14.意外な一面
わたくしたちに向かっていた熊が悲鳴を上げて、振り返る。その先には、剣を構えたルーセットがいた。
今見たものが信じられなくて、ぱちぱちとまばたきする。
獣道を走ってきた彼は、ためらうことなく腰の剣を手にして、熊を打ちすえたのだ。さやに収めたままの剣の一撃は、熊をしっかりとひるませていた。
「……ルーセット……なのよね……?」
自然と、そんな声がもれる。そこにいるのは、間違いなくルーセットだった。けれどその雰囲気は、まるで違っていた。
凛としていて、どことなく気高さすら感じるたたずまい。いつも柔和な笑みを絶やさない顔も、今ではきりりと引き締められている。思わずどきりとするくらいに精悍な表情だ。
この風格、まるで騎士みたいだわ。それも、王族なんかに仕える、最上位の騎士。品格と強さを併せ持つ者だけがつくことのできる、そんな地位。
……って、何を考えているのかしらね、わたくしは。そこにいるのはルーセットなのよ。真面目で不器用で、台所でイモを焦がしてはしょんぼりしている人なんだから。
「お、お父様!」
アリエスの叫び声に、我に返った。わたくしが妙なことを考えている間に、熊がうなり声を上げて、ルーセットに向き直っていたのだ。
いけない、援護しなくちゃ。しかしルーセットはわたくしが動くより早く、熊の一撃をさらりと受け流した。それも、やはりさやに収めたままの剣で。
たけり狂う熊とは対照的に、彼の動きはとても落ち着いていた。深山を流れる小川を思わせる、しなやかで乱れのない立ち回り。
息を呑むわたくしの目の前で、彼はやはり見事な足さばきで、少しずつ後ずさりしていく。それにつられるようにして、熊が少しずつわたくしたちから離れていった。
意外だわ。彼、こんなに強かったのね。ここまで見事な戦いかたをしている人は、久しぶりに見たわ。戦っているというより、踊っているよう。
「……アリエス、フィオ」
やがて、ルーセットがこちらを見て静かにつぶやいた。その言葉に、またしても我に返る。いけない、すっかり見とれちゃったわ。
「みんな、にげるわよ。こっち」
ジェスたちの耳元で、そう声をかける。そのまま、木を回り込むようにしてそろそろと移動していった。五人固まって、足音をひそめて。
小さく身をかがめて、茂みの隙間を抜けていく。途中からは、みんな小走りになっていた。
「よ、ようやく逃げられた……」
森の外の草地にぺたんとしりもちをついているジェスに、アリエスが難しい顔で言った。
「これにこりたら、大人の言いつけはきちんと守るんだよ、ジェス」
「ちぇっ。でも今回ばかりは、お前の言うとおりだよな……」
「さあ、わかったならさっさとかえるわよ。あたくちたちがおくってあげるから、かんしゃするのね」
しょんぼりしているジェスに、まだ怖がっているメルとマーティ。そんな三人に力強く言い放って、そのまま町へと戻っていった。
その日の夕方、家に戻ってきたルーセットは、いつになく厳しい顔をしていた。
「昼間、森で君たちの姿を見たときは、さすがに肝が冷えたよ。子どもだけであの森に入ってはいけないといつも言っているのに、どうしてあんなところにいたんだい」
するとアリエスが、申し訳なさそうにうつむいた。
「ごめんなさい、お父様。ジェスを止められなくて……」
「というか、アリエスがとめたら、ジェスがよけいにむきになったのよ」
すかさず口を挟んで、アリエスを援護する。あの状況でジェスを止めるのは、普通の子どもには難しい。……魔法でも使えば、話は別だけど。
「そう、だったのか。……まあ、あんなところに熊が出たのは、私たちのせいでもあるからね」
苦しげな顔で、ルーセットは説明を始めた。
今日の彼の依頼は、珍しくもちょっぴり危険なものだった。最近畑を荒らす熊が出るから、捕まえて追い払うか、あるいは仕留めるかしてくれ、というものだ。
領主じきじきのこの依頼は、周囲の町にいる便利屋をかき集めた、かなり大掛かりなものになっていたらしい。
ただルーセットは心配させまいと、アリエスやわたくしには何も言わなかった。もう、知っていたら、ジェスを力ずくでも止めていたのに。
で、あの熊の腰に刺さっていた矢は、よそ者の新米便利屋が射たものらしい。
生まれて初めて熊に遭遇した彼は恐怖にかられて、やたらめったら射かけてしまった。そのせいで熊が怒り狂い、大暴れしたあげくに森に逃げ込んで……。
「わるいぐうぜんも、あったものね」
イモを炒めているアリエスのところに皿を運び、できたものの味見をしながらのんびりと答える。
「でも、お父様が来てくれてよかったです。おかげで、助かりました……」
「私こそ、間に合ってよかったと思っているよ」
そう言いながら、ルーセットはちらりと意味ありげにわたくしを見た。……もしかしなくても、魔法の障壁を使ったところを見られたのでしょうね。
