16.にぎやかな食卓
「ルーセット、にくはきれた?」
「切るだけなら、私にだってできる……けれど、どうにも緊張するね」
「フィオ、塩と香草、買ってきました!」
「ありがと、くだいてから、そっちのボウルでまぜて!」
わたくしたちが暮らす家の小さな台所は、すっかり騒がしくなってしまっていた。
依頼で手に入れたイノシシの肉は、すぐには食べきれないくらいたくさんある。傷んでしまう前に、下ごしらえなり加工なりしてしまう必要があるのだ。
しかしこの二人は、やっぱり肉の加工方法は知らなかった。ベーコンなんかは、近所の主婦から買ったり、依頼の報酬として分けてもらったりしていたらしい。
とはいえ、今後のことを考えると、二人にもこれくらいは覚えてもらわないと。
肉の塊に触れるのはまだ怖いアリエスと、切るだけならなんとかこなせるルーセット。二人で作業を分担すれば、なんとかなるはず。
……きっと台所仕事は、今は亡きオリジェが担当していたのでしょうね。彼女も、こんな夫と子どもを残して死ぬのはさぞかし心残りだったでしょう。
こうなったら、わたくしが気合を入れて鍛え上げてあげるわ、彼女の無念の分もね。気合を入れて、レシピを説明しながらどんどん指示を飛ばす。
脂の乗ったところを薄く切って、今晩の食事に。明日の分も取り分けておいて、残りはベーコンに。……干し肉のほうがより日持ちがするけれど、あれ、固くて嫌なのよね。
筋っぽいところは、野菜と一緒に大鍋でじっくりと煮込んで柔らかくする。そのままシチューにするとおいしい。
そうしてどうにかこうにか、全ての肉の下処理を終える。気づけばもう、夕方になっていた。
「ふう……洗い物は、これで全部かな……さすがに、疲れたよ……」
「ぼくもです……」
ぐったりしている二人を尻目に、取っておいた肉に塩を振って魔法の火でささっと焼く。もうルーセットにも魔法のことを明かしているから、堂々と作業できる。こそこそしなくていいのって、素敵。
同時に、紫の草と買い置きの野菜を魔法で刻んで、サラダを作った。右手で肉を焼き、左手でサラダ。あっという間。
その手際に、二人がぽかんと口を開けて見とれていた。ふふん、これが『氷雪の魔女』の実力よ。……って、体が縮んでるせいで、まだ本調子じゃないのだけど。
「さあ、しょくじにしましょう」
皿を並べて、食卓に着く。二人ともすっかりお腹が減ってしまっていたようで、とても元気よく肉にがっつき始めた。そうして、同時に顔をほころばせる。
「ああ、これは美味だね……!」
「焼いただけなのに、こんなにおいしいなんて……」
それはしっかりと血抜きをしたからよ、と言いかけて、あわてて口をつぐむ。食事中にそんなことを言ってしまったら、きっとアリエスが食欲をなくしてしまうから。
あとでこっそり、ルーセットだけに教えておきましょう。ああでも、血抜きのやり方なんて聞いたら、彼も青くなって顔をそむけそうね。となると明日にでも、折を見て話すしかなさそう。
そんなことを考えつつ、食事を続ける。新鮮なお肉にはたっぷりと脂が乗っていて、塩を振っただけなのにとってもこくがある。……広い畑を荒らしまわってただけあって、いいもの食べてたのね……。
肉をじっくりと味わっていたら、ルーセットがやけにしみじみとつぶやいた。
「本当に君は、不思議な子どもだね」
突然投げかけられた言葉に、食事の手を止めてまじまじとルーセットを見つめてしまう。
「いまさら、それをいうの? あたくち、さいしょから、ふしんじんぶつそのものじゃないの」
体にまるで合わない上等なドレスをまとって、荒野のただ中でぽつんと座っていた子ども。普通の人間なら、何か訳ありだろうから関わらないでおこうと思うに違いない。あるいは、ここぞとばかりにさらっていくか。
不思議というなら、そんな子どもをためらいなく拾ってくるルーセットのほうだ。
わたくしの言葉を聞いて、今度はアリエスが口を開いた。
「不審じゃないです。確かに、普通の子どもとはまるで違う……とても、メルと同じくらいの年だなんて思えない。でもきみは、ぼくたちにとっては……幸運の天使なんです」
そんなくすぐったい言葉を、彼はさらりと言ってのけた。しかしそんな物言いがとっても似合ってしまっているから、彼もやっぱり不思議だ。
「ああ、アリエスの言うとおりだね。彼女が来てから、この町であの紫の草が広まって……それにアリエスが、人並み以上に魔法を使いこなせるようになった」
嬉しそうに目を細めたルーセットが、わたくしを見つめながら指折り数え始めた。
