そんなことを思いながら、ひたすらに呪いと戦った。冬の牢獄にいるというのに、汗がしたたり落ちてくる。


「ぜったいに……まけないんだから……」


 どれくらいそうしていただろう。ふと、黒い煙が薄れてきていることに気づいた。目を凝らすと、煙はそのまま消えていく。


 わたくしはもちろん、ルーセットもアリエスも無事だ。二人はそろそろと顔を上げると、互いに見つめあっている。


「……お父様、ぼくたち……助かったのでしょうか?」


「……みたいだね。フィオ、君のおかげ、かな……?」


 疲れた顔でこちらを見る二人に、力強くうなずきかける。ああ、よかった。守り切れた。思わず涙ぐんでしまい、とっさに袖でぐいと目元をぬぐう。


 でも、ほっとしている暇はない。大急ぎで、片付けておかなくてはならないことがあるから。


「もうちょっとだけ、まっててね」


 ルーセットとアリエスにそう言って、優雅に立ち上がった。きょとんとした顔の二人を背にかばい、スレインに立ち向かうようにして。


 よくも、やってくれたわね。ここからは、わたくしの番よ。これまで好き勝手してきたことを、後悔させてあげる。


 ああでも、一つだけ感謝しなくちゃね。この性根の腐れはてた王子がまたしてもやらかしてくれたおかげで、わたくしはちょっぴり強くなった。せっかくだから、その成果、見せてあげましょう。


「……ふふっ、ありがとう」


 スレインに向かってそうつぶやいて、猛吹雪を巻き起こす。あっという間に、周囲が白く煙って見えなくなった。


 それから、貯めておいた魔力を一気に解放して、元の姿に戻る。


 今しがた呪いに再度触れ、分析を進めたことで、こんなことが可能になったのだ。ざっくり言うと、呪いがかかる前の状態を一時的に再現しているというか、まあそんな感じ。


 冷たくない氷を呼び出して、ドレス代わりにまとった。ついでに、鉄格子を凍らせて破壊する。はい、これで準備は終わり。


 ではいよいよ、目くらましの吹雪を消して……と。


 吹雪が消えるにつれて、牢の中がまたはっきりと見えてきた。わたくしの正面に立っているスレインが、すうっと青ざめる。食い入るように、わたくしを見つめたまま。


「お前は……魔女レティフィオ! なぜお前が、ここに……お前はあの荒野で朽ち果てたと、そう報告を受けている!」


「ああ、やっぱりそんな感じになってたのね」


 ルーセットとアリエスの食い入るような視線を背中に感じるけれど、今はこの男との決着をつけるのが先。


「あいにくと、あなたたちがかけた呪いは不完全なものだったの。四歳の子どもになったわたくしは、そのまま荒野に捨てられた。そこで、彼に拾われたのよ」


 振り返って、ルーセットに笑いかける。まだ床に膝をついたまま、彼はまばたきもせずにわたくしを見ていた。気のせいか、ちょっぴりうっとりしているような? あらやだ、照れちゃうわ。


「そうしてわたくしは、この呪い……『時逆ときさかの呪い』をじっくりと解析していたのよ。子どもとして暮らしながら、ね」


 また前を見て、今度はスレインに笑いかけた。するとこちらは、さらに青ざめていく。ふふっ、面白いわあ。


「ただ、まだ完全に呪いを打ち消すことはできていなかった。でも、今ので状況は変わったわ。だから、あなたたちにお礼を言うの。ありがとう、ってね」


 スレインの周囲に控えた人間たちに、順に笑顔を向けている。全員、見事に腰を抜かしていた。床にへたりこんだまま、はいつくばって逃げようとしている。


 兵士たちもローブの連中も、わたくしの言葉が呑み込めないなりに、何かとんでもないことが起こったということだけは理解しているらしい。もしかしたら本能で、危機を察知しているのかもね。


