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29.見え透いた罠

 スレインが、歓迎の宴。いきなり聞かされたそんな言葉に、ソファに腰かけたまま凍りつく。


 彼は、必要とあらばいくらでも愛想よくなれる男だ。それは、わたくしとの一件でも明らかだ。


 でも、状況によってはとても冷酷になれる。それについても、わたくしは身をもって学んでいる。


 さて、この宴は……どちらなのだろう。単に、隣国との友好を深めようという形式だけのものか、あるいは何か、裏があるのか。


 ともかく、この誘いを断ることはできない。そんなことをしたら、二国間の関係が悪くなりかねない。


「分かりました。必ずうかがいますと、そうスレイン様にお伝えください」


 礼儀正しく、ルーセットがそう答えた。アリエスもちょっと緊張した面持ちで、そんなルーセットを見つめている。


 この二人は、当然ながらスレインの本性を知らない。だから二人がこわばった顔をしているのは、単に、王子との会食という事態に身構えているだけだ。


 いつものわたくしだったら「きんちょうしなくてもいいわよ」とかなんとか、気楽な言葉をかけていただろう。


 でもさすがに、今回ばかりはそうもいかなかった。わたくしは神妙に口を閉ざしたまま、ただじっとルーセットたちを見つめることしかできなかった。




 そうして、一休みしたらもう宴。いっそ仮病でも使って二人を欠席させてしまおうか、そんなことを考えつつも、どうにも踏み切れなかった。もし罠でなかったなら、余計なことをしないほうがいいから。


 うだうだと悩みながら、仕方なく用意された席に着く。豪華な料理を前に、ぎゅっと眉を寄せた。


 卓の下に隠した手をこっそりと動かして、魔法で料理を調べる。ひとまず、危険な毒は盛られていないようだった。魔法を堂々と使えれば、もっと詳しく毒の有無を見極められるのだけれど……。


 警戒しているわたくしと、緊張しているルーセットとアリエス。そんなわたくしたちをよそに、スレインは真っ先に料理に手を付けてみせた。招待側の礼儀としては合っている。ただどうにも、背中がそわそわする感じが消えてくれない。


 やっぱりこの男、凍らせておくべきだったかしら。そう思いながら、料理を一口ぱくりと食べた。あの素朴な家で食べているものより遥かに贅沢なそれは、しかしびっくりするくらいに味気なく感じられた。




 黙々と食事を続けていたとき、ついに異変が訪れてしまった。


 スレインと礼儀正しく話を続けていたルーセットが、ナイフとフォークを置くなり額を押さえたのだ。そうしてそのまま、ずるりと背もたれにもたれかかってしまう。


 そしてアリエスも、テーブルクロスの上につっぷしてしまった。どうやら二人とも、眠っているらしい。


 わたくしの頭も、ぼんやりとし始めていた。この感じ……眠り薬ね!


 眠りこけたふりをしてうつむき、こっそりと解毒の魔法を使う。そのまま、スレインの様子をうかがった。


「……ふむ、やっと眠ったか。怪しまれないよう弱いものを使ったが……どうにかなったな。おい、こいつらを運べ」


 さっきまでのものとは打って変わった、しかし聞き覚えのある横柄な声がする。やっぱりスレインは、何かたくらんでいたのね。


 寝たふりをしながら、こっそり薄目を開けて周囲をうかがう。眠った二人を守りながら暴れるのは、ちょっと難しい。しかし解毒の魔法は、相手にじかに触れないと使えない。


 ここで飛び起きて二人を助けてもいいのだけれど、スレインのたくらみも気になってはいる。無事に逃げおおせたとしても、後から難癖つけてくるかもしれない。


 仕方ない、少しだけ様子を見てみましょう。もっとも、二人にこれ以上危害を加えるようなら、遠慮なく暴れてやるけれど。


 そんなことを考えている間にも、部屋の奥からたくさんの足音が近づいてくる。屈強な兵士たちが、しめて六人。殺気がしなかったから、そんなものが奥の間に控えているなんて気づかなかったわ。わたくしの失態ね。


 彼らはわたくしたちを担ぎ、部屋の外に運び出してしまう。わたくしたちはそのまま、どんどん王宮の奥に運ばれていった。


 あら、こっちって……地下牢じゃないの。まさか隣国の使者を、そこに放り込むつもりかしら。何考えてるのよ、あの男。


 そして兵士たちはわたくしたちを牢に放り込むと、鉄格子に鍵をかけてさっさと去ってしまった。見張りすらつけていない。


 あちらは閉じ込めたつもりなのだろうけれど、わたくしならこんな牢くらいすぐに破れる。だから、別に焦ってはいなかった。さっさと解毒の魔法を使い、ルーセットとアリエスを目覚めさせる。