まあいいわ、だったらそれはそれで、やりようがあるから。
そしらぬ顔で微笑んで、アリエスと一緒に料理を皿に盛りつけていった。
「ルーセット、ちょっといいかしら」
その日の夜、アリエスが眠りについたころを見計らって、ルーセットの部屋を訪ねていく。
彼は寝台の横の椅子に腰かけて、静かに本を読んでいた。わたくしの姿を見て、穏やかに微笑みかけてくる。
「ああ、どうしたのかな?」
そんな彼に、前置きもなく言葉をぶつける。昼間からずっと、言いたくてたまらなかった言葉を。
「あなた、あんなにつよいなんておどろきだわ。あれなら、きしにだってなれる」
昼間に見た彼の姿を思い出しながら、そう言った。
このパスケル王国がどういった制度を取っているのかは知らないけれど、腕の立つ者はいつだって重宝される、そういうものだ。
ルーセットは礼儀作法や教養も十分だから、貴族の護衛だって務められる。少なくとも、こんなひなびた町で細々と便利屋なんてせずとも済むのに。
そんなわたくしの思いをすぐに理解したらしく、ルーセットが苦笑した。
「私は、剣を振るうのは好きじゃないんだ。自分と、大切な人たちを守るために、仕方なく戦うことはあるけれど」
「……でもそのせいで、アリエスにくろうさせてるわよね」
ルーセットがその剣の腕を活かしてさえいれば、もっと簡単に、確実に稼げるはずなのだ。田舎にだって、危険でもうけのいい仕事はそれなりにあるのだし。
彼はそれを分かった上で、あえて使いっ走りのような便利屋に甘んじているのだろう。さっきの口ぶりからは、そんなことが感じられた。
やっぱり彼は、どこまでもお人好しで、甘ったるいほど優しいらしい。荒野にぽつんと放置されていたわたくしを拾って同居させている時点で、そのことは嫌というほど分かってはいたけれど。
髪をくしゃりとかき回して、見せつけるようにため息をついた。
「……ともかく、これからは、もっとイノシシたいじとか、そういういらいをうけなさい。あるんでしょ、そういうの?」
わたくしの発言に驚いたのか、ルーセットがとまどいがちに返事をしてくる。
「え、ああ、まあ……いや、だが、しかし……」
「そういういらいのほうが、もうかるでしょ? アリエスにくろう、させなくてすむでしょ?」
「それは、そうなんだが……」
どうにも煮え切らない。だったらここは、わたくしが一肌脱ぐしかなさそうだ。どうせもう、ルーセットにも魔法が使えることはばれているのだろうし。
「だったら、あたくちがこっそりてつだうわ」
「手伝う? 君が……?」
「もう、あたくちがまほうをつかえるの、あなたもみてたでしょう?」
煮え切らない彼にいらだちを覚えつつ、そう言い放つ。
「いや、見ていないよ」
しかし返ってきたのは、意外な言葉だった。え、見てなかったって……どういうこと? しまった、勘違いしてやらかした。
とにかく、急いでごまかさないと。必死に考えていたら、ルーセットはのんびりと続けた。
「ただ、君は魔法を使えるのだろうな、それもおそらくは他者に教えられるほどに熟達しているのだろうなとは思っていたよ。割と前から」
「え……どうして?」
「そう考えると、つじつまが合うんだ」
つじつま。嫌な予感がする。
「私はアリエスに、魔法を使ってはならないと言い聞かせていた。しかしそんなあの子が、私の言いつけにそむいてまで魔法を練習するようになり、しかもあっという間に使いこなせるようになった。あの子一人では、ちょっと難しいだろう」
ちょっぴりおかしそうに、彼は続ける。
「だからきっと、君があの子に魔法を教えたんじゃないかって、そう思ったんだ。違ったかな?」
「……ちがわないわ」
さわやかに言い放ったルーセットに、ため息で答える。まったく、普段はほんわかしているくせに、妙なところで勘がいいんだから。しかもそのことを、ずっと隠していたなんて。
「……あたくちは、まほうがつかえることをほかのひとにしられなくないの。でもあたくちは、あなたたちのちからになりたい。だからこのことを、ないしょにしていてくれる?」
さっき不意をつかれて動揺したのをごまかすように、胸を張って堂々と宣言する。ルーセットは目を丸くしていたけれど、やがてこくりとうなずいた。
「……分かったよ。でもどうして君は、そこまでしてくれるんだい?」
「ひろってもらったおんがあるからよ。さあ、そうときまれば、がんがんかせぐわよ!」
「はは、お手柔らかに……」
肩を落として、ルーセットが苦笑する。ちょっと強引だけれど、どうせならアリエスにももっといいものを食べさせてあげたいしね。もちろん、ルーセットにも。
さあ、明日から忙しくなるわよ。大きく笑みを浮かべて、ルーセットの部屋を後にした。去り際に一度振り返ったら、彼はやはり困ったような顔で、それでも小さくうなずいてくれた。