 でも、逃がしてなんかあげないわ。ついと手を伸ばして、通路を氷の壁でふさぐ。『氷雪の魔女』の特別製、ちょっとやそっとでは溶かせないから。


「ルーセットとアリエス、この二人を呪いから守ろうとしたおかげで、この呪いについて一気に解析が進んだの。おかげでわたくしは、こうして元の姿に戻ることができたのよ」


 高らかにそう告げて、元の銀色に戻した髪をさらりとかきあげる。ああ、正体を隠さなくていいのって、楽だわ。


「あなたたちには、お礼をしなくちゃね? わたくし、今ちょっと気分がいいから、優しくしてあげるわ」


 そう言い放って、ローブの人間たちに向かって手を振る。わたくしの手から無数の光る糸のようなものが放たれて、彼らにからみついた。たちまち、悲鳴がいくつも上がる。


「二百年前に猛威を振るった『魔封じの呪い』、解けるかしら? かかっている間は、一切魔法が使えないから。じゃあ、頑張ってね」


 彼らはおそらく、その魔法の才を買われてゾーラの王宮で働いている者たちだ。魔法が使えないなんてことになったら……さあ、どうなるのでしょうね。


 でも、彼らがスレインの命令で、わたくしを消そうとしたのは確か。その分の報いは、きちんと受けてもらおう。命を取らないだけ、優しいと思うわ。


「呪いは集団でないと使えないって、油断してた? わたくし、これでも魔女ですもの。簡単なものなら、一人で使えるのよ」


 ついでに、スレインが連れてきた兵士たちを凍らせて足止めする。鎧のつなぎ目を固めてやるだけで、面白いくらいに動けなくなるのよね、兵士って。頑丈な防具が、完全に裏目に出ている。


「さあ、これで残るはあなただけ」


 優雅に微笑んで、ゆっくりと進み出る。わたくしの足を包み込む氷の靴が、こつん、こつんと石の床で小気味よい音を立てていた。


 真っ青になったスレインが後ずさりして、氷の壁に背中をぶつけている。そんな彼に、無邪気に笑いかけた。


「ああ、そうだわ。もう一つ、いい話があるの」


「な、なんだろうか」


「わたくしね、さっき、新たに呪いを覚えたのよ。魔女として、さらなる進歩だわ」


 そう言って、意味ありげな視線をスレインに向けた。彼は氷の壁にへばりつきながら、小刻みに震え始めた。どうやら彼も、これからの自分の運命をうっすらと理解し始めたらしい。


「そ、その、だな。まずは、話し合おうじゃないか、レティフィオ」


「腹が立つから、それ以上わたくしの名前を呼ばないでちょうだい」


 名前を呼ばれて、うっかり思い出してしまった。かつて彼が、甘い顔でわたくしをたらしこんだことを。もう、忘れていたかったのに。


 ぐっとにらんでやったら、彼は大いにうろたえながら小声で付け加えた。


「……では、フィオ?」


「論外。その名を呼んでいいのは、ルーセットとアリエス、それにギルレムの町のみんなだけよ。わたくし……()()()()の、大切な人たち」


 そう答えたところで、ふと気づく。こんなところで、だらだらと彼と話している場合ではないのだった。さっさと片付けて、王のところに行かなくちゃ。


「まあ、もういいわ。どのみち、あなたはもうわたくしの名前を呼べなくなるのだし」


 わたくしの言葉に、スレインはぶんぶんと激しく首を横に振った。まったく、一国の王太子ともあろうものが、情けないったら。


「せっかくだから、新しく覚えた呪いの実験台になってもらおうと思うの。やられた分は、きっちりとやり返さないとね」


 さらに進み、彼との距離を詰めていく。


「あなたみたいな最低野郎にだまされた、わたくしも馬鹿だった。でも、あなたも馬鹿なのよ? わたくしを追い払うにしても、もうちょっとまともな方法がいくらでもあったでしょうに」


 ゆっくりと右手を挙げ、スレインの顔をまっすぐに指さす。凛とした声で、静かに告げた。


「これは、選択を間違えたことの報いよ」


「や、やめてくれ! 謝罪するから、いや、そうだ、財宝はどうだ! 好きなだけくれてやる!」


「さようなら、愚かな王子様」


 腰を抜かし、声を震わせて引きつった笑顔で懇願するスレインの額に、指を一本とん、と突く。


 たちまち彼の全身が、黒い煙に覆われて……煙が消えたあとには、愛らしい赤子が泣き声を上げていた。

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