「ん……おや、ここは……」


「ろうごくよ」


「……え?」


 まだぽかんとしている二人に、小声で状況を説明した。


「しょくじに、ねむりぐすりがはいってたみたい」


「フィオ、それはいったい……」


 ルーセットがみなまで言い終わらないうちに、またたくさんの足音が近づいてきた。はっと口をつぐみ、そちらを見る。


「なんだ、もう目覚めてしまったのか。眠ったまま、全てを終わらせてやろうと思ったのに」


 そんな言葉とともに姿を現したのは、やはりスレインだった。薄気味悪い笑みを浮かべた彼の後ろには、兵士が数人並んでいる。


 全てを終わらせ、ねえ。どうやら彼は、わたくしたちを始末しにきたらしい。たったそれだけの人数でわたくしを倒そうだなんて……知らないって幸せね。


 ふふんと鼻で笑っていたら、ルーセットの押し殺したような声がした。


「スレイン様、これはどういうことなのでしょうか。その、何かのご冗談ですよね……?」


 ルーセットは、底抜けのお人よしだ。こんな状況になってもまだ、スレインのことを信じようとしている。そんな思いが、ありありとにじみ出ている声だった。


 しかし鉄格子の向こうから返ってきたのは、あざけるような笑みだった。


「我がゾーラは、パスケルの資源が喉から手が出るほど欲しくてな」


 ……ああもう、やっぱりそういうこと。


「そちらの領地を一部なりとも奪う機会を、ずっと探していたのだ」


 こんなことなら、ゾーラに手を貸すんじゃなかったわ。わたくしがあれこれと働いて国を立て直したおかげで、よそにちょっかいをかけるだけの余力が出てきてしまったのだろうし。


「そこに、お前たちがやってきた。まさに、渡りに船だ」


 何が、渡りに船、よ。ルーセットたちをどう利用するつもり?


 いい加減口を挟みたくなっていたけれど、ぐっとこらえる。


 こうなったら、こいつが何を考えているのか、きっちり聞き出しましょう。それによって、ここからの出方が変わるし。


「『そちらの使者が、我がゾーラにて許しがたい狼藉を働いた。この責任をどう取ってくれるのだろうか。このままでは、戦になるぞ』と、パスケルにそんな脅しをかけてやれば、あとは交渉次第というもの」


 ああもう、用意周到にそんな筋書きまで用意していたのね。わたくしをだましうちにしたときもそうだったけれど、この男はこういう悪だくみだけは得意だ。……王太子としての統治の腕は、そこそこ……というか残念だったけれど。


 あきれかえりつつ唇をとがらせていたら、隣のアリエスが声を張り上げた。


「そのようなことのために、ぼくたちを罠にはめたのですか!」


「ああ、そうだ。子どもには分からないだろうが、人の上に立つ者は、時として残酷な決断を迫られることもあるのだ」


 自分に酔っている。気持ち悪い。


「……そのことについて、陛下はご存じなのですか。隣国に言いがかりをつけ、領土を奪うなど……」


 ルーセットが、こわばった顔で尋ねている。スレインは芝居がかった態度で、悠々と答えた。


「もちろん、父上もこの策に同意してくれている。そもそも父上は、パスケルの領土が欲しいと日々つぶやいておられるからな。それを実行に移すだけの度胸がなかっただけで」


 ……つまりスレインと王は、どちらも黒幕ということね。あとで両方叩きのめしてやりましょう。


 さて、そろそろ必要なことは聞き出せたわね。あとはこいつらを凍らせて……。


 そう考えたまさにその瞬間、壁の中から黒い煙のようなものが吹き出してきた。煙はあっという間に、わたくしたちを包み込んでしまう。


 背筋がそわりと寒くなるこの感触……これ、あのときの呪いだわ!


 身構えると同時に、スレインの周囲の壁ががたんと音を立てて開いた。その向こうには、ローブをまとった人間たちが整列している。


 フードを深くかぶっているせいで顔は見えないけれど、こいつら、あのときわたくしに呪いをかけた、あの連中だ! 間違いないわ!


 呆然とするわたくしたちに、スレインが言い放った。


「うかつに殺せば、死体が残る。しかしこうすれば、たとえ骨が残ったところで、誰も怪しまないからな。口封じには、もってこいだ」


 彼の顔には、勝ち誇った笑みが浮かんでいる。


「三人とも、赤子になってしまうがいい!」

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