「そして驚いたことに、私の仕事を手伝って……というより、ほとんど肩代わりしてくれている」
「かたがわりするのは、べつにいいのよ。でもあたくちがやったって、ぜったいにいっちゃだめよ! きょうのいらいは、ルーセットがひとりでがんばった、そういうことにするの!」
これまでに何度も念を押してはいるけれど、一応もう一押し。この親子があまりにも頼りなくて仕方なく手を貸しているだけで、わたくしは絶対に目立ってはならないのだから。
声を張り上げたわたくしに、ルーセットは慈愛に満ちた笑みを向けてくる。そうしてそのまま、優しく答えてきた。
「もちろんだよ。こういうとき、秘密をもらしたら幸運をもたらす存在はいなくなってしまう。それが、物語のお決まりだからね」
「だったら天使ではなく、妖精なのでしょうか……」
「そうだね、アリエス。どことなく謎めいたフィオには、そのほうが似合うね。幸運を運ぶ小さな妖精だ」
二人はわたくしを置き去りに、とっても恥ずかしい会話を繰り広げている。
というかわたくし、天使でも妖精でもなく魔女なのだけれどね。おそれられるのは慣れているけれど、幸運を運ぶ存在扱いされることなんてめったにないし。
どんな表情をしていいのか分からないまま、黙々と食事の続きを口にする。二人はまだにぎやかに、わたくしについて話していた。
「ふう、いそがしいいちにちだったわ……」
夕食と片付けを終えて、ルーセットとアリエスはそれぞれ自分の部屋に戻っていった。わたくしも居間の片隅にある衝立を回り込み、木箱のふちに腰かける。
手を前に突き出し、意識を集中する。ここに来てから毎晩、こうやって呪いを分析していた。おかげで、色々と分かってきたことがある。
以前のわたくしは、二十一歳で時が止まっていた。そして今のわたくしは、だいたい四歳くらいになってしまっている。
どうやらこの呪いは、かけられた者を強制的に赤子にしてしまう、そんなもののようだった。一人につき一回しかかけられない、そんな呪い。
たぶんこれは、不老長寿の研究の副産物とか、そんな感じのものだったのだろう。そういうのって、王侯貴族が欲しがるものだから。
そしてあの最悪王子は、わたくしを赤子にした上で荒野に放り捨て、野垂れ死にさせようとしたのだと思う。仮にも魔女であるわたくしを直接手にかけたら、どんな災いが降りかかるか分からないから。
しかし『氷雪の魔女』たるわたくしに対して、その呪いは十分な効果を発揮しなかった。呪いは中途半端な形で発動し、結果としてわたくしは四歳の子どもになった。
そのことを屑王子が知っているのかどうかが、気にはなるけれど……たぶん、知らないんじゃないかという気がする。きっと横暴王子に叱責されるのを恐れて、配下の者たちは幼子のわたくしをそのまま荒野に捨てたのでしょうね。
「いろいろふじゆうではあるけれど、あかんぼうよりはずっとずっとましだわ」
ただ、いつまでもこの大きさというのも、どうにもやりづらい。
「のろいのかんじからすると……たぶん、にじゅういっさいまでは、ふつうにとしをとっていくのだろうけど……」
そこまでのんびりしているのは、さすがにもどかしい。さらに呪いを分析して、少しずつ打ち消していかないと。
「……あ、でも、あたくちがきゅうにおおきくなったら、みんなあやしむわね」
さて、どうしたものか。中途半端に呪いを解いてしまったら、間違いなくわたくしは目立ってしまう。
町の人たちは大目に見てくれるかもしれないけれど、噂になってしまうことは避けられない。それはまずい。
わたくしがこうして生き延びているのだと、あの下種王子に知られてはならない。ばれてしまったら、あいつが何をするか分からない。
だってあいつは、わたくしをたらしこんだあげく、ただ働きさせて罠にかけた、卑劣な男なのだから。ああ、思い出しただけで腹が立ってきた。
油断しなければ、今でもわたくし一人の身くらいは守れる。けれど、ここギルレムの町に何かされたら、今のわたくしではどうしようもない。
この町に何かがあったら、ルーセットとアリエスが悲しむ。そんな姿は見たくない。
「……ひとにまざってくらすって、たいへんね」
そうつぶやいて、ぽすんと身を横たえる。もうすっかり慣れっこになってしまったわらと布の寝床が、わたくしの小さな体を受け止めた。
あの高山の隠れ家で暮らしていたころは、こんなちっぽけでおんぼろの木箱で寝ることになるなんて思ってもみなかった。
「……でも、まあ、わるくはないわ」
天井の木目をぼんやり眺め、目を閉じた。




